『月刊俳句界』11月号では、『元気な結社はここがすごい!』という鼎談が組まれている。宮坂静生氏主宰の『岳』編集長の小林貴子氏、辻桃子氏主宰の『童子』編集長の佐藤明彦氏、小川軽舟氏主宰の『鷹』編集長の高柳克弘氏の三人による座談会である。ただ『結社ってなに?編集長の座談会ってどういうこと?』と思われた方もいらっしゃるかもしれない。いわゆる俳壇の一員になってしまうと気にもしなくなるのだが、結社は主宰と呼ばれる俳人を頂点とする雑誌である。編集長は結社が刊行する雑誌(機関誌)を編集する、いわば主宰の右腕である。
もう少し細かく説明すると、主宰は雑誌の方針から原稿掲載に至るまで、最終決定権を持つ〝先生〟だと思っていただければ間違いない。この主宰(先生)の元に結社同人が集うのだが、同人誌のような対等の立場の同人ではなく、先生の〝弟子〟という位置付けである。この結社同人の中で有能な者が結社誌の編集を行う。大きな結社は全国に数百人の同人を抱えているので、結社誌(月刊、隔月、季刊などさまざま)に寄せられる投稿句を整理するだけでも大変な作業になる。また大結社では結社誌を刊行するだけでなく、全国各地で句会や講演会なども開催している。
結社の主宰者と結社誌の編集長を分けるのには様々な理由がある。まず作業を分担することで、個々の仕事を軽減する目的がある。主宰者はご高齢であることが多いので、現実問題として雑誌編集実務の一切を手掛けるのは難しいという理由もあるだろう。さらに後継者を育てる目的もある。最も古い結社誌は正岡子規主宰、高浜虚子編集長の『ホトトギス』だが、子規死後は虚子が主宰になり、その後は虚子の息子の年雄氏が主宰になった。現在は年雄氏の子供の稲畑汀子氏が主宰で、汀子氏ご子息の廣太郎氏が編集長を務めておられる。『ホトトギス』では主宰は世襲されたわけだが、主宰の俳風を最もよく理解する者が引き継ぐことも多い。大所帯の結社には様々な役職があるが、結社の顔である雑誌の編集長が一番主宰の俳風を理解しているのである。では結社に参加するメリットはなにか。
佐藤 ・・・結社誌は公のものでもありますが、主宰の個人誌という性格が免れないし、逆にそこに強みもあるので、その辺を魅力に感じないのであれば、結社に所属する意味はないかもしれません。辻(桃子)主宰は、具体的に一句一句に即した批評をなさるので、その批評なくして、私たちにとっては俳句という文学は成り立たないでしょう。作品一つ一つの細部への批評に、主宰にとっての俳句の思想が宿っているように思います。
(『元気な結社はここがすごい!』より)
佐藤氏がおっしゃるように、結社同人全員の努力で維持されているという意味で、結社誌は少なくとも結社にとっての公共の器である。しかし主宰がいなければ成立しないのも確かである。主宰の主な仕事は結社同人の指導である。お手本になるような作品を発表するのはもちろん、俳句に関する自己の考えを評論やエセーで発表し、結社同人の投稿句を添削・論評するのである。それゆえ結社同人は、基本的には主宰に全幅の信頼を寄せていなければならない。
自己の作品を批評(時に批判)されるのは多少の苦痛が伴う。批評の内容はもちろん〝誰に〟批評されるのかも重要なのである。批評者が尊敬に値する仕事をしている方なら、たとえ批評内容が厳しいものであってもそこから得るものがあるだろう。その逆の場合、たとえ的確であっても批評内容が被批評者に届かない場合もある。批評者と被批評者の間には一定の信頼関係が必要なのである。従って結社主宰者と同人の間には原則として信頼関係があると言える。ではどうやって結社同人になる人は、主宰を選ぶのだろうか。
小林 今、若手の結社離れが問われていますが、我々、結社に属している者の立場から言わせていただくと、「これぞ」という先生のもとで、自分の句を添削されたり、句を落とされるという経験を積むということは、必ず身になると思うので、まずは結社に入るということを勧めたいですね。
(同)
小林氏がおっしゃるように、個々人が『「これぞ」という先生』を選んで結社に参加するのが基本である。しかし実際問題として結社に参加する方のほとんどが俳句初心者である。たまたま参加した句会を通してその主催結社の同人になる、あるいは先に俳句を始めていた友達などに誘われて結社同人になることも多いようである。もちろんある程度の経験を積んでから結社(主宰)を選び直すこともある。中には主宰(先生)を頂点にいただく結社制度を嫌い、全参加者が基本的に同格の同人誌に参加される方もいる。
