■ 代表的なSFノワール作品 ■
『メトロポリス』(26)『アルファヴィル』(65)『爆破作戦/基地に消えた男』(72)『ソイレント・グリーン』(73)『ブレードランナー』(82)『ターミネーター』(85)『ターミネーター2』(85)『12モンキーズ』(95)『ストレンジ・デイズ』(95)『ダークシティ』(98)『13F』(99)『マトリックス』(99)『マイノリティ・リポート』(2002)『アイ、ロボット』(04)『バットマン ビギンズ』(2005)『トゥモロー・ワールド』(2006)『スキャナー・ダークリー』(2006)『ダークナイト』(08)『サロゲート』(09)『TIME タイム』(2011)『ダークナイト ライジング』(12)『LOOPER/ルーパー』(12)
映画には数多くのジャンルが存在し、我々は自在に、そして適当かつ自由にジャンル用語を使い分けてきた。例えば一つの映画作品を説明する際にもしばしば「SF映画」や「アクション映画」というジャンル用語が用いられ、専門的な研究書においてもジャンル用語は一つの有効性を保持している。しかし何気なく使っているジャンル用語は、実のところ国によって幾分その用語や意味合いが異なってくる。故に日本で知られていないジャンル用語が、アメリカでは頻繁に使われているということも珍しくはない。その一つとして挙げられるのが、SFノワール映画という混成ジャンルである。
恐らくこの言葉を聞いて、ほとんどの人が「ノワール」という言葉に「?」を浮かべると思うので、SFノワールの包括的な概略を論じる前に、まずは「ノワールとは何か?」という問題を解決していきたい。さらに「SFノワール」というジャンル名に「SF」という用語があるので、「SF映画」というジャンルの定義や慣例においても同時に論じる必要があるだろう。
■フィルム・ノワールとは何か?■
フィルム・ノワール(Film Noir)とは、しばしば暗黒映画とも呼ばれる作品群であり、表現主義的な雰囲気と舞台装置を特徴としながら暴力的で腐敗した暗い世界を描くことを一つの特徴としている。フィルム・ノワールがジャンルなのか様式なのかは研究者の間でも意見が分かれるが、今日においてフィルム・ノワールは映画に限定されない文化的態度であるという意見が支配的と言えるだろう。
『マルタの鷹』The Maltese Falcon(41)『深夜の告白』Double Indemnity(44)『三つ数えろ』The Big Sleep(46)『過去を逃れて』Out of the Past(47)『キッスで殺せ!』Kiss Me Deadly(55)といった作品に代表されるように、フィルム・ノワールは主として1940年代から50年代にかけて登場したアメリカの犯罪映画のことを指している。フィルム・ノワールの名作『ギルダ』Gilda(46)で、イカサマをはたらく賭博好きの男性主人公がカジノの支配人として出世し、ボスの女ギルダに手を出してしまうことで犯罪を行う破滅的世界へと向かっていくことになるように、フィルム・ノワールにおける慣例的な物語は犯罪や腐敗、恋心における魅惑と危険に関する話がほとんど。登場人物は主に強欲や利己主義に突き動かされる人、もしくはそのような人物にカモにされてしまう無実の人々である場合が多い。さらに登場人物は自分ではコントロールできない状況に囚われており、救い難い堕落した世界や非人間的な都市空間が舞台となる。
またフラッシュバック(回想)を好んで用いる傾向にあり、このフラッシュバックは、既に決定された出来事(ほとんど悲劇)を強調し、より一層虚無感や宿命感を強調すると言われている。光と影のコントラストを強調したキアロスクーロ(明暗法)もフラッシュバックと同様に退廃的で虚無的な世界観を表現するために用いられるわけだが、実のところ、そうしたキアロスクーロは、低予算であることと深い関連があると指摘されてきた。事実、フィルム・ノワールはほとんどの作品において低予算のB級映画(添え物映画)であり、予算上の要求によって簡素なセットしか使用することができず、必然的にセットを隠すために暗い映像表現が用いられるようになったと言われている。
