表健太郎句集『鵲歌*黄金平糖記』
発行 令和三年六月三十日
私家版 限定二十部
発行所 調布市緑ヶ丘二丁目二十七番地一号
印刷・製本五時館
もうずいぶん前に表健太郎さんから私家版句集『鵲歌*黄金平糖記』を贈っていただいた。書評というか紹介文を書かなきゃと思いながら時間が経ってしまった。私家版二十部の句集だが増刷版で、初版の方は背綴じで僕がいただいた増刷版は中綴じである。初版は見ていないが増刷版と同様に瀟洒な造りなのだろう。
わたくし『鵲歌*黄金平糖記』のような手製本が好きなのである。世の中には何でもお手製がいいという人がいるようだが、手製本だから好きというわけではない。単純だが「ああ、センスがいいなぁ」と思わせる手作り本が好ましい。
短歌、俳句、自由詩の世界では99パーセントの作品集が自費出版である。そのため人任せにしない限り著者の好きなように本を作ることができる。装幀にまで著者の好みというか思想が自ずと表現されるわけだ。お金をかけた豪華な装幀ならいい本になるわけではない。ガリ版刷りやコピーを束ねた製本であっても良い本は作れる。もちろん一番重要なのは内容だが自分の本にどんな外行きの衣装を選ぶのかという所から作品集の一部である。
ががんぼを叩くや闇になる辺り
光とも声とも枇杷の葉陰より
「鵲歌」篇巻頭
句集タイトル通り、内容は「鵲歌」篇と「黄金平糖記」の二部構成である。「後記」に「集名『鵲歌』は父の生家であり、ぼくにとっては祖父母の家があった神奈川県の鷺沼海岸から採っている。(中略)収録の五十句は父の一周忌から半年を経過した二〇一十九年六月、ふと見上げた空に言いようのない懐かしさを覚え、促されるようにして一気に書き上げたものである」とある。「鵲歌」篇は亡き父親の悼句集である。そのため光と闇が交互に現れる古いセルロイドフィルムを感じさせるような句が多い。
鳶の輪を逃れ木蔭に息荒らし
陽炎の向こうへ親が子をさらう
包丁の水黒々と祖母の留守
鯉のぼり泳がぬ空に錆匂う
仰向けに寝て帆を待たん胸の沖
水で打つ薔薇には薔薇の躾あり
草笛はすぐ風に消ゆ汗も血も
負け役の祖母の手札よ仏間冷え
海を向く父の後ろも風吹いて
青蜜柑父の掌にあり眩しかり
「鵲歌」篇
確かに悼句だなと思う。何かがすでに終わっている。「逃れ」「さらう」「留守」「泳がぬ」と移動と不在の言葉が多い。作者がある場面を想起して描写しているわけだが中身が抜けている。見つめられているのは今はもうない家の中の闇か。座りのよい句は少ないが、闇の中に中身を残して外側だけを描こうとした句だろう。闇そのものは捉えられないから外縁描写になる。「海を向く父の後ろも風吹いて」にあるように父の顔も見えない。
花の辺のイデアに触れぬ春の道
蝶の目を信じ少年は蠟で描き
雨上がり古典のひばり行き帰る
いまに見る荒磯の秋の無満月
宮中の小鳥逃げ出す文の中
おらんだに五月雨を解く式ありや
思い出を出てまた入る濡れ梟
あやとりの案山子の足を取り損ね
数枚の硝子が前世を震わす
風立てず血族は萩に集まり
万象や右手で書けば右に寄り
「黄金平糖記」篇
「黄金平糖記」篇については「後記」に「いつから書き始めたのかはっきりと覚えていないが、最初の方は六、七年前くらい前の作品であるように思う。「天地論」を書き継ぐなかで思考訓練の試みとして、あるいは発想転換の戯れと称してこぼしてきた疑似作品群である。特に発表はしてこなかったが、捨ててしまうには惜しい気もあり、併載することにした」とある。後半になるにつれペダンティックな句が増えるが比較的平明な句を選んだ。作者にとっての意欲的作品群だろう。
とはいっても作家の資質というか好みは一貫している。巻頭の「花の辺のイデアに触れぬ春の道」にあるように、作家はあるイデアに近接しようとしている。このイデアはブッキッシュなものであり古今東西の古典が召喚される。しかしイデアはなかなか特定できない。「宮中の小鳥逃げ出す文の中」となる。あるいは「あやとりの案山子の足を取り損ね」となる。世界はテキストが織りなす平面世界であり、その中央あたりに窪みがあり、そこに希薄な作者がいて言葉を取り合わせて句を生み出しているような気配だ。
表健太郎さんとは一、二度お目にかかっただけで言葉を交わした記憶もない。ただ作品を読む限りあまり自己主張の強い方ではなさそうだ。「鵲歌」篇といい「黄金平糖記」篇といい、作者の自我意識が凹んで希薄になった位相から句を生み出している気配が伝わる。自我意識が消え去るようなところまで自我意識を追いつめても面白いと思う。
欠伸する猫よ夏雲軒に垂れ
潮風や鳥居を抜けて何もなし
「鵲歌」篇
笹の葉に屈めば過去の息づかい
ふるさとに緋鯉を放つ古き夢
「黄金平糖記」篇
句集から個人的に好きな句を四句選んだ。句は過去(の記憶や文学テキスト)に向かうが何もないから心地よい。
鶴山裕司
(2024 / 6 / 16 5枚)
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