「俳句」で毎月組まれる特集は、そのほとんどが初学向けのハウツーものです。2月号の大特集には「名句はこうして生まれる!俳句は『瞬間』を詠む」というタイトルが踊ります。なにしろ初学者というものは「名句」に目がありません。「名句」を詠めなければ余生に俳句を作る意味がない、といわんばかりです。そして「名句」作りの近道は、なんといっても先人の「名句」がいかにして生まれたかを学ぶことです。ことに今回の特集のように「瞬間」という抽象的なテーマの場合、より具体的な事例に即した解説が不可欠です。そこで「一瞬をとらえた先人の名句」として、先人ひとりにつき一句を取り上げ、それが生まれた経緯を辿りながら、「瞬間」を捉えるとはどのような俳句テクニックなのかを、執筆者ひとりが1ページずつ解説しています。
取り上げられている先人は、虚子、杉田久女、久保田万太郎、三橋鷹女、石田波郷、桂信子、高柳重信、飯島晴子の8人で、いずれも故人として俳句史にその名を残すビッグネームです。このなかに角川「俳句」誌上ではめったにその名を見ない俳人が二人います。三橋鷹女と高柳重信です。二人は「前衛」としてスタンスを同じくしました。具体的には、重信が創刊した同人誌「薔薇」、そしてその後の「俳句評論」に、重信本人からの誘いを受けて参加したのが三橋鷹女です。「俳句評論」では後に顧問を務めました。たとえ俳句史から「前衛俳句」という言葉が消え去ろうとも、この二人なくして昭和俳句を語ることはできないといっても過言ではありません。
このコンテンツでは一貫して、「伝統」対「前衛」という対立軸を設定したうえで角川「俳句」を読んできましたが、その前提には「角川俳句」=「俳壇」=「伝統俳句」という現在の俳句を取り巻く状況があります。それはおそらく俳句に関わる誰もが認める状況に間違いありません。私は俳句の世界の「外」に身を置くものですが、文学ジャンルのなかでも俳句は特に、「伝統」と「前衛」の内部抗争がその表現形式に進化(=深化)をもたらしてきたと認識しています。「伝統」対「前衛」の目的は勝利ではありません。というよりも「伝統」の勝利という結果のみしか、この俳句の内部抗争では起こり得ないのです。
現代俳句から「伝統」対「前衛」という対立軸が消滅した時期を、高柳重信が急逝した1983年とすることはあながち間違いとはいえないでしょう。もちろんそれは便宜的な仮説に過ぎませんが、今から振り返るに30年前のその日こそ、「伝統」が「前衛」に勝利した、つまり角川「俳句」の独裁が始まった年であるといえるでしょう。30年間に刊行された「俳句」全誌を調べたわけではありませんが、おそらく「高柳重信」の名前をかぶせた記事が書かれることは稀なる珍事に違いありません。
そして4年前に角川学芸出版が刊行した『高柳重信読本』によって、「俳句」に重信や前衛を語る記事が掲載されることが、もはや珍事や椿事ですらありえなくなりました。読本というだけあって、これ1冊で高柳重信の全てが解るような構成になっており、表紙には「高柳重信全句集」とうたわれているとおり、多行形式はもちろん一行作品も含めて重信の残した全ての句が掲載されています。主導者の死という不可避の事情とはいえ、結果として角川にとって都合のよかったその死から四半世紀後に、角川自らの手で死者をよみがえらせたわけですから、傍目には抗争における敵味方を越えた寛解のように、心晴れやかな風景とも見えます。が、ひねくれた見方をすれば、角川の俳句マーケットについに、「重信」や「前衛俳句」が商品として取り込まれた画期的な事件だったともいえます。
話を「一瞬をとらえた先人の名句」特集に戻しましょう。「・・・瞬きはいま、そして永遠に」という題名で重信を書いているのは鳥居真理子氏です。鳥居氏が引用している重信の句は〈「月光」旅館/開けても開けてもドアがある〉です。処女句集『蕗子』所収のこの句は、俳壇の枠を超えて前衛作家重信の存在を知らしめた、重信の初期作品のなかでもとりわけ有名な句です。有名とは人口に膾炙したという意味で、このように2行で表記されている句は、重信の多行形式俳句作品としてはむしろ珍しいといえるでしょう。鳥居氏は文中でもう一句引用していますが、それは〈夜のダ・カポ/ダ・カポのダ・カポ/噴火のダ・カポ〉という同様に『蕗子』所収のもので、こちらは「ダカ・ポ」の3連続ゆえにより印象的ではありますが、重信の代表作というよりも異色作といった一句です。
