
特集は「未来の結社はどうなる?」。まだ江戸を引きずっていた明治時代には小説や自由詩の世界でも結社や師弟制度――とまではいかないにせよそれに近い師弟関係――があったが今ではなくなってしまった。しかし短歌・俳句という日本伝統短詩型文学ではいまだ結社と師弟制度がある。まあ結社と師弟制度(関係か)はセットですな。結社員(門弟)は尊敬する主宰(宗匠)が運営する結社に加入するわけだから。
ただそれが揺らぎ始めている。情報化社会が大きな要因の一つだろう。短歌・俳句は短い表現だから誰でも簡単にSNSで発信することができる。紙媒体に頼る必要はない。文学好きの若者も激減しているので高校・大学の文芸部などの活動も盛んではない。なるほど俳句界ではコンペの俳句甲子園などがそれなりの参加者を集めている。その一方で細々と俳句を書きSNSを活用して日本中に同じような嗜好の仲間を探す俳人もいる。さて、昔ながらの結社はどうなってゆくんでしょうね、という特集である。
俳句(俳諧)や連歌は、日本独自の形式から生まれた文芸である。西欧文学や詩とはそもそも本質が異なるものである。(中略)
またなぜ日本では短歌・俳句をつくるのに「結社」というものがあり、弟子の作品を師が添削修正するという習慣が長年つづいているのだろうか? その問題を考えることが結社存在の特色と関係してくるのである。(中略)
俳句(俳諧の時代から)は、西欧の文芸とは異なり、師弟の共鳴(添削)によって、ひとつの作品となり得る要素があり、これは決定的に西欧の文芸とは違う成り立ちから出来ている。それは歴史をたどれば明らかなことである。
さて、今度の特集に話を移そう。コロナ禍以後、いろいろな環境の変化により、結社雑誌も維持することがなかなかむずかしい状況になりつつある・・・(後略)
石寒太「新しい結社が新の俳句を生む」
特集では結社誌「南風」主宰の村上鞆彦、「たかんな」主宰・吉田千嘉子、「ランブル」主宰・上田日差子、「家」代表・加藤かな文、「森の座」代表・横澤放川、「麒麟」主宰・西村麒麟さんも結社について書いておられる。皆さん結社運営に苦労しておられる。吉田さんによると一九九五年には七六九あった結社が二〇二五年には五三九まで減っているそうだ。減ったとはいえそれなりの数ですな。また特集には「ホトトギス」や「鷹」「古志」などの大結社の主宰は書いておられない。中小結社主宰は運営に苦労しておられるようだが大結社はどうなんでしょうね。
それはともかく石さんは俳句は「西欧文学や詩とはそもそも本質が異なる」、結社主宰(宗匠)による門弟の俳句添削も、俳句が「西欧の文芸とは違う成り立ちから出来ている」からでありそれは「歴史をたどれば明らかなこと」だと書いておられる。そのとおりだが「しかし」でもある。
批判するつもりはないが、俳人の思考はまず間違いなく問題の入り口でピタリと止まる。俳句は西欧文学と本質的に異なるという所までは思考は及ぶが、では何が決定的に違うのかまでは探求しない。五七五に季語定型についても同様。うにゃむにゃ言ったあとに「とにかく五七五に季語なのっ!」の振り出しに戻ってくる。
明治維新以降の日本文学で標準になった欧米的自我意識文学(夏目漱石の近代的自我意識文学)と俳句の何が決定的に違うのかは『正岡子規論』で完全解明した。俳句は世界でも稀な非―自我意識文学である。俳句は日本文化が内包している調和的かつ循環的世界観を写すためにある。座(結社)が必要で宗匠による添削が可能である理由も簡単に説明がつく。
