入沢康夫先生から小笠原豊樹訳のマヤコフスキー詩集『ズボンをはいた雲』を贈っていただいた。先生が序文を書いておられる。「マヤコフスキー叢書」の第一巻で、順次全十五巻が刊行される予定である。この叢書は小笠原氏による新訳で、マヤコフスキーの主要詩集が網羅されている。自分なりに新刊本はチェックしているつもりだが、このシリーズの刊行は知らなかった。入沢先生に感謝である。
マヤコフスキーは僕の最愛の詩人の一人である。訳者の小笠原豊樹、詩人名・岩田宏氏もまた、かつてその詩集をすり切れるほど読んだ詩人である。〝かつて〟と書いたのは、岩田氏が第五詩集『最前線』(昭和四十七年[一九七二年])を最後に詩を書かなくなってしまったからである。以後、小笠原豊樹名で小説、翻訳、評論、エセーを発表しておられる。平成二十五年(二〇一三年)には『マヤコフスキー事件』(小笠原豊樹)で読売文学賞を受賞された。
あさ八時
ゆうべの夢が
電車のドアにすべりこみ
ぼくらに歌ういやな唄
「ねむたいか おい ねむたいか
眠りたいのか たくないか」
ああいやだ おおいやだ
眠りたくても眠れない
眠れなくても眠りたい
無理なむすめ むだな麦
こすい心と凍えた恋
四角なしきたり 海のウニ
(岩田宏「いやな唄」冒頭 詩集『いやな唄』昭和三十四年[一九五九年])
このコミカルで諧謔的な調子の詩を初めて読んだ時、僕は何故だか「なんと剣呑な」と思った。岩田宏は一筋縄ではいかない詩人だ。十代の終わりから二十代の始めに僕は戦後詩の洗礼を受けた。鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、石原吉郎らが最愛の詩人だった。やがてそこに、戦後詩の正統第二世代とでも呼ぶべき堀川正美、谷川雁、岩田宏が加わった。しかし僕が彼らの詩を読み始めた一九八〇年代には、すでに堀川、谷川、岩田氏は詩作をやめてしまっていた。
僕は自分なりにその理由を探った。簡単に結論を書いてしまうと、鮎川・田村的な「荒地」派の詩法は絶対に継承できないということである。それは石原吉郎的な戦後詩にも当てはまる。吉本隆明は、戦後詩人の中で最も石原的だった黒田喜夫の追悼文で〝黒田君、君はいつも正しかった。それが僕にはうさん臭く思えた〟という意味のことを書いた。もし石原・黒田的な実体験に根ざした詩を至上の作品とすれば、詩人は詩など書けなくなるだろう。彼らに対しては、その圧倒的な〝正しさ〟にも関わらず、だからこそ〝うさん臭い〟と言う必要がある。
戦後詩の読解体験によって、僕は堀川、谷川、岩田氏以降の、戦後詩の雰囲気を漂わせた〝戦後詩的〟な詩人たちを一切信用しなくなった。それはポーズであり、弛緩した戦後詩に過ぎなかった。戦後詩を正統に継承しようとすれば、堀川、谷川、岩田氏のように詩作をやめてしまうほかない。しかしそれは、これから詩を書こうとしている二十代の僕には極めて残酷な認識だった。僕は入沢康夫、岩成達也といった現代詩人を読み始め、吉岡実に出会った。それにより僕なりに危機を乗り越えた。ただ堀川、谷川氏がなぜ詩をやめたのかは手に取るようにわかったが、岩田氏の場合は違っていた。岩田氏が詩作から遠ざかった理由は堀川、谷川氏よりも複雑だったと思う。
ひとつの
巨大な岩が
すこしずつこわれて
たくさんのちいさな岩がうまれた
どの岩にもひとつの顔が描いてある
ひとみを守るために垂れ下がったまぶた
十分に空気を吸い込むための二つの鼻の穴
噛みくだくための歯 聴くための耳
割るための額
これはだれだろう
これはどこの人だろう
焼き払われた初めての森に
初めての麦のたねをそっと埋めた
これはひとりの農民の顔だ
(岩田宏「ショパン」冒頭 詩集『頭脳の戦争』昭和三十七年[一九六二年])
「ショパン」は二部構成の長篇詩である。僕はこの詩篇を愛した。しかし少しずつ言葉が溢れ、増殖してゆくようなこの詩篇は、その後複雑で苦しい展開を強いられる。ご興味を持たれた方は岩田宏詩集をお読みください。岩田宏は抑制されてはいるが、繊細で高い言語的美意識を持った詩人である。だがその内面には社会思想を含む観念が渦巻き、肌を切るような抒情が溢れている。僕の中で岩田氏が詩をやめた理由は結論が出ていないが、氏がマヤコフスキーをこよなく愛する理由はよくわかる。
僕の精神には一筋の白髪もないし、
年寄りにありがちな優しさもない!
