『鶴山裕司の小説について考える文芸誌時評―No.004 小説を読むことは書くこと―辻原登「いかなる因果にて」(前・後編)』をアップしましたぁ。辻原登先生の令和六年(二〇二四年)集英社文庫刊の短編集『不意撃ち』の中の「いかなる因果にて」を詳細に読み解いておられます。
鶴山さんは「小説を読むことは書くことである。両者は一体だ」と書いておられますがまったくその通り。詩や小説を的確に読解する能力がなければ優れた作品は書けません。これは批評が書けるかどうかとは別です。鶏―卵の関係に似ていますが真剣に作品を読みその技法や思想を学ぼうとすればその機微や本質は身につきます。言語化できなくても作品が本質をつかんでいると主張するようになる。
また批評専門家の批評と創作者の批評は違います。特に現代はそうです。現代の批評家の書く批評は作品をダシにして批評家の思想や感情を表現する〝創作批評〟が大半です。批評家が自己主張するための批評だと言っていい。それに対して『鶴山裕司の小説について考える文芸誌時評』は創作のタメになる。創作批評のように読んでもまったく実際の創作に訳に立たないということがない。オーソドックスに見えるでしょうが彼の批評は創作者の側からの創作批評への反撃です。ま、創作批評家からはえっらい嫌われるでしょうけどね(笑)。
■鶴山裕司の小説について考える文芸誌時評―No.004 小説を読むことは書くこと―辻原登「いかなる因果にて」(前編)■
■鶴山裕司の小説について考える文芸誌時評―No.004 小説を読むことは書くこと―辻原登「いかなる因果にて」(後編)■
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