りょんさんの詩誌時評 『No.002 現代詩手帖 2012年6月号』 をアップしましたぁ。神山睦美さんがお書きになった 『大審問官の政治学』 を山城むつみさんが書評された文章を、さらにりょんさんが批評されております。ううっ、ややこしいっ。でもなんで書評の批評?と思ってお聞きしたら 「まぢ読むとこねぇんだよ。詩の世界ってちょ~特殊カルチャーだよな。でもあたしの頭が正常なら、このカルチャー、どっかおかしいぜ」 とのお答えでした。怖いですぅ (笑)。
でもりょんさんのおっしゃることにも一理あるなぁ。俳句誌は、言葉は悪いかもしれませんが、あまりのレベルの低さに唖然とすることがありますが、『現代詩手帖』 とかの詩誌は難しいことが書いてあるようで、ちょっと気合いを入れて読むと論旨が通ってなかったりします。いったいど~いう雑誌なのってりょんさんと一緒に頭を抱えてしまひそうです。で、迷える子羊の石川は、ちょ~無責任に詩誌時評を 「やらねぇ」 と言い放った詩人さんに詩の世界について質問したのであります。匿名でなら回答するといふお話しでしたので、以下は匿名ダイアログであります(爆)。
石「作品は別として、『現代詩手帖』 なんかの詩誌に掲載される批評について、どうお思われます?」
X「まともなものは出にくいだろうね。理由は簡単で、原稿依頼が、発行日のひと月前だからだよ。書く時間は、20日もないだろうな」
石「まぢっすか。よく書けますね」
X「だからやっつけの状況論になる。現状分析するだけで、結論は to be continued にならざるをえない。詩人論も同じ。ひと月前に萩原朔太郎論を30枚書いてくれと依頼されて、まともなものを書ける作家はいない。文庫本を読んで感想を書くことになる」
石「じゃあ状況論が主流なんですね」
X「そうだね。詩誌は苦しいんだよ。編集スタッフが少ない。だから原稿依頼がギリギリになる。数ヶ月前に依頼して、何度も打ち合わせて原稿をブラッシュアップできないんだ。実際、原稿はほぼノーチェックで掲載される。でも作家がそれに慣れてしまうと怖いことになる。いいかげんな原稿でも掲載されるから、ああ、この程度でいいんだと思ってしまう。でもそういう原稿はほかの文芸誌では通用しない。文芸誌が詩人に書かせないのは、詩が特殊だからではなく、まともな文章が書けないからだよ」
石「むうう」
以上は、匿名回答者Xさんのお話しであります。石川にはコメントしようがないですが、りょんさん、今後の時評の参考にしてくださいませませ。