性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
三浦 今日は小原さんのバックグラウンドも関係する話題なので。
小原 そうなんですか。
三浦 だって理系女子でしょ?
小原 そうそう。リケジョ。いちおう。
三浦 京都大学入試の女性枠について、お話ししたいですね。
小原 女性枠っていうのは要するに、理系に関してなんですね。
三浦 そう。女子募集枠を新設したということで、理学部と工学部です。女性が少ないところですよね。医学部とか薬学部とか、そういうところはたぶん必要ない。
小原 でも理工系もだいぶ増えてきましたよ。
三浦 だから、なんで今更こんなことをやるのかということをちょっと考えたいんですよね。
小原 そうですね。身につまされる部分もあるでしょうが、疑問も感じます。
三浦 小原さんはそもそも何学部の何学科でしたっけ?
小原 慶応の数理工学科というところで、今は数理科学科というんですけど。コンピューター専攻と数学専攻になんとなく分かれていて、その数学専攻です。ただ慶応は東大と一緒で最初の二年間は学科が決まってなくて、日吉で全般的にやるんです。
三浦 それで女子はどうでした? 比率は。
小原 入学したときに学部でだいたい千人いて女子が約40人。それでも前の年からすると倍になったとか、翌年はまたその倍になったとか。倍々で増えてるって言われる感じだったんです。それで無事に三年生、矢上に進級して、数理工学科は70人中、女子はわたし一人でした。
三浦 なるほどね。やはり少ない。
小原 でも別に、それで困ったこと何もないんだけど。何が問題なのか、よくわかんないです。
三浦 うーん、問題はないと思うんだけど。私はもちろん文系なんだけど、一年生の頃には宇宙物理学の授業なんか出てたんですね。テキストを読むような演習の授業で。20人ぐらいの学生がいたのかな、その中に理科一類の女子が二人いたという感じですかね。だからやはり女子は一割以下。
小原 いいなあ。一年生から宇宙物理学の演習ができるなら。
三浦 今も基本は女子が少ない。変わってないということですね。これを京都大学は望ましくないと判断して。
小原 なんでやねん。めちゃくちゃモテるよ。
三浦 モテるかどうかはわからないけど、ここに書いてあるように「ダイバーシティ&インクルーションを推進し」っていう流れの一環としてやってるみたいですよね。
だけどこういうのを見るにつけ、小原さんも何も困ったことはないと言うように、私もそう思うんだけど。性別は関係ないという視点を取れば、自由意思の結果、どのような男女比率だろうが別にいいはずなんだけれど、なぜかこだわるんですよね。
小原 徐々に女子は増えてるわけだし、ほっとけばいいんじゃないですかね。
三浦 自然に任せればいいと思う。こういったダイバージティ&インクルージョン共通の錯覚があって。どういった場合に多様性が実現されるか、という認識が根本的に間違っていると前から思ってるんだけど。ダイバーシティっていうのは、あらゆる部門において多様性が実現されている、っていうことではないはずなんだよね。いろんな偏った部門がたくさんあって、全体としてダイバーシティなわけでね。各部分でいちいち均等でなきゃいけないってことになったら、多様性によって画一化することになってしまうわけですよ。
小原 各部分同士がすべて同じ顔つきになりますもんね。
三浦 アカデミー賞にしろ、スタッフとキャストの人種的な、あるいは性別的なばらつきがないといけない、どの作品もそうでなきゃいけない、という。そうじゃないと賞に値しないって、つまんない方針立てているようですが、そうじゃなくて白人だけが出てる映画もあれば、男だけの映画もあれば女だけしか出てこない映画もあれば、っていうのが面白いわけだよね。
小原 男しか出てこないのはダメなら、あの『アラビアのロレンス』とかさ、どうなっちゃうの。
三浦 いろんなのがあるっていうのがダイバーシティなのに。いろんなのっていうのは一個一個が偏ってないと、「いろんなの」にならないわけですよね。
小原 全員、バランスの取れた美人で、ってなったら、皆が同じ顔になるもんね。結局は個性の否定になる。
三浦 理工系において女性の比率が低いというのは、世界的にどこでも共通の傾向です。そもそもの男女の違いを認めることもダイバーシティなはずなんですよ。男女がもし同じものであるならば、例えば理工系に同じぐらいの人数が集まるぐらいに男女の指向性、適性とか好みとか趣味とかが似たようなものであるならば、そもそも男女差にこだわる必要がなくなるわけだから。男女が違うという前提でダイバーシティは成り立つわけですよね。違うんだから当然、選択の結果も人数的に偏ることは認めなきゃいけない。
小原 ここでも審級が混乱を招くってことですよ。どのレベルで多様でなきゃいけないか。すごく細密な、最小限の学科レベルでも達成数値を満たしてなきゃいけないのか。そしたらA学科とB学科の差異がなくなっていく。
三浦 男女の違いがある以上、女性が多い学科もあれば、男性が多い学科もあればっていう、それをそのまま認めるのがダイバーシティのはずなんですけどね。人為的にすべて、微視的なレベルまでダイバーシティを実現しようとすることで膠着した安パイ・ダイバーシティになっちゃってるわけです。本当に議論したんですかね。
小原 文科省的に通りやすいような文言を並べるとか、そういう仕事になっちゃったと思うんですよ。
三浦 おそらく執行部が変わるたびに、なんか新しい施策を出さなきゃいけないという強迫観念があって。足跡を残したい役員たちが何かやったように見せたいと。変えても意味がないと、自然と元へ戻ったりするんだけど。
