谷川俊太郎は現存にして、すでに文学史上にいる唯一の詩人である。教科書にも出ているし、小学生であっても知らなくてはならない。と、特に心がけなくても、テレビ CM に使われているものなど、いくつかの代表作は目に入っていることだろう。
「沈黙のまわり」は谷川俊太郎の若い日のエッセイからまとめたもので、子供が読むのは、なかなかチャレンジングである。谷川俊太郎のやさしい、子供向けの絵本や言葉遊びの詩に親しんでいれば、かえって面食らうだろう。
「沈黙のまわり」所収のエッセイは難解な雰囲気であるが、それは単純に著者が若かったからである。若いから肩肘張っていた、ということでは必ずしもなしに、書くことで考えるというか、書くことと考えることが同時進行で行なわれているのだ。
したがって、話が細部、微妙なところへ入り込んでも、「この先はどうせ行き止まりだから」と歩みを停めることがない。考えるのをやめることができない以上、書くこともやめられない。それが「若書き」というものだが、独特の魅力もまた、ある。
思考力を鍛えるべき、そして年齢よりも大人びてあるべき少年少女らは、ときにこういった文章に触れるべきだ。歳の近い若者の思考の跡を辿り、自らの力を比べ、試さなくてはならない。年配の先生が下見をした修学旅行のコースを引率されるばかりが能ではない。
読むべき理由は他に、真摯な思考の跡を示す文章が、いささか哲学的なあり様を示しているからでもある。谷川俊太郎氏の父君が哲学者の谷川徹三氏であることはよく知られているが、「哲学的」というのは特別な学問のスキルを指すのでなく、世界の様相を純粋に思考によって追い詰めようとする「態度」のことである、とわかる。
そして、そうせずにはいられない、というのはまさしく「若さ」に他ならない。池田晶子氏の『十四歳からの哲学』など「若くても、幼くてもわかる」といった親切な哲学書はすでに推奨されているが、それが「若いがゆえの」思考法であることを、やや強引に実感させられる書物にも触れる必要がある。その素質のある子供 = 若者が自らそういった思考を課すようになるためにも。
しかしながら、具体的な理解の手がかりは、愛、やさしさ、世界といった概括的な概念そのものではなく(そういったものは、それこそ池田晶子氏のレクチャーに説得力がある)、やはり詩について、言葉についてといった、詩人ならではの実作に基づく文章から得られるように思う。
実体験と実感に基づいた、その道の専門家の言葉をじっくり読み解き、それを追体験するように飲み込んでゆく、というのは重要なことだ。仕事を中心とした実感ある言葉は、どれほど微細なところに入り込もうと、しっかりと追ってゆくことが可能なはずだからだ。それを本当の理解力、想像力と呼ぶのだ。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■