日本文学の古典中の古典、小説文学の不動の古典は紫式部の『源氏物語』。現在に至るまで欧米人による各種英訳が出版されているが、世界初の英訳は明治15年(1882年)刊の日本人・末松謙澄の手によるもの。欧米文化が怒濤のように流入していた時代に末松はどのような翻訳を行ったのか。気鋭の英文学者・星隆弘が、末松版『源氏物語』英訳の戻し訳によって当時の文化状況と日本文学と英語文化の差異に迫る!
by 金魚屋編集部
夜顔(「夕顔」)
さて、惟光の探る美女のほうに話を戻しましょう。今一度の詮索ののち惟光が参じて報せたことには――出入りをしている男がおります。それもまこと忍びやかなでなかなか顔を見せません。そこで今日こそはと思い定めた晩のこと、門外に身を隠して潜んでおりますと、程無くして車のやってくるのが聞こえ、隣家の家人らが代わる代わる顔を覗かせます。彼の君の姿もありました。垣間見たばかりですが、それでも十分惚れ惚れとするような御方でございましたよ。やがて車が見えてきました。やんごとなき主人を載せているに違いないという風情に、覗き見の女童が「右近殿、見て見て、中将様です」と喚ばわりますと、次いで目上の侍女が両掌を揉みしだいて顔を出し、「ばか、静かにおし」と嗜めます。はて、どうして中将が乗っていると判ったか。隙を窺って忍び寄りました。隣家の手前には小川が流れており、板切れが一枚橋として渡してあります。客人がその板橋に差し掛かったところで笑い話がありまして。目上のほうが慌てて迎えに出てきて橋を渡ったところで、着物の裾を引っ掛かけて、あわや小川に転げ落ちそうになったのです。「この腐れ板、こりゃどこの粗工*1の仕業か」という女の顔色を失くした恨み節のおかしなことときたら。客人は直衣姿で童を一人従えておりましたが、それが誰あろう頭中将様の童でございました。
「その車とやらこの目でも確かめたいものだ」とじっと聞き入っていた源氏が口を挟むも、続く言葉は飲みこんで胸の内に留めます。ではあの家がいつか言っていた幼子の。雲隠れ先を突き止めたわけだ。
「それからもう一人」と惟光が続けます。「隣の家人と馴染みになりまして、その伝でより詳しく穿鑿したところ、橋から落ちかけた例の女は彼の君の女房、それは慥かなのだけれど、家内では同じ身分を装っているとか。ときに女童がその秘密を言い漏らしそうになると、二人があわてて口をふさぐそうで」と話しながら惟光が笑います。「騙し通せるものか見物ですね」
はは、と源氏も笑い、「今度母君を見舞ったついでに見物させてもらおう、うまく手引きをしておくれよ」と返す言葉の余韻にあの健気な夕顔が花開き、眼裏にありありと浮かんでくるのでした。

この後の惟光の働きたるや。いつ何時でも源氏の求めには直ちに応じ、色々の企てを巡らすのが性に合っているのでしょう、一向吝かではないのです。源氏の目論見のために有りと有る手を尽くし、夕顔方にも取り入って、ついに源氏との逢瀬まで取り計らってみせました。いかなる企みを用いたか、ここで一つずつ詳らかにすればきりがありません。源氏は夕顔のもとに通い詰めるようになりましたが、極めて用心深く正体を隠しておりました。逢瀬を重ねても夕顔の過去に関することは何も聞かず、また自分自身のことも何も語りませんでした。通い路に車は出さず、専ら惟光の馬を借りて行きました。供に連れるのは、はじめに夕顔の花を採りに行かせた一人のみ。身元に通ずることを恐れて、乳母を訪うこともなくなりました。しかし、どこの誰ともわからぬ恋人にいつまでも心安くいられるはずもなく、夕顔はときに遣いを出して、来し方なり行方なり判ればと、源氏の後を付けさせました。が、偶々なのか仕掛けられてか、源氏は決まって見張りの目をすり抜け姿を晦ましてしまうのです。召物もありきたりで変わったところがないし、お出でになるのはいつも夜更けになってから。古より言い伝えられし不可思議事にでも囚われているような心持ち。でもきっと、あのような品の良さと物腰を備えられているのはやんごとない御方のはずなのです、なのに正体が掴めない。夕顔はこうも奇妙な巡り合わせに巻き込んだ廉で惟光を咎めもしました。しかしいくら夕顔に詰られようと惟光は何食わぬ顔で取り合わないのでした。
【註】
*1 かつらぎ(葛城)は日本神話に登場する醜面の神。ある法力者の命で架橋普請に動員された。
(第27回 了)
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