初学者に対し重信を語るにあたって、この2句を引き合いに出すのにはいささか無理があるといえます。初学者にとって俳句形式は日常であり自然であり遵守すべき法律なので、この2句のようにいずれも俳句形式を逸脱した非日常かつ反自然かつ無法なる句は、俳句に対するイメージを混乱させるだけだからです。先に「俳句」誌上に重信が登場することは稀だといいましたが、そもそも重信によって俳句における「瞬間」を語ること自体が、本特集の編集意図として妥当かというと首を傾げざるを得ません。いみじくも鳥居氏自身が文中で指摘しているように、「時間の連続性を細密なる言葉と多行表記によって構築した重信に、かくいう瞬間を切り取るという意識が伴っていたのだろうか」と、戸惑いの色を隠せないのも当然です。
鳥居氏がどういう経緯でこの文章を書いたのかはわかりませんが、少なくとも氏が積極的に引き受けたうえで快く書いているようには思えません。むしろ文章の行間からは、異端児だった物故俳人についてだから異色と定評のある現役俳人に書かせよう、という「俳句」編集部の安易な編集意図に対する困惑すら漂ってきます。いきおいこの小論において鳥居氏は、「瞬間」と「永遠」という相反するイメージ同士を衝突させるという苦肉の策に打って出ます。こうした衝突はしばしば「カオス(混沌)」というエネルギッシュなイメージを生み出しますが、そうしたエネルギーは筆者自ら発した「瞬間とはいったいなんなのだろう」という根本的な問いに対する答えを、半ば強引に読者に納得させるための説得力として機能します。苦肉の策とはそういう意味です。
瞬間とはいったいなんなのだろう。眼に見えないものに心がさわぐ一瞬、眼に見えるものから異種なるものを想像する一瞬、言葉と言葉が激しく絡み合い、響き合い、反発し合う一瞬。喜怒哀楽の感情はかならずや皮膚感覚を突き抜ける。
(「・・・瞬きはいま、そして永遠に」より)
わかりにくい文章ですが、かみくだいて読めば次のようなことでしょうか。つまり「瞬間」を経験的に捉えれば、一瞬のうちに起こりうる感覚とは一瞬であるだけに不随意であり、ゆえにそれは能動的に感得するというよりも、外部から到来するといった受身的な感受に違いありません。それが鳥居氏がいうところの「皮膚感覚」でしょう。しかし氏はあくまでも俳句という文学行為について語っているので、そのなかで到来した皮膚感覚(=瞬間)である以上、それを作品化する際には必ず感情(=叙情=永遠)として改めて能動的に捉え直すべきだ、と考えているといえるでしょう。この小論の結びで鳥居氏は、「瞬間」を「生」に、「永遠」を「死」に置き換えて次のようにまとめます。
瞬間の連続は果てしない永遠を意味する。瞬間は命、すなわち生、永遠は魂、すなわち死。果てしない月光の煌きのかなたから、その永遠こそが瞬間なのだと独りごつ重信のつぶやきが聞こえてきそうである。
(同)
もちろん重信が生前こうつぶやいていたというわけではありません。重信ならこうつぶやいても不思議ではないといったところでしょう。重信を「死」の美学に憑かれた先人としてまとめるあたり、此岸と彼岸を自由に往還するような幻想句が売り物の鳥居氏らしく、その完璧ともいえるアリバイ作りには一目置かざるを得ません。俳句初学者はもちろんのこと、どこぞの結社の師匠でさえもが、思わずわかった気になって納得してしまうような見事な結びの一文です。誤解なきようにいいますが、けっして皮肉っているわけではありません。「わかった気になって納得」させることが問題だといっているのです。
とはいえこの時評は、この文章のような俳句関係者間でしか通用しない批評の書き方を批判するのが目的ではありません。繰り返しになりますが、いままで重信を筆頭とする「前衛俳句」を、俳句史上(市場)から排除してきた角川「俳句」が、たった1ページの小論とはいえ、なぜ「わざわざ」高柳重信を取り上げたのか、なぜここにきて「わざわざ」高柳重信にスポットを当てようとするのか。その「わざわざ」なる意図が不明なことに対し、訝しく思っているというのが本音です。だからといって「俳句」編集部の編集意図なり企画立案能力なりを批判するのでもありません。もちろん、創刊61年目に入った「俳句」誌は、ここ四半世紀に亘って俳壇を牽引してきた唯一の総合誌であり、俳句の価値を決める「御意見番」の地位を独占し続けているわけですから、その編集に関して物申すことは時評として有意義かもしれません。
しかし、そのような対処療法的な時評に、「俳句」の読者を動かし得るような力は当然ありません。読者が動かなければ「俳句」そのものが動くはずもありません。読者であれ編集者であれ執筆者であれ、当事者を動かせないような時評に意味はないと思います。では、どうすれば意味ある時評になるのか。どうすれば読者を、執筆者を、そして角川「俳句」を動かす時評になるのでしょうか。残念ながらそうした即効性のある批評などというもの自体が、いうなれば「ないものねだり」なのです。そもそも時評にしろ批評にしろ、文学行為に即効性を求めるのは間違いです。もし即効性のある文学行為があるとすれば、それは文学を装ったマーケティング行為だといって間違いはないでしょう。
