子供にとって最も難敵なのは、実はエッセイだ。中学入試などで随筆、エッセイを出題する傾向が続いているが、物語と違って、そもそも子供向けに書かれた随筆というものはない。
出題にはきっかけや口実も必要で、たいてい子供が出てくる。これがまた難物で、大人の目線から見た子供の様子が描かれていて、それで大人がどうこう思う、といったことが子供には想像がつくはずもない。想像もつかずに無心でいる子供の様子が、随筆に書きたくなるぐらい面白い、というわけなのだから。
子供にも読みやすい、出題しやすい随筆はだから、感情のメリハリのきいたものになる。元大臣の猪口邦子氏の、海外の学校でパールハーバーについての授業を受けるはめになったが、先生が思いやりをもって日本の立場を説明してくれた、といったものが典型的だ。バイオリニストの千住真理子の、コンサートの帰りに駅で出会った聴衆の一人との話には子供は出てこないが、著者本人の「成長」を確認するという意味で、ビルディングス・ロマンふうに子供向けである。
ここでわかるのは、感情のメリハリのきいた、子供にも読みやすい随筆は、プロの書き手以外の人が書いたものが多い、ということだ。これはようするに、ある耳目をそばだてる「できごと」があって、その顛末に沿って感情の起伏を描いているからに他ならない。誰であれ特別な経験を積めば、記憶に残るエッセイの一本は書ける。
向田邦子は随筆の名手、というより大横綱みたいな存在だ。惜しくも51歳の若さで飛行機事故で亡くなってしまったが、もし生きていたらどんなだったろうと思い出させる数少ない作家の一人だ。
名手の随筆は、まず事件が少ない。日常のさまざまなことをさりげなく織り交ぜて、ふと気づくとちょっと別のところに出ている、というのが名人の技である。
『父の詫び状』は、向田邦子の最初の随筆である。最初にして、すでに大家の完成度だ。随筆というのは小説以上に、持って生まれたセンス、才能で決まるものらしい。「父の詫び状」、「ねずみ花火」、「昔カレー」、「卵とわたし」といったタイトルは各々、日々のできごとや思い出を緩やかなテーマで繋ぎ、記憶のブーケのようなものを差し出してくれる。よい文章に付きものである、そこはかとない香気を添えて。
向田邦子の随筆の中にも、子供の印象に残りやすいものはある。戦時中に末の妹を疎開させるとき、元気だったら「○」を書いて送れと葉書の束を持たせた父。痩せ細った妹が帰ってきて、大声で男泣きした父。
『父の詫び状』の父は、自宅で接待した酔客の嘔吐物の始末を母にさせ、床の板目に入り込んだそれをほじくり出している少女の著者を眺めている。ろくな労いの言葉もなく、もちろん自ら手伝うこともなく、けれども寝に戻らずに、ずっと廊下に立っている。
抑えられた筆に、そのぶん深まっている感情を味わえるまでになってもらいたい。
金井純
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