その一方で、フィルム・ノワールは時代的地域的特色を織り交ぜたステレオ・タイプ的キャラクターを登場させる。それがファム・ファタール(運命の女)である。主人公はほとんどの場合、ファム・ファタールによって破滅へと向かっていく。こうしたジェンダーに関する脅威は、戦後に思うように仕事につけない男性の代わりに働くようになった女性たちの台頭、すなわち男性社会において男性の立場が弱まることへの不安と男性性の危機を表現していると言われており、それがフィルム・ノワールの慣例的なテーマにもなっていると指摘することができるだろう。
このフィルム・ノワールはオーソン・ウェルズの『黒い罠』Touch of Evil(58)でひとまず一つの潮流を終えたと言われており、1980年代になって「ネオ・ノワール」という新しいノワールとして再びアメリカ映画に登場することになった。ネオ・ノワールの代表的作品としては『チャイナタウン』Chinatown(75)『ブレードランナー』Blade Runner(82)『ブラッド・シンプル』Blood Simple(84)『もういちど殺して』Kill Me Again(91)などが挙げられ、この潮流は現在まで続いており、SFノワールと同様にネオ・ノワールはアメリカ映画における一つの重要な作品群と見なされている。
さて、ここまではフィルム・ノワールについて触れてきたので、次はSF映画について少し述べておきたい。SF映画はほとんどの人が何かしらの作品で見ているだろうし、いまさら論じるまでもないが、一般的に言われているSF映画の特徴について明示したいと思う。まずSF映画は頻繁に近い未来や遠い未来、もしくは別世界を舞台にし、観客に対して「驚嘆」の感覚に訴えかける傾向にあることが挙げられるだろう。すなわち新しい科学技術や未知の世界に対する驚きや好奇心などである。又、SF映画はある前提に基づいて話が展開していく。その前提とはタイムトラベルや空間移動、未来社会、異星人との遭遇や科学技術のもたらす衝撃であり、それらは人間と何らかの形で関わっていると言われてきた。
中でも『宇宙戦争』The War of the Worlds(53)や『E.T.』E.T. The Extra Terrestrial(82)『スターウォーズ』Star Wars Episode IV: A New Hope(77)はSF映画の代表作であり、金字塔と位置付けられている。またSF映画は『遊星からの物体X』The Thing(82)のように、しばしば他のジャンルと結び付けられる傾向があり、中でもノワールやホラーとの結びつきが強い。とりわけノワールとSFの混合は、「混成」という言葉に相応しいほどにそれぞれの特徴が分離することなく、巧妙に絡まって幾つかのオリジナリティを生み出した。それがSFノワールというジャンルである。
アメリカでは頻繁に「SFノワール」という言葉が用いられるほど、このジャンルは万人によく知られている。私たちにとってはほとんど未知だが、何気なく触れている作品が多いことは本稿の最初に提示した作品群からもお分かりいただけるだろう。次項ではこのSF映画とノワール映画の慣例や特徴を踏まえた上で、SFノワールについて論じていきたい。
■SFノワールとは何か?■
SFノワールは、SF映画の慣例とフィルム・ノワールの慣例の両方を共有し、互いの相互作用によって奇妙で現代的な主題や形式を有するジャンルである。ではSFノワールは具体的にどのように定義づけられ、SF映画とフィルム・ノワールのどの部分を共有しているのだろうか。
まずSFノワールの定義から明らかにするとしよう。SFノワールは、犯罪と腐敗社会の魅惑と危険を描くSF映画のサブジャンルという物語上の説明で定義することができる。SFノワールは一般にアメリカで「Tech-Noir(ハイテク・ノワール)」「Science Fiction Noir(SFノワール)」あるいは「Future Noir(未来ノワール)」という言説で論じられることが多く、ポール・ミーハンの研究書『ハイテク・ノワール SFとフィルム・ノワールの融合』が示すように、多くは「Tech-Noir(ハイテク・ノワール)」という用語で論じられている。
