釈照太さんの詩誌時評 『No.005 角川 『俳句』 2012年08月号』 をアップしましたぁ。特集『いますぐ知りたい!「歳時記」活用術』について書いておられますが、いつもどおり盛りだくさんの内容で、川名大さんの「GHQの俳誌検閲と俳人への影響」という特別論考についても触れておられます。
ときおり思うんですが、文芸誌って一種の専門誌です。基本的にそのジャンルに強い興味を持っている人が読む雑誌ですね。ただ文学の場合、超専門的な文章は論文とかにまとめられるわけで、アウトプットの書籍(作品集も評論集も含みます)は、基本的にはそのジャンルにあまり興味がない人でも読めるように書かれているわけです。といふことは、専門誌といっても、文芸誌は超専門的論文と一般書籍との中間に位置していることになります。ここのところが文芸誌のけっこう難しいところですね。
つらつら読んでいると、俳句誌の一番の読者ターゲットは俳句初心者の方々であります。彼らにさまざまな知的情報を与えるのが最も重要な役割です。で、その上に専門的な記事が付加されています。問題はこの記事のレベルをどう設定するかです。超専門的だと読者が付かないですし、レベルを下げると初心者向けの情報と質的に変わらなくなってしまう。さじ加減が意外と難しいと思うのであります。
「現代詩手帖」などの詩誌を読んでいると、初心者向けという視点が完全に欠如しています。じゃあ専門的かというと、そんなことはありません。「詩的」文章のオンパレードで、かみ砕いて言えば、曖昧で非論理的な文章が並んでいる。詩誌に比べれば、俳句雑誌のスタンスはとても明確で好感が持てます。
でも一方で、俳句が趣味なのか文学なのかとふ問題があると思います。俳句愛好家人口は1千万人と言われますが、実際は半分くらいだとしても、それは異様な数字です。気軽な趣味と捉えなければ、こんなに膨大な愛好者人口は生まれないと思います。
俳句を趣味ととらえるか、文学と捉えるかで、このジャンルへのスタンスは大きく変わります。実際、僕らが俳句といって思い出すのは、『角川俳句』さんがあまり興味を示さない新興俳句から前衛俳句の俳人たちです。もちろん伝統俳句を軽んじているわけではないのですが、伝統の凄みをまざまざと見せつけてくれるような俳人さんには、まだ出会っていないわけです。
でもそういった俳句文学への取り組みは、俳句の世界では、同人誌が担っているのだと思います。なかなか選択基準の設定が難しいのですが、俳句短歌自由詩の世界に関しては、いずれ主要な同人誌についても時評で取り上げていきたいと思います。
■『No.005 角川 『俳句』 2012年08月号』 URL■