
日本の詩には短歌、俳句、自由詩があるが詩誌の中では歌誌が一番面白い。詩誌には毎月作品が掲載される。ただし小説とは異なり断片的で、結局のところ作品集にまとまらなければ創作意図がわからないことが多い。が、短歌は基本私の実感表現だから読むと歌人の近況が伝わってくる。作品集も同様で何冊も積み上がると自ずと歌人の年代記になっている。
これがいいか悪いのはかもちろん議論がある。ただ人間の人生には必ず事件が起こる。社会的大事件ではなく親の死とか自分の病気など様々である。それを表現できなければ苦しい創作人生になる。
セザンヌは「林檎一つでパリを驚かせたい」と言った。創作の題材は些細な現実でよい。大上段に構えたテーマよりほんのささやかな現実を手掛かりにした方が秀作が生まれやすいと思う。もちろんセザンヌは単に林檎を描いたのではない。キュビズムの先駆を為す静物画が高く評価されている。観念化された現実の強さである。
佐伯裕子の「裕」は、昭和天皇の名前の「裕仁」に由来するのだという。この名前をつけたのは、当時巣鴨プリズンに収監されていた彼女の祖父・土肥原賢二だった。
佐伯は、祖父がA級戦犯として処刑され、自身はいわゆる団塊世代の一人として生きてきた。歴史の断層の両側に足を置く半生だったということになろうか。
もちろん、それは彼女自身が望んだことではなかった。しかし、断層の上にいることが、彼女の創作の根拠となったことは間違いない。
祖父に極刑くだりし夜のことも祝われており侍従長の日記
『未刊の手紙』
坂井修一「連載 かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩― 第七十四回 佐伯裕子、断層の上で」
坂井修一さんの連載「かなしみの歌びとたち」は佐伯裕子さんの回。佐伯さんは昭和二十二年(一九四七年)生まれで結社誌「未来」同人。坂井さんが書いておられるように団塊の世代で祖父は陸軍大将の土肥原賢二。土肥原は戦後GHQにA級戦犯として逮捕され極東軍事裁判(東京裁判)で死刑になった。佐伯の歌にあらわれる「侍従長の日記」は『入江相政日記』のこと。
東京裁判でA級戦犯への判決が言い渡されたのは昭和二十三年(一九四八年)十一月十二日。この日の入江侍従の日記には「広田、土肥原、松井、武藤、東条の五氏(筆者[坂井]註:本当は七氏)に絞首刑、東郷氏二十年、重光氏七年、他は終身禁固刑といふこと。木戸さんが絞首刑にならなくて本当に結構だつた。今夜ははしなくも祝宴のやうなことになった」とある。木戸幸一が死刑を免れたことを内々で祝ったわけだ。木戸は内大臣で政府と皇室の橋渡し役だった。天皇と皇室に忠実で『木戸日記』や彼の宣誓供述書が東京裁判で昭和天皇の戦争責任が問われなかった一因になったと言われている。
東京裁判に先立つニュルンベルク裁判(一九四五年[昭和二十年]~四六年[二十一年])でゲーリングは無罪を主張した。政府高官とはいえ軍人は命令に従うほかないといった主張だった。東京裁判でもパル判事がA級戦犯全員の無罪を主張する意見書を提出した。東條由布子(東条英機の孫)の戦後の言論活動を見ても戦争責任の議論は一筋縄ではいかない。
今はどうか知らないが僕が大学生だった一九八〇年代にはまだ左翼思想が根強く社会学概論などで天皇の戦争責任を追及する講義が行われていた。彼らの主張は天皇が統帥権を持っていた以上、最高指導者として戦争責任が問われるのは当然というものだった。しかし現実には連合国の東京裁判で無罪となり法的責任はないと認められた。この経緯に戦後すぐ始まっていた世界情勢が大きく影を落としているのは言うまでもない。