小原 とにかく今、何か変えたってことが大事なんでしょ。
三浦 そういうことですよ。ただ、京都大学でこれをやったっていうのはインパクトが大きいわけで。やっぱり東大・京大って、学力的に一番みたいなイメージあるわけですよね。
小原 日本国内ではね。
三浦 そうすると学力以外のところでこうした選考を行う方針を打ち出してしまったっていうのは、幻滅する人も多いんじゃないかと思います。
小原 でも今、そもそも大学入試って多様になっていて、我々の頃だと考えられなくて、いいなぁとも思いますけどね。特にコツコツ型の女子には有利になっていると思うんですよ。東大で推薦なんて想像したこともなかったけど、今はありますもんね。
三浦 推薦は、条件見ると一般入試で入るより難しいぐらいだから。で、確か推薦入試が始まって女性の比率がちょっと増えたんですよ、東大も。
小原 そうでしょうね。この春、わたしのたった一人の姪っ子が旧帝大の医学部に受かったんですよ。もう一族で万歳三唱。だけど小学校から私立女子校だし、受験勉強もそんなに詰めてなかったし、数学とかめちゃくちゃできるわけじゃないし、AО入試じゃなきゃ厳しかったかも、と思う。だからほっといても徐々に女子にも有利になってるから、ここでわざわざ男が女がって持ち出すのはどうなんだろう、っていう気がしますよね。
三浦 女性枠を設けることの問題点で、よく指摘されるのが、どうせ枠で入ったんですよね、っていう目で見られてしまう。あからさまに言う人はいないだろうけれども暗黙に、そういうのってやっぱりあり得るよね。だから女性の方が入りやすい形で資格を取るとか、そういうことだとすると、その資格を持っている中で男性に比べて女性の信頼性が損なわれるっていうところがありますよね。
小原 他人がどう思うっていう以上に、自分が例えば理工系に女性枠で入るとするじゃないですか。それで高校までの理数系の勉強と、大学に入ってからの理工系の勉強って質が違うんですよ。そうすると、ついていけないとまでいかなくても、自分の思ってたものと違う、限界を感じるってことがあると思うんですね。性別に関わらず誰でもあると思うんです。
例えば、数学科に行って大学院まで進んで数学者になろうと思ってても、数学者になるような素質を持った人なんてごくわずか。ただの異常者か、っていうくらいですよ。
三浦 そうそう。
小原 一種の変態ですよ。女子でも数学や理科ができる人はたくさんいるけれど、高校までわりとできた、という程度だと変態もしくは天才ではない。それがわかったとき、それでも自分で選択したものだから、その中から自分で活路を開いていく、前向きに捉えていかなきゃいけない。わたしはむしろ自分が苦手なものを勉強したくて進路を決めたぐらいなんですが、もし女性枠で入っていたら、そこを突破していく自信がなくなっちゃう気がするんですよね。
三浦 いろんな人がいるから、女性枠で入ったことに誇りを持てる人もいるかもしれない。ただ全般的に見ると、純粋な学力以外のところで選考するっていうのは大学入試の基本に反しているところがある。それを相殺するメリットがあるのか、っていう話ですよ。
小原 AО入試だってもちろん学力審査なわけですが、その学力の捉え方の角度を変えるっていうことで面白味がある。だけど男か女かっていうのは学力とは全然関係ないので、それを持ち込むのはまずいんじゃないか。
三浦 女性枠を狙って、性別移行する男子が現れないとも限らないわけです。もし学力的なハードルが低くなるから狙い目って定評が立っちゃったら、あり得るからね。
小原 あはは。またそれか。
三浦 女性枠を設けることによって、男子がそのぶん弾き出されるっていうことがあるわけですね。本当の熱意と学力に応じて受け入れるっていうふうにしないと不公平になる。
小原 逆ですけど、ちょっと前に医学部で女子の合格ラインをこっそり上げてたっていうのがあって。
三浦 あれはひどいよね。論外だよね。
小原 こっそり、っていうのが、入試の暗黙的な契約に違反してますもんね。
ただ、医学部って特殊ですから。学問の府としてはそんなの論外なんだけど、職業訓練校と考えると、体力・体格的なものも含めて、また国からの補助金の額に対する社会的なリスクも考えると、大学にもちょっと同情します。
三浦 現場では絶対、それがあるわけでさ。特に外科医とかになってくると、体力がね。周期的に、それこそ身体的に、月の半分かそこら体調不良にならざるを得ない女性にはやっぱり。
小原 だからさ、それは人によるんだってば。生理による体調不良なんて一度もないよ。
三浦 いや、だから統計的に言って、もう相当ひどい人もいるから。
小原 それはその人の持病だよ。統計的にって、何%がひどいのかな。女の子同士でも、そんな話はまず聞かない。大勢が月に一週間も体調不良だったりしたら、花粉症並みの社会問題になる。三浦さんが同情的だから、ダマされてんだよ(笑)。
三浦 まあ、でも女性と男性同じだけ仕事をするっていうのはたぶん難しいんでしょう。
小原 外科って力仕事なんですよ。何時間もぶっ続けの手術とかあるし、その間ずっと身体の一部を支えてなきゃいけないとかね。ただ眼科とか小児科とか内科とか、女性の方が向いている科もある。
三浦 皮膚科とか、女性はすごく多いからね。
小原 だから、きつくないところに行くわけですよ。たた皮膚科医ばっかり増えちゃっても困るし、悩ましいと思いますよ。医学部も。