座は基本お遊びと笑いの場である。非―自我意識文学である俳句では人間の自我意識は邪魔だ。それを無化して無意識的に調和的かつ循環的世界観を写す(表現する)ために座はある。俳句からお遊び要素は排除できない。また理論化できなくても宗匠は俳句の本質を直観把握している。それなりの俳句宗匠について俳句を勉強すればある程度のレベルまで確実に俳句は上達する。近・現代人なら当然持っている奔放な自我意識(自己表現)を宗匠にたわめられ広義の写生を習得しなければ俳句は決して上手くならない。
『子規論』で俳句原理を明らかにしたと言ってももちろん独力ではない。蕪村―子規の俳句と理論はもちろん、現代で初めて俳句を完全相対化しようとした高柳重信の前衛俳句理論に沿っている。特に重信前衛俳句を継承した加藤郁乎―安井浩司の俳句は、俳句が非―自我意識文学を通過しなければ独自の自我意識を表現できないことを明確に示している。今のところ僕の『子規論』は俳句の世界で完無視されているが原理は動かない。そのうち一般化するでしょうね。
ただ理論と〝現場〟に差があるのも確かなことだ。この俳句時評で僕は俳人は視野が狭い、俳句に夢中になるとほかには何も見えなくなってしまうと何度も書いている。俳人さんたちは気を悪くされただろうが無責任な悪口ではない。現実問題としてなぜそうなってしまうのかを考えている。それも解明しなければ俳句を完全理解したことにならない。
安井浩司は河原枇杷男について、河原はスゴいヤツなのだが俳人でいる限り、たかが河原枇杷男に過ぎないのだと書いた。まったくそのとおりである。河原だけでなくほとんどの俳人がそうだ。俳壇で有名でも一般社会に名前が知れた俳人はほとんどいない。スゴいことをやっていても広く認められない。俳句はずっと文学の刺身のツマでありそれは今後も変わらない。歌壇では福島泰樹が短歌を文学の表舞台に立たせようとして「月光」を創刊したがうまくいかなかった。俳句も同じだろう。
俳句は芭蕉「古池」一句を直観理解していれば誰でも詠める。簡単な表現のようだが実はあらゆる文学の中で俳句が一番難しい。名句を詠むなどほとんど奇蹟である。だから俳人たちは前のめりになる。俳句に一所懸命になってそれ以外見えなくなる。しかし途中で諦める。俳句に飲み込まれ俳句に滅私奉公するようになる。俳句は究極を言えば〝歳時記〟である。俳人がどんなに意匠を凝らし力を入れた句集でもやがて解体される。自分の句が歳時記に一句二句収録されればもって瞑すべしの世界である。それはどんなに足掻いても変わらない。
俳人は楽しそうではない。これは実感だ。ほとんどの俳人が苦虫を噛み潰したような顔をしている。俺の、わたしの俳句は素晴らしいのになぜ俳壇で認められないのだという不満が顔に出ている。現代人なら当然持っている強い自我意識(自己顕示欲)と俳句の非ー自我意識文学という原理が齟齬を起こす。ほぼ全員が俳壇にどっぷり首まで浸かりながら口を開けば俳壇の悪口を言う。それは健全ではない。不幸なことだ。
俳句に一所懸命になるには俳句の逆接を底の底まで知る必要がある。遊びながら本気になること、本気だということを気取られないように笑い遊びながら本気になる必要がある。俳句の主体は常に〝俳句〟である。〝私〟ではない。私が俳句に一矢報いるためには俳句の後ろ頭をスリッパで叩くような方法が必要だ。
僕は俳句に強い興味を持っているが俳壇的野心はまったくない。ただ正面中央突破で実践でも俳句の現状を変えたいと思う。余力があったら句集を出し蕪村論なども書き俳句結社を持ってみたい。俳壇は芭蕉時代から結社主義である。一茶の幕末になると現代とあまり変わらない結社専横になっている。それはくだらないが今後も結社はなんらかの形で残るだろう。それを無視する方が逃げだろう。結社を持ってそれを内部から換骨奪胎するのは楽しいでしょうなぁ。
鶴山裕司
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