これは根深い問題で今も続いている。将来も完全解消されることはないだろう。天皇の統帥権を定めたのは大日本帝国憲法だが明治維新から太平洋戦争敗戦まで天皇は神格化されていった。明治元年(一八六八年)から昭和二十年(一九四五年)の七十七年間である。戦後は象徴天皇制になったわけだが今年令和八年(二〇二六年)まで八十一年の月日が流れている。戦争に突き進んだ年月と象徴天皇制になった年月はほぼ同じだ。
戦後の左翼思想家たちが主張したように天皇が危険な装置であるのは確かである。戦争は外国との対立で起こる。国内法は通用しない。もし戦争が起これば日本を一つにまとめあげる装置として天皇制は機能するだろう。利用しようとする者は必ず現れる。ただどなたも声を上げない(上げられない)が天皇家が戦後の平和日本に強く寄与してきたのも確か。いったんコトが起こればどちらに転ぶのか誰にもわからない。戦争責任が結局は勝ち負けによって左右されるのも同じだろう。
くびられし祖父よ菜の花は好きですか網戸を透きて没り陽おわりぬ
ああ空の何処も見えぬ父の背に負われてふかく血の搏ちあえり
『春の旋律』
窓ガラスかすかに揺るる八月の玉音に似てフルトベングラー
『未刊の手紙』
坂井さんは佐伯さんの歌集から祖父・土肥原賢二を巡る歌を抜粋しておられる。「どれも壮絶な内容をもつ歌である」とある。ただ佐伯さんの歌に対する「断層の上にいることが、彼女の創作の根拠となったことは間違いない」という評価には戦後の時間が重なっている。
戦中と同様に戦争直後の社会も一筋縄ではいかなかった。文学者はおしなべておとなしいが荒ぶる〝無頼派〟と呼ばれる作家たちが現れた。なにがなんでも生き残り物質的によりよい生活を送ろうとする醜くも強靱な生命力を持った人々の姿は松本清張『黒革の手帖』、有吉佐和子『悪女について』、山崎豊子『白い巨塔』などで盛んに描かれた。しかしこれが一九六〇年代の高度経済成長期に現れた作家たちくらいから変わってくる。戦後的生命力に溢れた作家も作品もスーッと消えていった。
人間は生まれて来る場所と時代を選べないので人生においてなんらかの社会的「断絶」を経験する。団塊の世代にとって大文字の断絶体験は二度の大きな政治の季節である安保闘争だろう。しかし本当にそうだろうか。最も大きな断絶は高度経済成長社会であったように思う。二十代で安保闘争を経験してもその後の人生の方が長い。安保闘争の一つの軸であった社会主義思想は力を失い誰もが日々の生活に飲み込まれていった。
僕は池上晴之さんとの対話『日本の詩の原理』で戦後詩人を徹底討議した。鮎川信夫から始めて戦後詩先駆の小熊秀雄まで十六人の詩人を取り上げた。物故詩人しか論じないというルールを決めたのでいわゆる団塊の世代の詩人は渡辺武信、天沢退二郎、菅谷規矩雄、鈴木志郎康の同人誌「凶区」の詩人たち四人だけである。ただ現存詩人を含めたとしても団塊の世代以降の詩人たちの数はそれほど増えなかっただろう。
戦後詩――あるいは戦後文学が彼らの世代で終わってしまったからではない。戦後詩は本質的に鮎川や田村隆一らの「荒地」世代で終わっている。その後、戦後詩や戦後詩と同時発生した現代詩の遺風を継ぎその可能性を引き延ばしていった〝戦後の詩〟の時代が長く続いただけである。これは小説はもちろん短歌や俳句の世界でもほぼ同じことが言えると思う。団塊の世代以降の文学者の時間は戦中・戦後の断絶を消化しソフトランディングさせるためにあったような気がする。その苦闘と努力が高く評価されるためには晩年に近づきつつある団塊の世代のもう一押しが必要なのではないか。
こおろこおろ産みの言葉のやわらかさはじめから脆かったなあ私たち
『ノスタルジア』
あめつちのふくらむひかり人体は消耗品に成り果つといふに
『流れ』
悲には悲が嘘には嘘が救いなり六十年経てようやく分かる
『感情生活』
よい歌ですね。
鶴山裕司
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