それで科を選んでも、働いてくれりゃまだいいけど。例えばですね、慶応女子高って日本で一番偏差値が高い女子高なんですけど、そこから慶応医学部への推薦って、今は四人とか行けるんだと思うんですね。だけど、ちょっと前まで二人だったんです。もう熾烈な戦い。じゃ、そこで成績トップで慶応医学部に行った慶応女子高出身者が全員バリバリ働いてるかっていうと、わたしと同世代の頃までは、必ずしもそうとは限らなかった。皆、お嬢様だからさ。お勉強できたから医学部卒業させたんだけど、まあ、働くだなんて。うちは労働者階級ではないし、みたいな?(笑)。何々ちゃんは何年も慶応病院で働いてるんですって、すごいわ、ってそんな感じだったんだよね。
三浦 それそれ。
小原 医者一人つくるのに、国から一億円ぐらいの補助金が出るわけでしょ。で、フツーに学力入試をすると、女ばっかり合格する。そりゃ大学だって頭かかえちゃうよ。
三浦 そうなんだよね。現場の事情があるわけで。でもそれが一般には理解されてないから難しい。
小原 わたしたちは日吉の工学基礎実験で、「女の子は旋盤、触っちゃダメ」って言われたよ。「もし指でも飛んだら、先生は、先生はいったいどうすれば…」って(笑)。それは全然、イヤな感じしなかったよ。慶応の限界と言えばそれまでだけど。
三浦 京大の要綱をあらためて見ると、理学部理学科15人が女性枠で、理学部については一般枠との併願はできない。トランスジェンダー関係は何も書いてないな。法律的に女性であるっていう、当然そういうことが前提なんでしょう。
ただ「20歳未満で18歳に達している者」とだけ書いてあるから、法的に女性でありさえすれば変更歴は問われないんだろうな。
小原 選抜方法は、学力試験みたいですね。
三浦 旧帝大に属する国立大学としては、九州大学が女性枠を設けてましたね。今はやめてるみたいだけど。
小原 やめたときの判断の根拠を聞きたいですね。
三浦 それ、あまり発表されてないけどやめましたよ。追跡調査など必ずやってるはずだから、それを共有してほしいですよね。
小原 今、サンプル問題を見て、これが女性枠で、って思うとすごく違和感がありますね。定積分とかインダクタンスとか、科学的な記述に男も女もない。そういうものじゃないですか。この微分係数を、誰が求めても答えは同じ。だから科学なんでしょ。
三浦 文科系、もしくは文科系寄りの医学なんか、人間を対象とするようなところはうまい具合に女性が入ってくるんですけどね。
小原 女子医大はあっても、女子理工大学がないってのは、その特別な存在意義がないからなんでしょ。
三浦 性別を考慮する必要のない分野だからね。
小原 女子大の中の理学部とか、それはあり得ると思うんです。上位概念として女子大があって、その中で理学部の学生を募集するなら、結果的に女子だけが合格するのは当然です。だけど共学の大学で理工学部に女性枠、ってのが違和感ありまくり。
三浦 医学部は女性患者がいるので、女性医師の数を気にする必要がある。また文学部だったら男女同じくらいいるのが望ましいわけで、実際そうなっている。女性の方が多い、むしろ。だからうまい具合になってるわけですよ、社会は。
でも今、思い返して女性が少なかったことによって、小原さんがいたところで弊害らしきものってありましたか?
小原 学問の習得について弊害があるかどうかは、わかんないけど。
そういえば一度、定期試験のときに、知らない男子学生に「お金を貸してくれ」って言われたことがある(笑)。電車賃なのかな、千円ぐらいだったけど、翌日には返してくれた。顔を覚えられなくて、たぶん相手もわかんなくなるといけないから、わたしに頼んだんじゃないかな。だから目印にはなってたと思う。
あとは、男の子たちがあまりに女の子を見慣れないので、ちょっとオツムが弱くなるところはありますね。
三浦 ただ別に、大学の中だけで生きてるわけじゃなくてね。そもそも生活もあるわけだから、女性が少なくてもどうってことはないと思うんだけど。
小原 女子学生の方は大丈夫ですよ。だけど慶応義塾高校も含めた男子校上がりの学生で、大学でもあまり女の子を見たことがないとなると、やっぱりそれなりの男に仕上がるかな(笑)。悪意のない自己中というか。その後を見ても離婚率が高い。結婚できただけでも良しとすべきだけど、まあ、そこは慶応ブランドなんで。
三浦 うーん。
小原 女の扱いがわかってない、そのくせ自分はエリートだから、気に入った女の子は絶対に振り向いてくれるっていう根拠のない自信がイタすぎる。慶応ごときでエリートかよ、と慶応ガールのわたしたちは思ってしまうので、どっかの短大とかと合コンしてもらいたい。理工学部の二年生ぐらいまでだとその辺の才覚がないので、そこも含めた大学教育を、ぜひ。
三浦 まあ、それはそれでいいんじゃないですかね。もうそういう環境なんだから、それでよほどの反社会的な作用があれば別だけど、いろんな面で人間は歪んでいるからね。
小原 もちろん、そうですよね。だからもう理工学部の女の子たちのことは、ほっておいたらいいんです。わたしたちがカワイイとしても、それはわたしたちのせいじゃないんだよ(笑)。
三浦 それを言ったら逆に、家政系とか看護とか、女性がすごく多いところにいる女子はどうなるんだって話もね。
小原 彼女たちがあまり男を見たことがないために、もし万が一、男の子たちに迷惑をかけるというなら、それこそ女子大の学長室レベルで対策を練るべきでしょう。
三浦 まあ、どういう環境を選んで自分が行くかってことだからね。それですべての環境で多様性が実現されていなければいけないという強迫観念に、京大ともあろうものが簡単に染まるというのが恐ろしいね。
小原 学生数をコントロールするんじゃなくって、教員の数に関しては少し配慮したら、それだけでいいんじゃないか。
三浦 私はそれもコントロールする必要ないとは思うけど。
小原 各部門でフィフティにする必要はもちろんないけれども、女性の講師が全然いないってなると、女の子にとってモデルがない。
三浦 ロールモデルは性別で決まるもんかな?