声の力で世界を完膚なきまでに破壊して、
ぼくは進む、美男子で
二十二歳。
優しい人たちよ!
あんた方が大好きなのはヴァイオリンだ。
ティンパニが好きなのは乱暴者に決まってら。
でも、僕みたいに自分をくるっと裏返して、
裏表なしの唇ひとつになる芸当は到底できまい!
(詩集『ズボンをはいた雲』小笠原豊樹訳 17-18p)
『ズボンをはいた雲』は一九一五年(大正四年)に刊行された。詩にあるように、マヤコフスキー二十二歳の時に書かれた長篇詩である。もちろん「ぼくは進む、美男子で/二十二歳。」という詩行を文字どおりに受け取るわけにはいかない。それは精神の美である。マヤコフスキーは「ティンパニが好きな」「乱暴者」である。レーニンはマヤコフスキーを「未成年者」で「不良少年」だと言った。しかし彼は「自分をくるっと裏返して、/裏表なしの唇ひとつになる芸当」ができる希有な詩人だった。
「援助をお願いします!」などと、あいつらに
おとなしく憐れみを乞うのか。
賛美歌を、
オラトリオを歌うのか。
燃えさかる賛美歌とはすなわち工場や実験室の騒音
そのなかで想像する者とはぼくらのことだ。
お伽話のロケットでメフィストフェレスとつるんで、
天空の寄木細工を滑りまわる
ファウストなんかに用はない!
ぼくの長靴の釘一本のほうが、
間違いなく
ゲーテの幻想劇よりよっぽど恐ろしい!
(同 41-42p)
言うまでもないが、マヤコフスキーはロシア(ソヴィエト)革命時代の詩人である。そのためマヤコフスキーの詩を政治思想から読み解こうとする試みが絶えない。しかしそれは詩を散文的意味に還元する試みであり、決してマヤコフスキーの詩の本質には届かない。「燃えさかる賛美歌とはすなわち工場や実験室の騒音」という詩行を、キリスト教への冒瀆と読み解くことはできない。「天空の寄木細工を滑りまわる/ファウストなんかに用はない!」という行を、文学に対する革命の優位だと読み解くのは誤りである。
マヤコフスキーは「ぼくの長靴の釘一本のほうが、/間違いなく/ゲーテの幻想劇よりよっぽど恐ろしい!」と書いている。集団的革命ではなく「ぼくの長靴の釘一本」がゲーテの『ファウスト』を上回るのである。ロシア革命はマヤコフスキーの中でほぼ完全に血肉化されている。それは現実世界の革命によってもたらされたものだが、本質的にはマヤコフスキー自身の精神の革命である。
血管と筋肉は祈りの文句よりあてになる。
ぼくらが時代にお慈悲を願う柄か!
ぼくらは
(だれだって)
この掌のなかに
世界の伝動ベルトを握ってる!
