『せんはうたう』は詩人・谷川俊太郎氏と、画家・染織家などとして活躍されているアーチスト・望月通陽氏の詩画集である。詩画集は先に詩がある場合と、絵を元に詩人が詩を書く場合がある。『せんはうたう』は後者である。発行元の『ゆめある舎』HPには、社主・谷川恵氏による『制作日誌』が掲載されている。それによると『せんはうたう』は、ピアノ譜面集『歌に恋して 谷川俊太郎&谷川賢作ソングブック』(音楽之友社)から派生した。
恵氏が『歌に恋して』の表紙画を依頼したところ、望月氏から六十一枚もの絵が描かれたスケッチブックが届いた。表紙画を選んだあと、残った作品を惜しんだ恵氏が、俊太郎氏との詩画集を企画したのである。望月氏もあとがきで、「そして詩の添えられた絵に再会しました。絵が詩に洗われて、その清々しいことと言ったら」と書いておられる。
本の構成だが、巻頭に序詩が置かれ、後は見開き単位で右ページに俊太郎氏の詩が、左ページに望月氏の絵が印刷されている。詩の数で言えば、序詩が一篇、絵とセットになった詩が二十四篇である。どの詩にもタイトルは付けられていない。この書物一冊で一篇の詩であり、詩と絵を切り離せない作品集だということである。
せんはとぎれない
せかいがとぎれないから
せんはどこにでもいける
じぶんがみちだから
せんはじゆう
せんはなににでもなれる
引用は序詩である。『せんはとぎれない』『せんはどこにでもいける』『せんはじゆう』とあるように、詩の主語(主体)は『せん』である。俊太郎氏は、望月氏の線画に導かれるように詩を書いている。俊太郎氏の創作者の自我意識は限りなく小さくなり、望月氏の絵(線)に沿って吐息のような詩の言葉を紡ぎ出している。
制作の経緯を反映して、『せんはうたう』にはピアノや音符が描かれた絵がたくさん掲載されている。また音楽のイマージュは、望月氏の自在で滑らかな線によく合っている。氏の絵は抽象的具象画である。確信をもって引かれた線が、極限まで単純化された人や動植物を生み出している。望月氏の線の世界において地球上のすべての存在は等価である。そこには一つの諧調が、音楽がある。『せんはなににでもなれる』し『とぎれない』のである。
* 『せんはうたう』平成二十五年[二〇一三年]より
しかし詩は、人間の感性に直接的に訴えかける絵や音楽とは質的に異なる芸術のようだ。『おと/ほんのすこしでいいから/わけてくれる?』とあるように、詩人は『おと』を欲している。意味の伝達の道具である言葉を使って、意味以上(あるいは以下)の何事かを表現しようとしているのである。『せんはうたう』に収録された詩はいずれも短い。序詩が一番長くて六行であり、絵とセットになった詩は二から四行である。この短さは詩の表現が限りなく沈黙に近づいていることを示している。そして言葉の力を疑い、失語と紙一重の沈黙に陥りながら、なおもそこから言葉を紡ぎ出してくる姿勢は俊太郎文学の初期から今日まで一貫している。
バラについてのすべての言葉は、一輪の本当のバラの沈黙のためにあるのだ。言葉は、バラを指し示し、呼び、我々にバラを思い出させる。それはまた時に、我々により深くバラを知らしめ、より深く我々とバラとをむすぶ。だが言葉自身は決してバラそのものになることは出来ない。まして、それを超えることは出来ない。言葉はむしろ常に我々をあの本当のバラの沈黙に帰すためにあるのではないだろうか。そして詩人が、バラを歌う時、彼はバラと人々とむすぶことによって、自らもその環の中に入って生き続けることが出来るのに相違ない。
(『私にとって必要な逸脱』昭和三十一年[一九五六年])
俊太郎氏の初期エセーの一部だが、この考えは今でも変わっていないだろう。人間は言葉によって世界を認識する。言葉がなければ人間存在そのものが消滅してしまうのだ。しかし言葉で指し示したとたん、モノの本質は逃れ去っていく。いくら言葉を費やしても薔薇そのものを描写し尽くすことはできない。だから薔薇そのものを言葉で表現したいと希求する詩人は沈黙を経験しなければならない。言葉を削ぎ落とし、わずかに残った強く確信的な言葉で沈黙の部分を囲い込むのである。愛といった抽象観念を表現する場合も同じだ。言葉で伝達できないなにものかを表現したいと欲するときには、断念に満ちた、稲妻のように短く、強く鮮やかな詩人の言葉が必要である。
何ひとつ書く事はない
私の肉体は陽にさらされている