小原 もちろん、そんなことないですよ。男性の指導者でもその人の能力を尊敬して目指すってことはあるので、女の子のモデルは年上の女性でないといけないってことは全然ないと思います。
ただ能力だけを抽象化してモデルにするのには、高度に専門化されたレベルが要求されるでしょう。初学者や低学年であれば、具体的にモデルにしやすい要素があった方がいい。たとえば小学校の教師が全員男だったら、女の子にはちょっと厳しい。だから男女同数とかにこだわる必要はないけど、いろんなレベルの学生がイメージングしやすいように多様にしておかないと、そもそも後続の人材が初学者として入ってこない可能性があって、女性比率が少ないまま固定化する要因になるかもしれない。
特に学者の世界は女性の方がポストを得にくいらしいから、少なくともそこを公平にすれば、それ以外は別にいじる必要ないんじゃないかな。
三浦 それはよく言われることで、性別を伏せて選考すると女性が採用される率が高くなるっていう調査結果があるみたいですね。性別がわかっていると、女性の方が不当に低く業績評価されてしまうという。実験もやったみたいですけれども、確かにそのようですね。
小原 それはすなわち学問のレベルを下げることになるわけでしょう。女性学者がかわいそうだから、じゃなくて、学問全体のレベルアップのために公平性を担保しなくてはならない。その結果として後続の女性が増えるってことであれば、正常というか健康的というか、それでいいんじゃないかと思うんですけど。
三浦 そうだね。だから教員に関しては、もうすでにやってると思うんだよね。東大もやってるし、京大もたぶんやってるはず。で、学生はもともと名前も性別も隠して採点するわけだから、男女平等にやってる。だからそれで問題ないと思うんです。
何らかのインセンティブを増やす意味で女性教員を増やしていく、それで自然に女性の受験生も増えるようにするんだったらいいんだけど、直接にこのように定員に対して女性枠を作ってしまうやり方は、もう少し議論が必要なんじゃないか。
小原 そうですね。あくまで学力の評価で、ただ評価の軸をずらしていけばいい。平常点を評価するとか、学校推薦で優秀な女子高にアピールするとか、そういう形で女子を増やしていくんだったらいいですよね。
三浦 あとは特に理数系の能力は、はっきりと出る。ベルカーブの分布があるじゃないですか。例えばノーベル賞は圧倒的に男性が多いと言いますよね。極端な才能を持つとなると、性差がどうしても出てくるんですよね。
小原 それは出ますね。これはどっちみち例外的な話だから、平等概念を持ち込む必要はない。
三浦 男女の平均値はまったく同じなんです。いろんな才能の遺伝子を共有して、まったく偶然に分配されるので。数学の才能とか物理学の才能とか、テニスの才能でも、基本的な才能っていうのは遺伝子が均等に分配されるから、男女の平均値は同じになるんだけど、ホルモンとかいろんな作用によって、遺伝子型が極端な発現をするっていうのは、低い方にも高い方にも男性が圧倒的に多い。裾野が広いわけね、男性の場合には。女性の場合は真ん中に集中するわけですよ。
小原 なるほど。
三浦 で、極端に高い才能を求められる分野で、その違いによる人数差が出てくる場合、それを社会的な差別・抑圧の印と捉えて是正を図ることがあるとしたら、それはまったくの勘違いなんです。
例えば将棋のプロ棋士なんか、もう男性しかいないわけですよ。だから女性棋士っていう制度を設けて。本来、プロ棋士って男女共通なんですよ。男性棋士っていう制度はないんです。で、プロ棋士って全員男なんですね。奨励会っていう熾烈な関門で、女性もいいところまで行くんだけど、プロになれない。女性のトッププロであっても、男性のアマチュアの強豪に勝てないぐらい。
小原 確かに将棋の世界は、圧倒的に男女差がありますよね。肉体的なものじゃなくても、特殊なジャンルにおいては脳の働き方でも差が出るんじゃないですか。いわゆる頭の良し悪しではなくて、特性として。
三浦 だからそういう部門で是正を図って、例えばプロ棋士にも女性をどんどん入れようじゃないかって、下駄を履かせたりするようになると、これはすごい勘違いに基づいてると思うんです。だけど東大入試とか京大入試レベルのことであれば、その辺の能力っていうのはベルカーブの、そんなに極端な端じゃないわけですよ。東大生、京大生の能力ってのはさ、平均値のちょっと上のあたりでしょ。だから男女でほぼ同じなんです。
小原 偏差値89とかじゃないですもんね。
三浦 だからもし男性並みに、地方の優等生の女子がこぞって東大を受けに来たら、だいたい男女同数ぐらいの学生数になるはずなんですよ。優秀な女子は地元の国立大学に行くでしょ。もちろんそれが本当は健全であってさ。
ただ、国際競争力を高めるにはエリート大学があった方がいいってこともある。そうすると、今の男女比八対二っていうのはあまりにも偏りすぎていて、東大京大のレベル確保にとっても不利。女子の受験生が増えれば、女子比率が増えるとともに平均レベル自体上がるわけで。
小原 それはその通りで、わたしの母校も東大にはかつて毎年五、六人ぐらいの合格者だったんですが、東大を受験する子が増えたらやっぱり合格者が増えた。
桜蔭で唯一、大好きだった津田塾出身の先生がいて、文化祭のとき会いに行ったんですよね。そしたらその先生が、「なんでこんなことになっちゃったのか、わからない」と言われたので、教えてあげました。