ペトログラード、モスクワ、オデッサ、キエフの
それぞれのゴルゴタの丘の群衆はこの言葉を聞き、
ひとりとして
叫ばぬ者はなかった。
「十字架にかけろ、
この男を十字架に!」
でも僕には、
みんなが
(侮辱したやつでさえ)
だれよりも大事で近しいひとたちだ。
見たことがありますか、
殴る人間の手を犬がぺろぺろ舐めるのを
のっぽで、
助平な笑い話みたいなやつだと、
今日の種族にあざ笑われる
このぼくには、
誰にも見えない「時」が、
山を越えてくる、その姿が見える。
(同 44-46p)
ロシアがその巨体を世界に向けて現したのは、タタールの軛から完全に脱した一六八二年のピョートル大帝の即位からである。その約百年後にプーシキンが現れた。それまでのロシアには見るべき文学がほとんどない。プーシキン以降、ゴーゴリー、トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキーといった綺羅星のような作家たちが、まるで臨界にまで抑え込まれていた火山が爆発するように登場した。しかしいかにもロシア的なのだが、その奔流は百年も経たないうちに翳り始めた。チェーホフの作品には明らかにロシア的精神の衰退が読み取れる。マヤコフスキーはプーシキンから続くロシア文学最後の光である。
壮年期のマヤコフスキー
一口に共産主義国家と言うが、植民地主義的帝国主義資本国家への対抗のためではなく、純粋に理想的ユートピア思想を掲げて革命を成功させた国はロシア以外にない。引用の詩の中で、「世界の伝動ベルトを握って」いるマヤコフスキーは、「群衆」から「十字架にかけ」られる。しかし彼は殉教者として「侮辱したやつでさえ」「大事で近しいひとたちだ」と捉える。「このぼくには、/誰にも見えない「時」が、/山を越えてくる、その姿が見える。」からである。
マヤコフスキーはロシア革命を、衰微しつつあるロシア精神の刷新・革命の契機として内面化していたと言ってよい。ドストエフスキーは「民族は神の肉体に他ならず、まだ世界が知らぬロシアのキリストがヨーロッパを復活させるだろう」と書いたが、本質的にラディカルで革命的なロシア的思想はマヤコフスキーの中にも確実に存在している。だから同時代のボルシェヴィキにとって、マヤコフスキーは得がたい詩人であると同時に厄介な批判精神でもあった。マヤコフスキーの思想があまりにも熾烈で純粋だったからである。
マリヤ!
詩人はディアーナに捧げるソネットを歌うが、
おれは
からだぜんたいが肉でできていて、
からだぜんたいが人間なんだ。
きみのからだがただ欲しい。
キリスト教徒が
「われらの日々の糧を
今日も与え給え」と祈るように。
マリヤ、おくれ!
マリヤ!
きみの名前を忘れるのがこわい。
詩人が、夜の苦しみに生まれ出た
つまらぬ言葉を、
神に等しい偉大な言葉を、
忘れるのがこわいのと同じこと。
きみのからだを、
おれは守り、愛するだろう。
戦争でかたわになった
役立たずで
だれのものでもない
兵隊が
たった一本の足を守るように。
(同 69-71p)
ただマヤコフスキーは二十世紀の詩人である。詩人は「マリヤ」に呼びかける。それは聖母マリヤと実在の女とのダブルミーニングである。その思考は天上に駆け上がり、地上の猥雑へと降りてくる。このような観念と現実世界を往還するダイナミックな詩篇はマヤコフスキー以前にはなかった。この詩法は、同時代を自らの肉体として引き受けた詩人にしか本質的には使いこなせない。それが可能だったのは、日本の詩人では小熊秀雄と岩田宏だけだろう。「凶区」的な〝疾走詩篇〟は僕にはマヤコフスキーの表層的パロディにしか見えない。
ママ!
ぼく歌えない。
胸の教会じゃ聖歌隊の席が満員だから!
(同 33-34p)
僕はずいぶん前からマヤコフスキーのこの三行を愛誦している。詩人には現世における居場所などありはしない。本質的には仲間も求めようがないだろう。しかし正確な意味などどうでもいい。それは優れた詩なのだ。
『ズボンをはいた雲』はペーパーバックのような簡素な造りだ。一般的な基準では粗末な本だと言ってよいだろう。しかしこれほど内容と装幀がピッタリと合った本は久しぶりに手にした。マヤコフスキーはできれば街中の喫茶店で、あるいは公園のベンチに座って読みたい作家だ。ジーンズのお尻のポケットから、よれよれになったペーパーバックを引っぱり出して活字に目を走らせるのがいい。あなたが詩を愛する人なら、世界の喧噪に包まれながら、世界そのものと均衡を保つかのような崇高で猥雑なマヤコフスキーの詩を生きることができるだろう。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■