だが邦訳した場合、ハイテク・ノワールという言説はどうにも語呂的に相応しくないので、筆者はこのジャンルを「SFノワール」というジャンル名で呼ぶことにしたい。そもそもアメリカでも頻繁に「SF-Noir」という言説は用いられているので、SFノワールという言葉でこのジャンルを論じることに支障をきたすことはないだろう。
こうしたジャンル用語の問題を解消したところで、早速SFノワールの歴史と特徴に迫っていきたい。まずSFノワールはSF作家のフィリップ・K・ディックが執筆した小説(『少数報告』(56)『追憶売ります』(66)『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(68))、及びウィリアム・ギブソンの小説『ニューロマンサー』(84)に始まるサイバーパンクの影響によって登場した作品群と言われており、「フィルム・ノワール」と「SF映画」の慣例を巧妙にブレンドさせた混成ジャンルである。現にSFノワール映画は、SF映画と同様に、科学技術と人間の関係を描き、観客が抱く未知のものや新しい科学技術への驚嘆意識に訴えかけ、近未来や遠い未来、あるいは別世界や非人間的な都市空間を好んで描く傾向にある。
だがSF映画と異なるのは、その舞台となる近未来あるいは別世界の場所が自分自身ではコントロールできない囚われの堕落世界であるという点である。主人公をそこに閉じ込めているのは権力者やロボット、あるいは宿命であり、主人公はそうした管理社会や闇社会から抜け出せない囚われの人物として描かれる場合がほとんどだ。又、ロボットや権力者および宿命によって管理され拘束された未来的新世界から抜け出せない主人公は、支配力を失うことへの男性的不安という主題を体現していると読むことができる。そうした危険でおぞましい世界を表現するかのごとく、SFノワールは「犯罪」と「腐敗社会」を強調して描き、その危険と誘惑が観客を魅了し、男性的不安をより一層誇張させる。さらにほとんどの場合、キアロスクーロ(明暗法)が強調され、暗黒的で退廃的な世界観を醸し出すことが多い。こうした都市空間の脅威と運命論的悲観主義、そして男性的な不安と様式は、フィルム・ノワールの慣例であることは言うまでもない。
だがSFノワールは、主人公を都市空間に閉じ込めている理由において、古典的なフィルム・ノワールと大きく異なっている。というのもSFノワールの場合、主人公をそこに閉じ込めて囚われの身にしているのは、「裏社会から抜け出せない宿命」ではなく、ロボットや人工知能といった科学技術との関連による様々な理由および科学関連における徹底した管理社会の抑圧なのである。そしてSFノワールは、虚無的で悲観的なラストを迎えるフィルム・ノワールとは異なり、徹底した科学の管理社会や宿命的絆で結ばれた科学との関連から抜け出すことに成功するという明るい未来を観客に提供する。又、ファム・ファタールはほとんどの場合において存在せず、むしろSFノワールにおけるヒロインは、男性に対して献身的で家庭的な面を有しており、物語上でも男性主人公を最終的に近代的で科学的な都市から抜け出すことを手助けする。ときおり登場する邪悪な女性は、そうした献身的で母性的なヒロインの抱擁感を誇張する対比的存在である場合が殆どだ。
このようにSFノワールは、フィルム・ノワール的な脱出願望や運命論的悲観主義を主題に添えながらもSF映画の近未来的な管理社会と科学技術への驚き、そして希望的なラストを観客に提供するという慣例を有している。こうした二つのジャンルの巧妙なブレンドによってSFノワールは、主人公の科学技術に対する苦悩と逃れられない宿命、新世界に対応できず、そこから脱けだそうとする脱管理社会の欲望といったオリジナリティを有すことになる。その意味でSFノワールは、SF映画とフィルム・ノワールの両方の要素と特徴を有したポストモダン的ジャンルであると同時に、その混合によって生じるオリジナリティを魅力とした混成ジャンルと言えるだろう。そして興味深いことに、このジャンルは実のところフィルム・ノワールとは対照的にハイ・バジェットで製作され、興行的な成功をも収めている作品ばかりであり、フィルム・ノワールよりも長い歴史を有しているとポール・ミーハンは指摘する。