つまり女子校御三家の中でも雙葉に負けてたぐらいなのに、なんで東大合格六十何人になったのか、ってことなんだけど。それはわたしたちの頃に、河合塾が東京進出してきて、現役東大グリーンコースとかってのが市ヶ谷辺りに開校した。それに対抗して、お茶の水の駿台予備校にも高3東大コースができた。桜蔭ってのは水道橋にあるんで、どっち周りで帰る子もそのどちらかに寄れる。で、東大を狙うのが流行りになって受験者が増えた、そしたら受かる子も増えた。そもそも女子校で皆、退屈してたから塾に行ってただけですよ。
それで、あそこは東大にいっぱい受かるって話になっちゃって、そういう志向の子が集まり始めて、あれよあれよという間に大半の生徒が東大か国公立医学部を受けるみたいになっちゃった。先生たちは口あんぐり。
三浦 そうそう。ちょっとしたきっかけで増えるんですよ。だから合格率自体は男女で同じなんです。受験生に対する合格者の比率は、東大も男女差がない。受験生が増えれば、そのまま女性が増えていくんですね。
小原 女の子は浪人してでも何が何でも東大に、ってのは男の子に比べると少ないですしね。
三浦 浪人による不利益は、男女別に変わんないんじゃないかな。
小原 不利益っていうか、女の子は東大に受かるぐらいのポテンシャルがあっても、一年目ダメだったらスッとよそに行っちゃうじゃないですか。
三浦 それはなぜかということだよね。浪人することによって、男性よりも女性の方が負になる社会的要因はないでしょう。男性の方がマウンティングというか、そういったものが実社会に出てからあり得るわけで。女性の場合には価値基準が多様で、そんな一元的なものじゃないから。男性の場合は価値が一元化されるから、浪人で足踏みすることによる不利益は大きいんじゃないかな。
小原 昔はね、お嫁に行くのが遅れるとかね。
三浦 それもある。あと逆も言えるか。不利益より利益の面ね。ネームバリューの高い大学に行くことによる利益は、男の方が大きいと。
小原 そもそも女の子が大学、つまり最高学府を目指すってこと自体に、大した理由はないので。余裕に応じてちょっといい学校を出て、なんとなく完璧ないい女になる、というブランディングでしょう。そしたら浪人して東大に行くのと、最初からこだわりはなかった感じで慶応とか上智とかに行くのと、世間的なブランドとしてはむしろ後者の方が、という。現役で東大にスッと行ってしまうなら別にいいけど、ようは浪人までしてこだわった、っていうのが「素敵な女性」としてはどうよ、という。
三浦 つまり女性の場合には、そこそこのランクの大学に行けば、あとはそこからさらに偏差値が高くなることによるメリットはあまりない。
小原 そうね。まぁ、やっぱり東大卒の女子っていうのは、イメージ的にはどうなんだろう。イメージうんぬんだけじゃなくて、本人もちょっと窮屈じゃないのかな。自分がたまたま慶応卒だから、そんなふうに思うだけかもしれないけど。
三浦 それこそ進化心理学の話になっちゃうけど、男女が、別に恋愛関係じゃなくてもいいんだけど、仲のいい男女が一緒に行動する、食事に行くとか、何でもいいや、そのときに男性が女性をリードする形になるのが双方にとって一番心地よい、っていう現実があるんですよね。恋愛だったらなおさらなんですよ。男性がリードして女性が従うっていうパターン。またフェミニストに叩かれるかもしれないけど。
小原 少なくとも、そういうふうに見せるってことにはメリットがありますよね。
三浦 私が知っている学者の夫婦がいて、二人とも優秀なんだけど、男性の方は定職が得られずに非常勤で凌いでいて、女性が先に定職を決めたんです。で、何気なく私が「奥さんの方が先に決まっちゃいましたね」みたいなことを言ったら、彼女が過剰に謙遜するわけですよ。それで、すぐに辞めちゃったんだよね。どうも居心地が悪いみたいで。
小原 もったいないですね。釣り合いを考えるんですかね。
三浦 やっぱり旦那の方が上っていう状態に持っていきたい。本人もバリバリやってる女性なのにさ。自分で身を引いちゃったんだよね、二年ぐらい勤めて。
小原 他に理由があったのかもしれないですけど。旦那さんの方に、奥さんを励ませって言うのも厳しいかな。まったく別の仕事をしているならいいけど。
三浦 だからどうしてもね、男性の方が経済的・学歴的に上っていう状態をキープすることが双方にとって心地よいっていう遺伝子レベルのそれがあるんだよ。
小原 『文学とセクシュアリティ』って著書に書いたんだけど、それで授業でこの話をすると学生が面白がるんだけど、要するに最強なのは、実際には奥さんに実権があるのに、表向きはそう見せない。他人に借金を申し込まれたときには、「主人に相談しませんと」とか。相談なんかするもんですか、奥さんが蹴っ飛ばすんですよ。なにせそれが最強なんですね。誰に泣きつけばいいか、わからなくなるし。
三浦 自然界ではそうなんですよ。オスがリードしていくっていうのがメスにとって心地よくて安全なんだけど、人間は文化的な環境に変わっているので、女性がいつまでもそういう意識でいるっていうのは良くないわけですが、男性もそういう状態に息苦しさを感じるんだよね。
