池田晶子さんは惜しくも若くして亡くなった文筆家で、この本は中学入試の頻出図書として知られる。子供向けの人生論の書物は他にもいろいろとあるものの、『14歳からの哲学』が名著とされるのは、それが文字通り「哲学」の領域に踏み込んでいるからだ。
哲学とは、世俗的な雑多な諸条件を取り去って純粋に思考することであるから、子供との相性はそもそも悪くはない。『ソフィーの世界』など、子供向け哲学書のベストセラーもあるし、『不思議の国のアリス』は論理哲学としても読まれている。
一方で学校などを通して、そろそろ社会のとば口に立った子供たちに向けて、未経験からくる悩みに応えようとするものが人生論で、対人関係や自身の精神的コントロールの術を教える。それは年長である各々の著者の処世術や価値観を示しているという点では、単なるノウハウ本とは異なる。「人生哲学」というのは、こういった本に対する美称だ。哲学にすら通じる奥深さがある、という意味で。
しかしながらいつも感じるのは、こういった年長者の説教に耳を傾けるというのは、それだけの理由を要していて、たいていは著者のプロフィールに人目を惹くものがあるといった、ごく通俗なことが本の帯に書かれている。そしてまた、たいていはその本の中に、そういったことにとらわれるのは馬鹿馬鹿しいとも書かれている。仮にも哲学的な論理思考をするなら、この矛盾に気づかないはずはない。
池田晶子の『14歳からの哲学』は三部に分かれていて、第一部と二部が「14歳からの哲学」のそれぞれ哲学篇と人生論篇と言うべき内容で、そこに「17歳からの哲学」という第三部が続く。
第一部の哲学篇は「考える」、「言葉」、「自分とは誰か」といった究極的な哲学の基礎であり、論を進める基本的ツールでもある概念についての章がならぶ。対して、第三部の「17歳からの哲学」では、「宇宙と科学」、「歴史と人類」、「自由」、「宗教」、「存在の謎」といった普遍的なテーマに発展している。
この書物の最大の特徴は、「14歳」と「17歳」の間に、第二部として「家族」、「社会」、「友情と愛情」、「恋愛と性」、「仕事と生活」、「品格と名誉」といった人生論に接近した哲学思考がはさまっていることだ。確かに、純粋な子供時代は14歳まで、14歳と17歳の間には「15の春」がある。子供たちはほとんど初めて壁に直面し、別れと出会いを経て、自分で選び取った社会の一員となる。
純粋な子供の体験に密着した世界との遭遇は、そういった実体験を経て、普遍的な思考と化す。その成長過程がそのまま、この本の構成となっている。大人もまた、この本を読むにあたってはその成長をなぞり、哲学的直観こそが人生における価値観を定め、またその人生における体験こそが思想を育んでゆくことを確認するのだ。
ありきたりなアドバイスに聞こえるかもしれないが、教室での人間関係に悩む子供たちには、第二部「友情と愛情」をぜひ読んでほしい。根本から考え抜いた後の言葉は、ただの慰めや励ましとはまったく違う。その、違うのだ、ということを自ら実感してほしい。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■