実際に、SFノワールの起源的作品は、今のところサイレント時代に製作されたフリッツ・ラング監督のドイツ表現主義映画の代表作『メトロポリス』Metropolis(1926)であるという見解が支配的であり、『メトロポリス』は『ブレードランナー』にもおおきな影響を与えた作品としても知られるほどSFノワールの潮流的傾向を見せていた。本作では大企業の頭によって機械のように扱われ、画一的な行動と過酷な労働、不当な要求を突き付けられる労働者たちが描かれる。裕福層の主人公は、母性的なヒロインに導かれ地下都市の労働者の過酷な作業を体験し、管理社会から労働者を解放しようとするが、ヒロインに化けた人造人間が労働者を扇動し、反乱を起こさせる。支配層の犯罪と罪なき労働者たちへの抑圧、そこからの解放、そして科学技術と大都市の脅威。様々な要素がこれまでのSF映画とは一線を画す裏社会の香りを醸し出していたが必ずしも犯罪の雰囲気を前面に押し出していたわけではなかったように思える。ではSFノワールにおける真の先駆的作品は一体何の作品なのだろうか。この点を考えた時、まず先駆的作品として挙げられるのが実験的で芸術的なジャン=リュック・ゴダール監督の『アルファヴィル』Alphaville(65)ではないだろうか。
本作は地球から遠く離れた星雲都市アルファヴィルに派遣された探偵を主人公にし、そこで彼は、人々がアルファ60という電子指令機の命令に従うまま感情を持たずに日々を過ごす管理社会を目撃することになる。そして彼は感情を忘却させられた女性と出会い、アルファ60を破壊し愛や優しさがなんであるのかを彼女と分かち合いながら地球へと帰還する。探偵や犯罪、腐敗社会といった点でフィルム・ノワール的であり、科学の管理社会に囚われて抜け出そうとするSFノワール的慣例を見せるという点でSFノワールの潮流に包括することができるだろう。
だが『アルファヴィル』は極めて実験的で、決して大衆向きの作品ではなかった。本格的にSFノワールが大衆に受け入れられ、ジャンルとして注目されるようになったのは、恐らくリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』とアレックス・プロヤス監督の『ダークシティ』Dark City(98)、そしてジェームズ・キャメロンの『ターミネーター』The Terminator(85)の興行的批評的成功からではないだろうか。
『ブレードランナー』は近未来の大都市を舞台にしながら、レプリカントという労働目的で製造された人間そっくりの生き物を排除するブレードランナーという抹殺者を主人公にしており、彼は汚い仕事に疑問を抱き、そこから逃れようとするが逃れられないでいる。大都市は彼を閉じ込め、圧迫する閉鎖的独房として暗喩的であった。
『ターミネーター』は恐らくSFノワール(もしくはTech Noir)を最も意識した作品である。現に本作でアーノルド・シュワルツネッガー演じるターミネーター(殺人マシーン)が標的の女性を殺すために酒場へと入っていき銃撃するシーンで、その酒場の店名が映るわけだが、それが(上図)「Tech Noir(ハイテク・ノワール=SFノワール)」なのである。この店の看板や店名は、このシークエンスで何度も姿を現す。一種のお遊びではあるが、『ターミネーター』がサイバーパンクの流れを受けて製作されたSFノワールであることを自ら強調していることはほぼ間違いないと言ってよいだろう。
アレックス・プロヤス監督の『ダークシティ』も近代的で退廃的、それでいて暗黒気質の都市を舞台に、連続殺人鬼に仕立て上げられた主人公の犯罪に対する疑惑と現実に対する懐疑、そしてヒロインの献身的な愛と共に宇宙人によって実験台とされている大都市から抜け出そうとする展開が確認できる純粋なSFノワールである。自分ではコントロールできない囚われの社会からの脱出願望と犯罪、警察、母性的なヒロイン、銃撃戦や死闘など、ノワール的な雰囲気と主題を有しており、この『ダークシティ』の世界観と街をクリエイション(人生を再設計する)という展開と描写は、クリストファー・ノーランのSFノワール作品『インセプション』Inception(2010)やウォシャウスキー兄弟監督の革命的作品『マトリックス』The Matrix(99)に引き継がれていく。