例えばデートしたら、男は自分が払わなきゃいけないと思ってしまう。だけど別に給料は自分の方が高いわけじゃないのに、なんで男が金払わなきゃいけないの、と。これは合理的に考えると、文化的な環境ではやはり平等に、同じぐらいのイニシャティブをとって対等にやっていくのがいいんだけど。でもやっぱり旧石器時代の遺伝的傾向は残っていて、どうしても男がリードしていくところにロマンチックな状態が付着するわけですよね。男はとにかくリードするんだっていうインセンティブが高いもんだから。
女性の場合にはそういうメリットが内面化されてないから、そこそこのところで妥協する。むしろ自分よりも上位の男性と仲良くなりたいから、あまり自分が上に行っちゃうと上位の母集団が小さくなっちゃって、パートナーを見つけるにも苦労する。
小原 こう言っちゃなんだけど、東大ってさ、アスペばっかりじゃない。東大の中で相手を見つけてもたいていアスペだと思うとさ、やっぱ女の子が東大に行くのってどうなのって思っちゃうわけ。
三浦 そうね。私の知る限り、東大女子のパートナーは皆、東大だよね。
小原 それを言うなら、医者もそうだけど。女医さんの旦那はたいてい医者なんだけど、この医者っていうのが全然、社会性がなかったりするじゃない。母もよくぼやいてたし。
三浦 そうね。あと、女医さんは独身が多いよね。相手がやっぱり見つからないのかな。
小原 しないで済むんだったら、しない方がいいのかも。
三浦 だから男が上・女が下っていう状態を自然かつ心地よい、と感じる男女双方の意識が改革されないと、京大みたいに人為的に女性枠を作ってあれこれ工夫しても無駄だよね。自然に意識が変わることを待たないと。
小原 うーん。わたしはリケジョだけど、それは思考のパターンであって。関心の対象は源氏物語だったりするし、美意識については紫式部に共感する。極めて保守的なの。何を言いたいかというと、デートで割り勘って、あんまり好きでない。
三浦 どうしても男女ともに本能的な美意識にはそういうのが組み込まれていて、男が上・女が下っていう自然なパターンでないとロマンチックな感覚に酔えないっていうのはあるよね。
小原 何が下で何が上って、よくわかんないんだけど。とにかく給料の額がどうあれ、やせ我慢であれ、男は女のために無理する姿を見せる。女性はちゃんとそれを何倍にでもして、別のかたちで返してくれるはずで、そこは信頼すべき。てか、そういう女の人としかデートしちゃダメですよ。
三浦 ただまあ、今の文化的環境にはそれは合ってないわけで。
小原 それはわかんない。割り勘は全然、文化的じゃないと思う。
三浦 自然環境ではオスがいつも強引に迫って、メスがそれに渋々付き従って、それに順応してお互い丸く収まるっていうのが自然環境だけど、今の文化的環境っていうのは男女平等だし、女性の能力が男性並みに発揮された方が社会の効率的にも望ましいわけで。そうすると、平等な状態にロマンチックな美を感ずるというふうに、美意識も変わっていくのが望ましいと思いますよ。
小原 わたしはダメ。そんな美意識に変わったら、ついていけない。
三浦 だから自然にしている美意識は、そういうもんなんですよ。男がいつも気前よくお金を払って、その気前よさに女性はうっとりするわけですよ。
小原 気前よさとかではなくて。本当はピーピーしていても、無理してそうするってところに男気とか可愛げを感じる。それで女性は、その男の人の仕事や生活がうまくいくように、それを内助の功っていうんですよ。「あげまん」ってそういうの、頭がいい女ってことだと思うんです。女性の力を社会的に発揮して、とか言ったって、そこらにいる男と張り合って、そいつらよりも上とかさ、そんなセコいことじゃなくて。もっと本当に力がある、能力が高い女の人っていうのは、そういうのと違うんじゃないかな。
三浦 能力とは別なんですよね。精神的なイニシャティブの発揮の仕方みたいな感じ。女性がイニシャティブを発揮すると、一種の喜劇にはなる。お笑いにはなるわけよ。モリエールの喜劇なんかもね。やたら奥さんが強くて亭主が不甲斐ないのは笑いの対象になるわけだけど、そういう滑稽さ、面白さはあるけれどロマンチックな状況にはならないよね。
小原 わたしは、内でのイニシャティブがどっちにあるか、はどうでもいいな。それより外での生産性、男女の組織力でどう振る舞うのが最大効率を上げられるか。
三浦 朝日新聞のコラムだったか、数年前に読んだんだけど。「私、いつも割り勘でって言ってるので、全部割り勘です。だけどホテルはいつも彼が払っています」って。だから食事は割り勘であっても、ラブホテルが割り勘だったらやっぱりロマンがないわけですよ。つまりそこでロマンチックになるためには、男性が全部払わないとダメなんだよね。で、ラブホテルもきちっと割り勘にしているカップルってどのくらいいるのかなって、ちょっと知りたい気がしてね。それで十分、お互いロマンチックになれるもんなのか。
小原 食事からして理解できないです。ちょっと一人だとキツいだろうと思ったら、女の人もスッと出すとか、そういうのはいいと思うけど。それこそ各場面で50%ずつに固執するって、京大のダイバーシティ目標みたいなもんで。
わたしについては大学生のときから「割り勘ということは、この人はわたしを口説く気はないのね」と思って、とても気楽になってました。
三浦 口説くも何もさ、別に対等なんだから、女性の方から言い寄ってもいいわけだし。そもそも恋愛の始まりも平等なんだから、男が口説くっていう発想自体、今ふうじゃないんだよ。女性がアタックしてもいいわけじゃない。