私の妻は美しい
私の子供たちは健康だ
本当の事を云おうか
詩人のふりはしてるが
私は詩人ではない
(詩画集『旅』より『鳥羽1』冒頭 昭和四十三年[一九六八年])
壮年期の俊太郎氏は闘う詩人だった。そして俊太郎氏の闘いの相手は常に言葉だった。『何ひとつ書く事はない』『私は詩人ではない』という詩行はもちろん反語である。しかし『何ひとつ書く事はない』と書くことからしか溢れ出ない饒舌はある。『私は詩人ではない』という自己否定を潜ることによってしか見出せない詩人の姿というものはある。問題はいつも、言葉にした途端にこぼれ落ちてしまう沈黙の部分である。
せんは とおくからきて
どこかへさってゆく
わたしをのこして
(『せんはうたう』平成二十五年[二〇一三年]より)
『せんはうたう』にも、モノそのものから取り残されてしまう詩人の姿が描かれている。しかしかつてと比べると、その表現はだいぶ穏やかだ。詩人は余裕をもって線が現れ、消え去るのを見送っている。そこに俊太郎氏の詩人としての成熟がある。
俊太郎氏は詩集『ことばあそびうた』で言葉をモノとして扱う方法を確立した。言葉によって沈黙の部分を囲い込むのではなく、モノ化した言葉の合間に自ずから沈黙が宿る作品を書いたのである。『わらべうた』では意味よりも日本語の音韻を重視した作品を生み出し、『よしなしうた』では小説や戯曲と同様の虚構(フィクション)を援用した。言葉がモノや観念を裏切っていくのにまかせるのではなく、明らかな虚構を使って逆接的にその本質に迫ろうとしたのである。線が去っていくとしても、現在の俊太郎氏は、自分の力でそれを追いかける方法を持っている。
* 『せんはうたう』平成二十五年[二〇一三年]より
『おんがくも おと/なきごえも おと/ちきゅうは おとのほし』は詩画集の最後に置かれた作品である。俊太郎氏は望月氏の絵に呼応して、音楽と泣き声を等価に扱っている。またそれが『ちきゅう』なのだと書いている。『せんはうたう』で詩人も画家も、ありのままの世界を力強く〝肯定〟している。望月氏の絵は単純である。俊太郎氏の詩も同様で、短くやさしい表現である。似たような作品を作れる人は大勢いるだろう。しかし俊太郎氏の詩と望月氏の絵が、絶望的な否定を潜った先に現れるほんのわずかな肯定だということを忘れてはならない。それを理解しなければ、『せんはうたう』を十全に味わうことはできないだろう。
なお『せんはうたう』は素晴らしい造本である。詩と絵は濃いブルーと薄いブルーのインクで印刷されているが、ページ全体が淡いブルーに発色している。これは各ページが二つ折りの紙で構成されていて、裏側一面にブルーが印刷されているためである。このような凝った印刷・造本は、現在ではゆめある舎のようなリトルプレスでなければ不可能だろう。また『せんはうたう』の造本は、改めて詩集の在り方を考えさせてくれる。
* 『せんはうたう』の造本
乱暴に聞こえるだろうが、詩は本質的に金銭と無縁である。詩は日本語を豊かにし、その基層となる言語表現だからである。短歌、俳句、自由詩を問わず、詩とはそういう芸術なのだ。『古池や』『柿食へば』という俳句を覚えることで、日本人は日本的感性や精神を知らず知らずのうちに感受している。『雨ニモ負ケズ』でも『汚れちまった悲しみに』でも『生きているということ』でも同じだ。それらを記憶することで、日本人は日本語の本質を感受している。多くの日本人が心の中にたくさんの詩を持っているのであり、それにより生きた日本語が支えられ、新たな日本語が生み出されている。
だからこそ詩集はその意匠を凝らさなければならない。詩集はその装幀や造本によって、〝特別な本〟であるという自己主張をしなければならない。詩集そのものが、日本語の基盤として、モノ化したような意匠をまとわなければならないのである。その意味で、すべての詩人は詩集の装幀に細心の注意を払うべきである。この世のすべての生産物と同様に、確かに詩集にも価格が付いている。しかしその価値は本質的にはなにものにも兌換できない。『せんはうたう』を手元に置く人は、詩集と呼ばれる奇蹟的な書物の意味を理解するだろう。
鶴山裕司
* 『せんはうたう』のご購入方法は、ゆめある舎HPでご確認ください。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■