
今号掲載の「特別鼎談 生のことば―農と俳句 若井新一×太田土男×鈴木牛後」はとても面白かった。お三人とも農業や酪農を仕事になさっている(いた)俳人である。若井さんは実家の農家を継ぎ現在も新潟の南魚沼市で稲作を続けておられる。太田さんは東京教育大学(現筑波大学)で牧草の研究を始め盛岡の東北農業試験場で研究を続けられた。鈴木さんは二〇〇〇年に北海道で酪農を始め二〇二三年に引退され現在は埼玉県に引っ越しておられる。お三人とも数々の俳壇の有名賞を受賞なさっている。
俳句に季語――四季の移ろいというよりも春夏秋冬の永遠の循環性――が不可欠なのは言うまでもない。五七五の定型は崩れていても原則として季語のない俳句はあり得ない。人事や著名俳人の忌日などの季語もあるがそれらも四季に対応している。この季語に最も密接に関連しているのが農業である。近代以前の日本は農業国でしたからね。
午近しはやも隠るる稲の花 宇多喜代子
太田 (前略)一読では気づかない人も多いかもしれませんが、事実に基づいて書かれた句なんです。(中略)「稲の花」は昼頃の二時間ほどしか咲かないわけです。まさにそのことを踏まえていて、自家受粉が終わったらすぐに萎んでしまう場面を的確に美しく詠んでおられると思います。
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西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森澄雄
若井 (前略)田の畦をほったらかすと、いつでもモグラやネズミが畦に穴を開けます。(中略)百姓が田の水を漏らさないために、モグラとネズミ対策に毒の強い曼珠沙華を、畦にビッシリと植えました。水を大事にする百姓の根性と願いが花に込められています。
更にもう一つ、大切なことを見逃してはならないことがあります。飢餓になったときの代替品として曼珠沙華を植えていた可能性が強いです。曼珠沙華の根を水に浸して毒素が出た後、干して貯蓄すれば非常食になります。百姓の緊急の食糧としても機能した一面もあります。
宇多喜代子さんと森澄雄さんの句への太田さんと若井さんの評釈である。農業の実際に即して句を解説しておられる。評釈は作者がいつ、どこで、どんな気持ちで句を詠んだのかを解説する場合が多い。いつ、どこでは評釈の前段でメインは「どんな気持ちで」の解説になることもしばしばだ。ただそれをやり過ぎると評釈者の深読みになる。凡句が秀句に化けたりするわけだ。まあそんな評釈は長続きしませんが。お三人の句に対する評釈も紹介しておきましょう。
新米の草の実一つ摘まみ出す 若井新一
若井 今は農協のカントリーエレベーターという装置に、生籾を入れてそのまま乾かすのです。(中略)確かに現代では機械を使うというのは仰せの通りです。自宅で玄米を調整し出荷する時は、わざわざ探すわけではありませんが、今でも田稗や草合歓の種のように生命力が強い草の実が袋に入っているのを見たら、可能な限り取り除きます。消費者にはなるべく粗相のないようにという、完全癖を持って仕事をしておりますので、太田さんにプロ意識と仰って頂けて、とても嬉しく光栄に思った次第です。
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四百の牛掻き消して雹が降る 太田土男
鈴木 太田さんご自身の〈四百の〉の句は、二通りに読めると思いました。雹がパーッと降って林の中に牛が逃げたという場面か、あるいは牛が見えなくなるほどの雹が降ったのか、どちらにも読めるのではないかなと。
若井 私は心象の部分が少しある後者の場面を詠んだ句かなと思いました。
鈴木 隠れるところが全くなかったら牛もどうしようもないかもしれないけれど、もし隠れられそうなところを覚えていたら、牛はそちらに行きますからね。水場とかは一回で覚えてしまうくらい牛は本当に賢い動物です。
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牛死せり片眼は蒲公英に触れて 鈴木牛後
鈴木 牧場は春になると蒲公英だらけになるんです。牛に踏まれて弱るような草は育たないので、蒲公英は強い雑草の一種なんですね。蒲公英の絮がパーッと舞った後に、牛が蹄で踏んで土に定着させる。私としては当たり前の景色だったのですが、この牧場の実景を知らない人から見れば、人間と蒲公英と牛という三つの生命の交錯する鮮やかな取り合わせが良いと思ってもらえたのかなと振り返っています。
いずれの句も現実に即している。もちろん現実そのままの実景ではない。高度な言語的操作がほどこされている。また前回取り上げた摂津幸彦さんの「国家よりワタクシ大事さくらんぼ」のように抽象観念を自然の季語で表現する句も多い。ただモノの姿形が明瞭で景色(光景)が見えて来る句の方が秀句・名句になりやすいのは確かである。
鈴木 野生動物は常に鬩ぎ合いをしていますからね。牧場ではたびたびそんな情景を目にしておりました。
若井 動物も植物も突き詰めれば、弱肉強食の世界が見えてくるでしょう。
太田 生物たちがどのように生きているのかという世界をじっくり見れば、自分たちもどう生きていけばいいのかという勇気を貰うことにきっと繋がるはずですからね。
最後にお三人は自然の厳しさを語っておられる。共通して農業を営んでおられるとはいえ、自然から学んだ厳しさが反映されているので魅力的な句が生まれるのだろう。学ぶものが多い鼎談でした。
鶴山裕司
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