小原 非難しようとは思いませんよ。だけど、わかんない。そんな面倒くさいこと考えたことない。理工系は忙しいんだよ。で、ろくに見もせず断ってたからさ、こいつら女見たことないんだなーって。
三浦 一般的に、いずれはそうなっていくわけですよ。流れとしてはね。だから今、割り勘が昔に比べると普及してるわけで。
小原 いや、割り勘はいいんですよ。さっぱりして。ただそれは女の子同士の付き合いと同じ、友達だ、ということです。美しい友情に仕分け済みなんです。それで言い寄られても、ついていけないな。聞いてないよ、ってこと。
三浦 だって男女でさ、今は給料の差がない時代だから。女性だからといって給料が低いことはないわけだから。そうすると割り勘は当然となってくるよね。ただラブホテル的文脈では、男が全額払うというのがまだ残る。最後までおそらく残るね。そういう生殖的な場面においては。
小原 生殖的な場面かどうか、わかんないけど(笑)。要するに、場合によっては奥さんにしたいと思ってデートしてるのか、単に友達とご飯してるつもりなのか、こっちにも心づもりが必要でしょ。
「妻をめとらば才たけて 見目麗しく情けあり」って、そんな奥さんを捕まえてさ、そういう女性が一生懸命に努めてくれたら、資産なんて何倍にもなりますよ。そこへお茶代すら投資できないという見通しの悪さ、バカさ加減で見切られるのですよ。
三浦 恋愛の初期においては確かに女性の方が、サービスを受ける側でね。男がリードして女性の気を引くことになるけど、結婚が視野に入ってくると逆転するんですよね。
小原 そうですね。
三浦 男は本来、結婚する気ないんだから。
小原 そうですかね。そんなら割り勘でいいんじゃないですか。
三浦 女性の方が結婚する動機が強いのよ。はっきり言ってしまいますが、男性の大半は、実は結婚する気なんてありませんね。
小原 そうかい?
三浦 男は社会的な義務としてプロポーズしてるので。男はね、これは本心では結婚したいとは思ってませんよ。結婚に前向きな姿勢を見せるかもしれないけど、できることなら生涯結婚しないで済ませたいんですよ。
一方で女性は皆、結婚したいと思うのよ。だから結婚という文脈になったときには、今度は女性が一生懸命に男性の気を引かないと。
小原 そうかなぁ。(あんたがしたくないだけだろ、と思ったが言えず。)
三浦 だから少子化がどうして起こってるかっていうと、生活スタイルの多様性が認められることによって、男性の結婚意欲が減退したから。昔は、男は結婚しないと一人前じゃないっていう社会的プレッシャーがあったんですよ。だから本当は結婚したくないんだけど、男は義務感で結婚していたわけ。例えば銀行員とか、結婚しないと人間失格だったじゃないですか。
小原 まあ、今は首相だって独身だったりするもんね。
三浦 そういう模範的なところにいる人は結婚しなきゃいけなかったのが昔のイデオロギー。そのプレッシャーが外れると、男はもう自由に生きられるようになってきた。少子化の一番の原因って、それですよ。
小原 国の通説としては、少子化の原因は女性の高学歴化ですよね。少なくとも価値の多様化で、結婚へのプレッシャーがなくなったのは、女性も一緒じゃないですかね。
女性に経済力がついてくると、無理に結婚しなくていい。もし男も望んでないなら、なおのことで。
女の人は、一度は結婚したいと思うものだ、とは言えるかもしれないけど、なにせ離婚のハードルがすごく下がっている。
三浦 世間的な目はね、離婚に対して優しくなったけど。手続きがやっぱり面倒くさいんでね。
小原 イヤな男と暮らし続けることに比べたら、手続きの煩雑さなんか問題にしないのでは。弁護士に投げればいいだけだし。
それで女の人が家を飛び出しちゃうハードルがすごく低くて、昔で言えばそんなことで、っていうことでポンポン出ていっちゃう。それはそれでいいことなんで、話を聞いていると、出ていっちゃえ、出ていっちゃえって、煽りたくなるけどね。
三浦 結婚制度については、またあらためて話したいけど。私は結構、結婚相談所歴が長いので。六十回ぐらいお見合いしてますからね。
小原 え、そうなの? 初めて知ったその事実(笑)。
三浦 だから結婚観も話しまくったし、女性が結婚について何考えてるかも、もう溢れるほど聞きましたよ。
小原 そういうふうにリテラルっていうか、言語化しすぎるからうまくいかないんじゃないですかね。
三浦 いやいや。
だから女性の結婚に対する意識は男性とは違うな、ってことは結構、知ってるわけですよ。女性の結婚願望が減っているから、非婚化が進んでいるっていうのが社会学的な定説になってるんですけど、実はそれ違うんですよね。
小原 結婚相談所に来ている女性は、結婚願望が強いでしょうね。
三浦 でも、そもそも結婚相談所っていうのは女と男が三対一ぐらいらしいんですよね。だからパーティーでも男が集まらない。
小原 今はそうなんですか。
三浦 恋活のアプリなんかは結婚と関係ないから、男性が多くて女性が少ない。でも結婚相談所ってなってくると、女性が余っちゃう。
小原 登録時の経済的な審査条件に、男女で違いがあるのでは。いろいろ興味深いですね。同性婚も紹介してくれるのか、とか(笑)。
そういえば、三浦さんは人差し指と薬指、どっちが長いですか。
三浦 それよく聞きますね。薬指が長いのが男性的なんだっけ?
