今年2024年はアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を刊行してから100年目に当たります。それを記念して「シュルレアリスムと短歌」特集が組まれています。歌人が短歌以外のジャンルや文学運動にも目配りするのはとてもいいことですね。
それというのも短歌に一生懸命になればなるほど短歌が世界の全てになり極端な場合は「角川短歌」や「短歌研究」誌の月ごとの〝状況〟に振り回されるようになることも珍しくないからです。そういった陥穽に陥らないためにも視野を広く持つことは大事です。
シュルレアリスムについては論考を執筆されている歌人の皆さんが論じておられる通りです。源流はダダイズム。第一次世界大戦(1914年[大正3年]~18年[7年])はヨーロッパ全土が戦場になった初めての大戦争でした。肉弾戦の悲惨な戦いでもありました。一次大戦で多くの王政が崩壊し19世紀までの旧秩序が名実ともに崩壊しています。
この第一次世界大戦終結後に起こった芸術運動がダダイズムでした。簡単に言えばこれだけ社会が壊れたのだから芸術もぶっ壊してしまえという運動です。ダダを代表する作家は美術家のマルセル・デュシャンでしょうね。創始者は文学者のツァラでアポリネールらも運動に参加しましたが最後までダダイストだったとは言えない。
ただ人間はいつまでも破壊に留まっているわけにはいきません。なんらかの形で復興を目指さなければならない。そこでブルトンが提唱したのが現実(レアル)の上位(シュル)にあるだろう理想を探求しようという文学・社会運動です。
シュルレアリスムはフロイト心理学などを援用した夢の領域の開放という面が強調されがちですがそれは一部に過ぎません。シュルレアリスムは社会運動とも結びついていました。当否は別として芸術だけでなく現実社会でも理想を探求した。創始者のブルトンや主要メンバーだったアラゴンやエリュアールは共産主義に強い共感を示しました。日本で瀧口修造や福沢一郎が治安維持法違反の嫌疑で拘束されたのはそれゆえです。日本のシュルレアリストたちは政治とまったく無縁で大きな誤解でしたが。ただ当時の特高はそれなりに優秀でフランス・シュルレアリスム本来の目的を理解していた。
では短歌におけるシュルレアリスムですね。特集論考では鈴木俊晴さんと三枝昴之さんが前川佐美雄と塚本邦雄の歌をシュルレアリスムを代表する作品として引用なさっています。
ひじやうなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる
床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし
前川佐美雄『植物祭』昭和5年(1930年)刊より
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
黴雨空がずりおちてくる マリアらの眞紅にひらく十指の上に
塚本邦雄『水葬物語』昭和26年(1951年)刊より
シュルレアリスムは現代では基本的文学手法の一つになっていますから細かく見ればほかにも多くの短歌をシュルレアリスム的作品として取り上げることができます。ただ戦前と戦後のシュルレアリスム短歌の違いは前川佐美雄と塚本邦雄作品を対比すればじゅうぶんだと思います。
三枝さんが指摘しておられる通り前川佐美雄「ひじやうなる」はロートレアモンの本歌取りです。「床の間に」はシュルレアリスム絵画に触発された歌でしょうね。これに対し塚本邦雄のシュルレアリスム受容はこなれています。
「革命歌作詞家に」は塚本代表歌の一つです。革命歌作詞家にもたれかかられて液化してゆくピアノは戦後の不穏な世相を多義的に表現しています。ピアノは革命歌の重さに耐えきれないとも革命歌を溶解して透明にしまうとも解釈できます。いずれにせよ「液化してゆくピアノ」というシュルレアリスティックな表現が魅力的です。
佐美雄が生涯シュルレアリストでなかったのは言うまでもありません。それは塚本も同じですが両者のシュルレアリスム受容には質的な違いがあります。佐美雄のシュルレアリスムはハッキリ言えば付け焼き刃。それに対して塚本はシュルレアリスムをその思想的背景を含めて理解しています。これは戦前と戦後の違いです。