『インセプション』は人の夢の中に侵入し、アイディアを盗むという裏社会の仕事をする主人公(レオナルド・ディカプリオ)が足を洗うための最後の仕事として夢の中で記憶を埋め込む「インセプション」という作業をする様をスリリングに描いた作品である。腐敗社会と犯罪における魅惑と危険、夢の中に入り込むという科学技術の驚き、そして闇社会に囚われ、抜け出そうとする主人公のメランコリアと葛藤は、SFノワールの典型と言ってよい。
またアンドリュー・ニコル監督の『TIME タイム』(2011)や『ガタカ』Gattaca(97)も近未来を舞台にしながら権力者たちによる管理社会に囚われて、そこから何とかして抜け出そうとする主人公と献身的なヒロインの犯罪を描いているし、『LOOPER/ルーパー』Looper(2013)はフィルム・ノワールで頻繁に見られる古典的な拳銃を見せびらかしながらタイムマシンとノワール的なキアロスクーロ、そして闇社会の犯罪から足を洗おうとする主人公を描いているという点でSFノワールの典型的作品と言える。
さらに未来に起こる犯罪を予知して事前に「殺害予定」の犯人を逮捕する主人公をトム・クルーズが演じたスピルバーグ監督の『マイノリティ・リポート』Minority Report(02)では、主人公が麻薬に溺れた人物として描かれ、彼自身が「殺人予定」の犯人として指名手配されてしまうことでサスペンスが展開していく。指名手配犯となった主人公は腐敗社会に身を潜め、犯罪に手を染めていき、最終的に彼は予知された通り、殺人を犯してしまう。こうした一連の事件は後に権力者の陰謀であったと明かされるが、本作は未来を予知できる未来社会によって観客に驚きを提供しながらも、そうした徹底した監視社会と非倫理的な腐敗社会を怖しいもの、あるいは魅惑的なものとして描いていた。そして『マイノリティ・リポート』は、慣例的物語展開やテーマに加え、退廃的で暗黒気質な世界観を表現しており、それはネオ・ノワールにおける特徴的な様式と一致している。また時間と運命に翻弄され、そこから抜け出そうとする犯罪者の主人公および彼を信じて助けようと行動する妻の姿を描いているという点で、本作はSFノワールの代表作として位置付けられるだろう。
他にも『12モンキーズ』12 Monkeys(96)や『13F』The Thirteenth Floor(99)『アイ、ロボット』I, Robot(04)『トゥモロー・ワールド』Children of Men(06)『ダークナイト』The Dark Knight(08)などSFノワールは現在のアメリカ映画において枚挙に暇がない。科学技術や別世界の驚きだけを提供するSF映画とは明らかに異なっていることからも、SFノワールはジャンルとしての特殊性を有した作品群と言って良いだろう。何気なく観ている作品が、幾つかのおなじみの展開や主題を有したジャンルであることを念頭に見れば、それも面白い。今後のSFノワールの潮流を注意深く観察するためにも下に既に挙げたSFノワールの特徴を列挙しておいたので参考にしていただければと思う。
■ SFノワール(Science Fiction Noir)の定義と慣例 ■
・SFノワールとは、犯罪と腐敗社会の魅惑と危険を描くSF映画のサブジャンル。
・犯罪と腐敗社会の魅惑と危険に関する物語。
・科学技術と人間との関連を描き、未知のものや新しいものに対する観客の驚嘆意識に訴えかける。
・近未来及び非人間的な都市空間を舞台として描き、そこは自分でコントロールできない囚われの堕落世界であることがほとんど。
・管理社会や闇社会に囚われて抜け出せない人物を描く。
・新世界に対応できないか、もしくは抜け出せないことに対する男性的不安が主題。
後藤弘毅
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■