谷輪洋一さんの文芸誌時評 『No.004 小説新潮 2012年6月号』 をアップしましたぁ。文学金魚のお父さん、谷輪さんにはホントにお世話になっています。昨日、谷輪さんの紹介で大篠夏彦さんの『文學界』時評第1回目を掲載させていただきました。谷輪さんもチョ~コワモテの方なのですが、谷輪さんによると大篠さんはそれどころぢゃないようで、「荒くれ者だからね」といふことです。お会いするのが怖いですぅ(笑)。
そんで僕は完全無欠のノンポリなのですが、政府は原発再稼働に突き進んでいるやうですねぇ。でもそれは難しいんぢゃないかな。確かに再稼働の決定権を持っているのは政府と関係自治体であるわけですが、もし再稼働しても、ずっと稼働させ続けることは困難だろうし、なし崩し的に他の原発を動かすことも難しいと思います。
原発政策が推進されて来た背景には、情報の囲い込みがあったと思います。いわゆる安全神話というヤツですが、それが崩れてしまった。また僕らは福島原発事故以来、マスメディアの流す公式情報だけではなく、さまざまな情報を入手できるようになった。ネットジャーナリズムには賛否がありますが、政府やマスメディアの広報力だけでは世論を動かせなくなっています。原発政策の中に、いまだに情報を囲い込もうという姿勢がある限り、それを推進し続けることはほとんど不可能だと思います。
僕らは日本国憲法で「言論の自由」を保証されているわけですが、それはなにも芸術の世界での自由を保障するものではなく、まず政治的言論の自由を念頭に置いた権利です。戦前の厳しい政治的言論統制は恐るべきものでした。逆に言えば、政権は強大な力を持っており、その気になればなんでも実行できます。それは現代でも変わりません。法律を変えてしまえば、昨日まで非合法だったことが簡単に合法になるわけです。つまり強大な権力に対する安全弁として「言論の自由」はあるわけです。
1990年代頃から、日本を含めて世界情勢は極めて流動的になっています。ある政権が決めたことが、次の政権でも引き継がれる可能性はとても低くなっています。現政権が原発推進を決めても、それが将来的にも墨守されていく可能性は低いでしょうね。いつの時代でも既存の利権集団というものはあると思いますが、少なくとも現代はその改変時期にさしかかっているようです。