そう、この時評でも以前指摘したように、角川「俳句」は「マーケティング」を武器に俳壇における独裁体制を築いてきました。それは実に正々堂々と行なわれてきたので、あえて文学行為を装う必要もないほどでした。むしろ、俳壇における「文学」性そのものが変質を迫られた挙句、「文学」が「マーケティング」を装わざるを得ない状況が生じました。何から何までとはいいませんが、現状で俳句作品の価値を決めているのは、この「マーケット」の論理だといっても言い過ぎではないでしょう。こうした俳句の現状を見るにつけ、「なぜ俳句なのか」といった俳句原理を問う批評や、「なぜそう書いたのか」といった意図を問題とするような時評を、即効性を考えずに書き続けることしか打開の道は見つからないのではないでしょうか。
この辺で腰を据えて、いちど角川「俳句」そのものについて考えを巡らせてみたいと思います。「俳句」誌の歴史的な変遷を辿りながら、俳壇はもとより俳句そのものに果たしてきた本質的な影響を探り、今後の動向を占おうというわけです。ふと思いついてネットで「角川俳句」を検索したところ、偶然そうした思いとぴたりと重なる仕事に出会いました。江里昭彦氏の評論で、その名も〈角川書店「俳句」の研究のための予備作業〉です。「週刊俳句Haiku Weekly」というウェブサイトに、昨年11月から3回に分けて掲載された長篇評論で、もともとは「夢座」第166号(2011年7月)から転載された模様です。
江里氏の名前は俳句同人誌「鬣(たてがみ)」で目にしたことがありました。評論の冒頭で言及している俳人の説明に「私と同じ1950年生まれ」とあることから、氏は現在63歳だとわかります。「夢座」はホームページによれば俳句同人誌ですが、江里氏は同人ではないようです。いずれにしろこのような硬派かつ外部からの長篇評論を掲載するくらいですから、少なくとも「マーケティング」とは無縁な、「文学」志向の同人誌と思われます。
〈角川書店「俳句」の研究のための予備作業〉(以下「予備作業」)の初出は、前述のとおり2011年7月刊行の「夢座」第166号で、『昭彦の直球・曲球・危険球』と題する連載コーナーの40回目だったようですが、このとき掲載されたのは「前」「中」「後」の3回に分けた前篇のみでした。その後2011年10月に中篇が、そして初出から1年後の2012年7月に後篇が掲載され、ひとまず「予備作業」は完結しました。「夢座」掲載終了後すぐさま、こんどはインターネットにメディアを変えて、前出の「週刊俳句」に3週連続で掲出されました。
「予備作業」という題名のとおり、本質的な研究へ進むための序論という体裁を装っています。しかしそれは単に装っているだけで、この「予備作業」だけで、江里氏の言いたいことはすべて出尽くしていると思われます。唐突かもしれませんが、その結論の部分を引用してみましょう。
わたしは「俳句」誌の支配が終わると確信している。(中略)角川「俳句」の研究とは、一商業誌の内容の変遷をたどる表層的なものに終わってはならない。核心には「俳句にとって資本主義とはなにか」という命題が坐っており、それゆえ〈私的資本〉による俳壇支配がなぜ可能となったのかを、俳句のこれまでの歴史過程を参照しながら、解明するという営為でなければならない。
(「予備作業」より)
江里氏の方法と論旨は極めて明確です。角川「俳句」の一誌独裁という俳壇の現状認識を前提に、その創刊から独裁体制の確立に至る経緯をたどり、俳句そのものの文学的な変化を探ろうというわけです。とくに俳句の世界には、「俳句ブーム」と呼ばれる、文学の世界では珍しい空前の「商業バブル」がありました。そうした「事件」の背景と土壌をひとつひとつ具体的に取り上げ、それが及ぼした俳句の変容をあぶりだすことで、「文学とメディア(=情報)」、「文学とマーケティング(=商業)」、そして「文学と資本主義(=未来)」といった、俳句を通り越して文学の本質を照らすような問題が浮かんできます。
「予備作業」は、「俳句ブーム」の「兆し」「絶頂」「衰退」に合わせた3回に分けて掲載されました。本コンテンツでは次回から、「俳句」3月号・4月号・5月号をそれぞれ読むと同時に、「予備作業」を3回に分けて読み進んでいきたいと思います。(続く)
釈照太
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■