たべるダケ
テレビ東京
金曜 0:52~
田山さんもおっしゃる通り、テレビ東京は絶好調なのでは、と思わせる番組のひとつだ。どれを観てもつまらないものしかやってない時間帯で、たまたまテレビ東京に合わせたら落ち着いた、ということがしょっちゅうある。特に深夜、このぐらいのドラマが流れるのは、贅沢と言っていいのではないか。
原作はこれも漫画だそうだが、意外だった。通常、なるほど設定も俳優の型にはまり方も漫画だな、と納得するのだが、「たべるダケ」については原作をなぞっている感じがしない。食べるだけの女、シズル役に、元ミドリのボーカリストの後藤まりこがぴったりだ。女優でもない彼女、誰がキャスティングしたのだろうか。
神出鬼没のシズルと一緒にものを食べる巡りあわせとなった誰もが、一心ただ食べる彼女に魅せられる、というのが毎回の展開だ。それぞれの登場人物には、幼い恋の三角関係なり、自分へのコンプレックスなり、職場での鞘当てなりと、いわゆるフツーのドラマ的な事情が用意されているのだが、シズルのエロスと本能に満ちた食べっぷりに、すべてが一時停止する。
そして我に返った彼らは、これまでと何かが少し違っている、ということだ。「いただきます」と「ごちそうさま」しか言わない、シズルの濡れた唇にスローモーションで吸い込まれてゆく、スイカ、煮魚、もんじゃの映像からの、ありきたりのドラマの「出来事」への批判があると言っていい。いや、シズルはあくまで食べるだけなのだ。批判意識はシズルを観る側が自らに向けるものでしかない。
もしかするとそれは、テレビ東京を観ると心が落ち着く、あるいは心が洗われる(!)気がするのにも似ているかもしれない。何が起きてもゴルフ中継をやっていると揶揄されたのは昔のことだが、テレビ東京は何ごとかに(多くは経済・ビジネス専門に)特化することで安定的な視聴者を得てきた。そして最近では、その安定感そのものに対して、ファンがつきはじめているようである。
どの局の番組を観てもぴんとこないというとき、それらが自分の興味とまったく触れあわない何かをやっている、というわけではない。むしろ、あらゆる人を総体として捉えようとするような、狙いの定まらない薄ぼんやりしたものをただ流していると感じることが多いのだ。テレビ東京の快進撃は、「大衆」を前提とするテレビ的文脈と切れた潔さ、ネット時代に呼応するのでも迎合するのでもなく、対抗し得るような視点を模索し始めていることからもたらされているように思われる。
もともと歌手である後藤まりこは、ほとんどセリフもない食べるだけの役を非常に「好演」している。動物的で幼児的でもある彼女が「食べる」エロスで美人に見える、というのも悪くなくて、このドラマで得難い女優が一人生まれたといえるかもしれない。
かつてテレビ東京は「週刊真木よう子」という素晴らしい企画で、あらゆる役をこなす真木よう子をこれでもかと見せつけてくれた。彼女の認知と評価が一気に高まったのは、それ以来ではなかったか。総花的なドラマの主役争いをさせるばかりが能じゃない、ということである。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■