今月号は「第70回 角川俳句賞発表」号。毎回年代別応募者数と男女比が参考資料として掲載されている。年代別応募者で一番多いのが60代の135名。次いで70代の120名、50代の108名と続く。40代、30代、20代は64、47、20名と二桁台ですな。男女比は男性331名、女性214名で男性の方が100人ちょっと多い。
このデータで言うと俳句人口は50代から70代が一番多いんじゃなかろか。定年ちょっと前から定年後の年代ということかな。一番金を貯め込んでて自費出版しやすい年代だなー。男女比では男性の方が多いのも定年に関係しているのかもしれない。ま、男の方がコンペが好きということかもしれませんが。
余談になるが、いや余談ではないか、俳人はもぅ本当にコンペ好きである。結社でも同人誌でも定期的に句会が開かれているが宗匠選か互選かを問わずその日の最優秀賞を選ぶのが一般的だ。ご褒美も用意されていたりする。なんで俳人が句会好きなのかは理由があるわけだがそれを言い出すと〝俳句文学の屋台骨〟が揺らいでしまう。もそっと正確に言うと俳句が明治維新以降の(短歌はそれ以前からだが)自我意識文学ではないという結論に辿り着く。自分本位文学は寄り集まって一等賞を決める相互批評の会など必要としない。
「なに、俳句は自我意識文学じゃないって、そんなの当たり前、そりゃそうーだ」で済ませて日本文学ではもちろん、世界を見わたしても類がない俳句の非-自我意識文学としての特徴を掘り下げりゃいいようなものだが、俳人はどーもそれが気にいらないらしい。あくまで俳句は自我意識文学であり、作家性や独自の作風とやらにこだわる。個々の俳人ごとに違う作家性、作風が絶対的に存在するというタテマエに固執する。そーかい? たいてい似たり寄ったりじゃんと思うのだが、んなことまともに聞いてくれる俳人はほぼ皆無だ。
俳句は実に簡単だ。誰でも詠める。プロ宗匠俳人がそー言っているのだから「そりゃそうだ」の常識だ。でも門弟になると「俳句は難しいよー」になる。それも「そりゃそうだ」なのだが、なんで誰でも詠める簡単な俳句が急に難しくなるのか、そこんとこ、ちゃんと説明してくれる俳人もほぼ皆無だ。痩せます、健康になれますの誘い文句でフィットネスクラブに入会して、トレーナー料金を追加で取られるようなもんだな。
まあ憎まれ口を利いていても仕方がないのだが、俳句はうわべを撫でていれば爽やかなのだが俳句界あるいは俳壇に入ると途端にドロドロする。同人誌でも結社でも柵の中に囲い込んだ俳人が句集を出すと「ガンバレいいぞ素晴らしい」の連呼になるわけだが、この麗しい互助会の一方で俳句甲子園だのなんだの抜け駆けコンペに血道を上げている。そんなに一等賞が欲しいのかぁと思うのだが欲しいんでしょうな。ドロドロというのはどー見ても矛盾だけの世界だからだ。ほんで俳人は誰の目にも明らかな矛盾を一切解消しようとしない。矛盾を指摘されても馬耳東風だ。上から下まで「俳句は575に季語なのっ!」のお題目さえ唱えればすべて目出度く解決の免罪符になると思っている。大きな意味での俳句至上主義の利権集団になっているように見えますな。
立ち始めなる門松のよそよそし
どこからが梅林といふわけでなし
たまに来てたまにもたるる夏木あり
悲しくも淋しくもなく緑蔭に
何となしに横になりしが昼寝かな
日向ぼこ口の中にも日の差せる
生まれたてなる夏雲の白さかな
うらおもてなきが如くに竹落葉
籐椅子に坐るでもなく手を掛けて
梅雨の蠅低く飛んだり止まつたり
角川俳句賞受賞作品 若杉朋哉「熊ン蜂」より
角川俳句賞受賞作は若杉朋哉さんの「熊ン蜂」。特に角川俳句は急激な虚子回帰、虚子神格化に向かっているが、虚子より遙かに淡い写生句、写生的心情句を最大限に評価するようになっているようだ。どこまで淡くなるんだろうなー。そのうち超絶技巧俳句はAIの独断場になるんじゃなかろか。
大鷲の死屍にありつく日暮かな
手袋を借りて両手の獣の香
配食を待ちたる人の聖夜かな
年の瀬の鸚鵡は人語話しけり
のどぼとけ鳴らす僻者礼者かな
折藤家鴨「いつか朽ち」より(対馬康子選)
吐く水のさみしき色を鬼うつぼ
毛坊主の見えぬ首筋寒やいと
紙の上に句這い出づる小春かな
磯千鳥雑魚を小さく死なしめし
川八目廻る痩せゆく橋脚を
花尻万博「南紀」より(岸本尚毅選)
葉隠れの白髪太郎を祀らんか
鬼虫や巨いなる無をとはに曳けよ
かりがねや口ひらくみな空洞果
胴鳴りの空柱のしぐれけり
手袋が摑むましろき空華かな
斎藤秀雄「劈開」(岸本尚毅選)
角川俳句賞では正賞と佳作、そして選考委員の先生方選の「推薦作品10句抄」も掲載されている。折藤家鴨さん、花尻万博さん、斎藤秀雄さんの句は「推薦作品10句抄」の一部だが俳句が個性重視、独自作風重視の自我意識文学ならこれらの作品の方が受賞作や佳作より作家性が強いように思う。ただし選句なのでアベレージ的には受賞作や佳作ほど評価できなかったのかもしれない。
いずれにせよ受賞作と佳作を見る限り、淡きこと水の如しの句が高く評価される傾向があるようだ。コンペ好きの俳人の皆さんは入選作と選評を穴の空くほど読んで次回コンペの傾向と対策をお立てになるといいだろう。
荒々しき指環の痕や晩夏光
あななすあななす土の貧しきことを言ひ
旧盆の島にまばゆき闇がある
廃墟より廃墟へ手紙鳳仙花
太陽のかくも老いたり女郎花
不幸まであと何糎流れ星
花カンナうつらうつらと町の老ゆ
辻遊郭
体売る仕事・茸を売るしごと
甘蔗刈のおほぞら誰も裏切らず
櫂未知子「琉球」より
句誌を読んでいてハッキリとした作家性を持つ句に出会うことは少ないのだが、櫂未知子さんの句にはそれがある。また作家性を強く感じる俳人は男性より女性の方が多いような気がする。
「琉球」連作は沖縄に行った体験が元になっているようだ。何か強い怒りを秘めたような連作句だと感じる。ただし吐き捨てるようにぶっきらぼうだが句の表現はとても明るい。
岡野隆
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