あまちゃん
NHK総合
月~土曜 8:00~ 再放送 12:45~
さすがクドカンの一語に尽きる。が、民放の若向きのドラマで定評のある宮藤官九郎が初めての NHK、それも朝の連ドラにここまでハマるということは、誰にもなかなか想像しがたかった。
しかしながら、よくよく考えてみれば、その要素は十分にあった。朝の連ドラは、以前にも脱構築ドラマに着手したのだった。昭和59年の「ロマンス」で、映画草創期を描いたというドラマにしてみたら自己言及的な設えで、しかしやはりその実験的なところは多くの視聴者には理解されなかった。
それでも最終回、カメラが引いてドラマの撮影風景がそのまま映されるというラストシーンは印象に残った。朝の連ドラでは通常あり得なかった男の主人公で、その主役の榎木孝明と準主役の辰巳琢郎は二人とも、今も存在感を保っている俳優だ。
意欲作でキャスティングもよく、映画通の受けがよかったが、数字は厳しかった「ロマンス」と比べたとき、「あまちゃん」の快進撃には「脱構築の成熟」(…? 語義矛盾)を感じる。脱構築は脱構築という行為において、意欲を帯びてはならない。つまり脱構築は脱力によって、小手先で行なわれなくてはならないのだ。
若い元気な女の子がヒロイン、郷土色豊かという皆さまの NHK 朝の連ドラの王道をしっかり歩んでいる「あまちゃん」は大筋でいえば、どこにも新しいところはない。だからこそ老若男女の誰も混乱することなく、新しい細部がはっきり目に入る。
郷土篇と東京篇では、郷土篇が特に成功しているようである。それはたまたま NHK 的であったが、クドカンはもともと「地元」を描かせて定評のある作家だ。地元にとってはフツーの日常で、はたから見るとちょっと変、というものだ。そこは木更津であったり三陸であったりするが、都内であっても同じで、池袋も登場人物の地元として描かれ、土地っ子たちの魅力を示した。
クドカン作品の多くは、まず視聴者に先立って、俳優たちが楽しんでいることが伝わってくる。フツーの天然ボケのリズムを、ほとんど全部の俳優たちが理解しているようにみえるのは驚異的だ。クドカン作品に大根役者はいない。大根なら大根という概念とキャラが、その天然のリズムを作り出す。役者たちは演じているというより、そのリズムを演奏しているかのようである。
とはいえ「あまちゃん」のキャスティングの豪華さは、それだけでも観なければソンと思わせるに十分だ。脇役どれ一人取っても主役を張れる役者が、しかもハマっている。小泉今日子の自己言及的なアイドル史振り返りが話題となったが、個人的には薬師丸ひろ子が出なければダメだと思っていたので、こちらも女優役という自己言及役だが、たいへん喜ばしい。古田新太のプロデューサーは、登場するたびにわくわくする。
ドラマでは、これから震災が起きるという。最初から復興企画だったのか定かでないが、ヌケたような脳天気はまだ震災の影がないからなのか。先々、やや不安だ。どうかこのままのノリで。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■