大正末から昭和初期にかけてシュルレアリスムはすでに日本に紹介されていました。しかし第二次世界大戦前の国粋主義の勃興によって消化不良に終わった。戦後になりシュルレアリスムはほかの欧米文化といっしょに怒濤のように本格紹介・受容されたわけで塚本はその恩恵を受けています。情報量に圧倒的差があった。
ただこういった外来文化の受容を日本は太古の昔から繰り返しています。記憶に新しいところでは戦後のサルトル実存主義や1980年代から90年代にかけてのポストモダニズム思想ブームがすぐに思い浮かびます。猫も杓子もと言いたくなるほど誰もが新渡来の思想・文化に熱中した。そしてブームが去ると多くの人が拭ったようにそれを忘れてしまった。吉本隆明はそれを「わが国では、文化的な影響をうけるという意味は、取捨選択の問題ではなく、嵐に吹きまくられて正体を見失うということだった」(『初期歌謡論』)と指摘しています。
実存主義やポストモダニズム思想ブームは一例に過ぎません。大局的に言えば明治維新以降の欧米文化の受容はムチャクチャでした。明治維新によって日本人は初めて厳密な用語定義と論理的思考方法が世界標準だと知った。いわゆる〝世界的普遍者の言語〟です。この世界的普遍者の言語に基づく思想・文化を日本人は大急ぎで受容し始めたわけです。明治維新は1868年でポストモダニズムブームの終わりを1990年とすると日本人は約120年間で数百年に渡る欧米の文化・思想を吸収したことになる。これが歪みをもたらさないはずがありません。
日本のインテリゲンチャがたどる思考の変換の経路は、典型的に二つあると、かんがえる。第一は、知識を身につけ、論理的な思考法をいくらかでも手に入れてくるにつれて、日本社会の実体は、まないたにのぼらなくなってくるのである。(中略)
この種の上昇型のインテリゲンチャが、見くびった日本的情況を(例えば天皇制を、家族制度を)、絶対に回避できない形で眼のまえにつきつけられたとき、何がおこるか。かつて離脱したと信じたその理に合わぬ現実が、いわば、本格的な思考の対象として一度も対決されなかったことに気付くのである。(中略)
日本のインテリゲンチャがとる第二の典型的な思考過程は、広い意味での近代主義(モデルニスム)である。日本的モデルニスムの特徴は、思考自体が、けっして、社会の現実構造と対応せられずに、論理自体のオートマチスムによって自己完結することである。(中略)ヴァレリーが、ジイドが、またある場合にはサルトルが、隣人のごとくモデルニスムのあいだで論じられ、手易く捨てられるという風潮は、想像力、形式、内容というような文学的カテゴリーが論理的な記号としてのみ喚起されて、実体として喚起されないからである。実体として喚起されるならば、これらの文学的カテゴリーは、その社会の現実の構造と、歴史との対応なしには、けっして論ずることができないものなのだ。
吉本隆明『転向論』
『転向論』は吉本さんの出世作で戦前の共産主義者の転向理由をほぼ完璧に思想的に論じ切った優れた評論です。文学論は付け足りに過ぎませんが吉本さんが指摘したように欧米文化・思想を受容するとその論理が一人歩きし始めて現実遊離し決定的場面で日本の実は強力な文化・思想に直面して苦い挫折を経験するインテリゲンチャの姿は飽き飽きするほど繰り返されてきた光景です。多くの文学者が若い頃はフランス人やアメリカ人のように欧米文学に熱中し年を取ると日本回帰して来ました。その場合狂ったように熱中した欧米文化・思想が肉体化されているか否かが問われます。付け焼き刃に過ぎなければ残酷な断絶線が現れてしまう。戦前の転向と何ら変わらない。
修辞としてのシュルレアリスム思想はもはや手垢がついたと言っていいほど文学の世界に根付いています。ただ現代において日本人はほぼ完全に欧米の文化水準に並び立ってしまった。1980年代から90年代のポストモダニズム思想のようなちょっと滑稽なほどのブームはもう起こらないでしょうね。
こういった時代には彼我の差異を認識した上でいかに深く正確に異文化を受容しているのかが問われます。また日本文化の世界発信の質も変わります。俳句は何が起ころうと変化しないでしょうが短歌は自由詩に次いで異文化の影響を受けやすいジャンルです。シュルレアリスムは20世紀の文化・社会運動として重要ですがその思想基盤は比較的単純です。思想基盤を抑えれば複雑怪奇に見える様々なシュルレアリスム作品を演繹的に把握できるようになります。興味を持ったら思想基盤まで抑えるべしですね。
高嶋秋穂
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