結社の場合、主宰や有力同人の作品を除き、無条件で掲載されるのは主宰が選んだ句のみということになる。同人誌の場合は全同人が規定の作品数を平等に発表するのが普通である(いずれも一般的な場合です)。しかし結社だろうと同人誌だろうと人間の集団である。個々の能力に差があるのはいかんともしがたい。原則対等な同人の集まりと言っても、実質的に特定の有力同人に率いられている同人誌も多い。誌面が限られている以上、同人誌といえども有力同人や編集人の意向が誌面に反映されるのは半ば必然である。
同人誌では主宰による選句は行わないが、結社と同様に盛んに句会を行うのが常のようだ。同人による相互批評の場である。小林氏は『自分の句を添削されたり、句を落とされるという経験を積むということは、必ず身になると思う』と発言されているが、結社・同人誌を問わず、他者の視線で自己の作品を捉え直すことが俳句では重要なのである。俳句は17文字から構成される短い詩である。テニオハの使い方一つで句の印象がガラリと変わる。また俳句のような短詩で思い入れは禁物である。作家がある言葉、言い回しに思いを込めてもたいていの場合は伝わらない。結社の主宰の添削指導や同人誌での相互批評は、基本的に作家の主観(的思い込み)を相対化するためにあると言える。
つまり維新以降の自我意識文学とは逆に、俳句は作家の自我意識(主観)をできるだけ希薄にする必要がある文学なのである。俳句は長い歴史を持ち様々な作品を生み出しているが、芭蕉の『古池や』や蕪村の『菜の花や』、子規の『柿食へば』など俳句の代表作になっている作品は、いずれも無主観的客観描写作品である。作家の強靱な思想が込められているとは言えない。作家の思想は集団的とも言えるアノニマスな日本語の基層(意識・無意識層両方を含む)を通過して表現されるのである。
そのあたりに俳句文学が座(結社)や宗匠制度を維持し続けている理由があるようだ。絶対君主的な結社の主宰もいらっしゃるが、たいていの主宰は俳句に仕える祭司のようなものである。結社・同人誌、あるいは伝統派・前衛派を問わず、すべての俳人は海のように広大な日本語の言語層に含まれており、極論を言えば、誰が詠んでもいい俳句文学の傑作を生み出すために奉仕していると言える。
高柳 ・・・誰に向けて俳句を作るかという意識が変わってきているように思えます。かつては、師に向けて書いていたところを、もっと広いフィールドで自分の句を試したいというような意志があるのではないでしょうか。
インターネットがこれだけ発達すれば、情報も発表する場も手に入ってしまう。こういう時代において、結社でしか学べないことが何かということを、冷静に考えていくべきですよね。それを若い世代に伝えていければいい。
(同)
高柳氏がおっしゃっているように、最近では結社に所属する俳人が減っている。俳人協会や現代俳句協会、日本伝統俳句協会に所属する俳人も徐々に減少しているようだ。かつては高額だった印刷コストが下がってきたことや、気軽に作品を発表できるインターネットの普及などがその理由にあげられるだろう。言いにくいが魅力ある俳句宗匠(主宰)が減ってきたことも原因の一つだと思う。さらに高柳氏が指摘されているように、結社が『結社でしか学べないことが何か』を発信し切れていないことも原因の一つである。かといって個人で活動する俳人や同人誌が増えていくかというと、そうも言えないだろうと思う。
俳句はその原理から言って、広い意味での〝座の文学〟の特性をこれからも維持し続けていくだろうと思う。それは俳句文学の弱みであり強みでもある。弱みは座が俳句初心者の受け皿になって、文学ではなく趣味の場として平易に流れてしまうことにある。この弊害は蕉門以降現在まで続いている。また座のコミュニティが俳人個々の自立性を阻害してしまうこともある。座は仲間でありそこに所属することは心地よいのである。漫然と投句して句会に参加し続けているだけで、すぐに十年、二十年が経ってしまう。強みは他のジャンルにはない集団的創作姿勢である。俳句では他者の作品と競い合うようにして、日本語の無意識をどこまでも遡ることができる。極論を言えば、俳句文学では自己より俳句を優先させなければ優れた作品は生まれない。
俳句は文学と趣味の間を漂う曖昧なジャンルであり、結社も同人誌も宗匠制度も様々な現実的問題を抱えている。一つの解消方法は、俳句文学の原理に即して、なぜ俳句が座の文学なのかをできるだけオープンにしていくことだろう。外から見ている限り、結社も同人誌もやっていることはあまり変わらない。俳壇にひたりきるのではなく、外からそれを相対化して見ることが必要なのではあるまいか。
岡野隆
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