小原 わたし、薬指が思いっきり長い。女性では十人に一人だって。男性ホルモンが多いっていうんだけど。
だけどエクオールとかって、女性ホルモンを補填する必要があるかどうか、以前に検査したんだけど。結果は女性ホルモンがすごく豊富で、こんなの十人に一人ぐらいです、あなたにはエクオールは必要ありません、って、メーカーから返事が来た。買わなくていいよって、ちゃんと言うんだって感心しちゃったんだけど。
で、女性ホルモンと男性ホルモンって、互いに背反的ではないの? 両方が極端に豊富にあるって、あり得るんだろうか。
三浦 指の長さには科学的根拠あるんですかね。
ホルモンについては、例えば産み分けに関しては、恵まれない環境で女の子を産むと有利、恵まれた状態の場合には男の子を産むと有利なんですよ。なぜかというと、経済力が高い家っていうのは男子がいるとどんどん子孫が増える。女性の場合には、貧しい家に女の子がいるとシンデレラになり得る。
小原 女性には一発逆転の人生があり得るんですね。男にはそれがない。それは紫式部も光源氏に言わせています。ただ、有吉佐和子は『紀の川』で「妻は上流からもらえ」と。川の上流、家格の高いところからもらうと、新興の家が経済的にもますます栄える、ということです。
三浦 それは、お互い家同士の得を考えないとマッチングしないわけだから。
小原 うん。だから上とか下とかってそんなに一面的なわけじゃなくって、いろんな要素があって、そのバランスの中で縁組ってされる。いい状態とか悪い状態とか、上とか下とかっていうのは見る側面によってころころ変わるから、よくわかんないところはある。
三浦 それは主に食べ物ですよ。肉をたくさん食べるっていうのは豊かな証拠で、肉をたくさん食べると男の子が生まれやすいっていうのは事実なんですよ。
小原 身体が酸性になる、とかですね。あまり健康な状態とは言えないですけど、肉をよく食べるというのは狩猟生活なわけだから、むしろ狩猟者として男が必要だ、という解釈の方がストレートではないですか。文化的には農耕生活の方が上と言えますが、その農耕生活の中でなら肉は上等な食べ物ということになります。いずれにしてもヒトの遺伝子の振る舞いが決まってから以降の社会生活と結び付けることになるので、物語として聞くしかないですが。
三浦 で、統計的にも、貧しい家は確かに女の子を可愛がる。
小原 確かにね、長男教とかいわれる家は、自分たちがいい家だと思い込んでるところが多いですよね。
三浦 だから無意識というか、自動的に母体はもう長い進化の過程で、統計的に有利な性別の精子を受け入れるようになるんですね。
小原 産み分けは確かに、確率の範囲では可能ではあると思います。
わたしはトランスジェンダーとか、あまり理解できないんですけど。ただ「あなたの身体はエクオールが不必要なほど女性ホルモンが豊富である、しかし薬指が長いので頭の中は男性ホルモンに支配されている」と言われたら、そうかな、という気がしてきてしまう。それが怖いところでさ、なんかトランスジェンダーに親近感を覚えてきちゃって。
三浦 ホルモンは生殖的なもので定義されるだけだから、男性脳・女性脳なんてただの統計的結果で、性別で呼ぶのは偏見ですよ。
小原 そのはずなんですがねぇ。
でもさっきの将棋とか、どう頑張っても圧倒的に男の人が強いってジャンルがある。ホルモンの影響などで、ともおっしゃってたし、やはりテストステロンと関係あるんじゃないか。
三浦 能力というよりは、趣味嗜好なんだよね。女性はどうしても人間関係が絡むところに興味が行くんですね。男性はどっちかっていうと、人間関係をむしろ遮断するような興味を持ちやすいんですよ。長距離トラックの運転手なんてのは男性ばっかりでしょ。長い孤独に耐えるっていうのは男なんですよ。
小原 生まれながらの嗜好に性差がある以上は、性ホルモンとまったく無関係って言えますかね。今の医学では、無関係と言われていたものの関係性がどんどん明らかになってきているし。
三浦 社会的な期待される人間像からしても、女性はどうしても子供を育てるっていうのがあって、そういう指向性が弱いという風に見られると不利になるっていうのが暗黙にあって。だから薬学とか医学とかは女性が増えても、理工系は増えないっていうのはそういうことなんですよ。
小原 それはどうかな。わたしのいた環境ではずっと、「子供をかわいがる女性」なんて負け犬の言い訳ぐらいに思われてました。そもそも、そんなくだらないことは思ったこともないし、同級生がそんなアピールをしたら軽蔑したでしょう。数学や物理で評価10であることこそ期待され、尊敬されていました。だから、そういう社会的な理由、ジェンダーでは説明がつかない圧倒的な差があるんです。
三浦 どんな差?
小原 極端な抽象思考そのものの達成には、やっぱり性差が出る。
三浦 能力差ではなくて、それにちゃんとまともに取り組む気になるかどうか、という嗜好ですよ。プレファランスですよ。
小原 今はもちろん昔でもさ、桜蔭で成績上位の子に向かって、まともに取り組んでないからだ、なんて言ったら殺されるよ。
三浦 いや、だから、まともな取り組み方、っていうのがちょっと違うんだよね。男と女で。
小原 そこなのよ。能力全体は甲乙ないとしても、凹凸はあるし、あってもいいじゃない? 将棋とか、まぁ羽生さんとか見てるかぎりは変な人だとは思わないけど、将棋や数学で突出した人って、やっぱり変人なんだと思うんだよね。
三浦 米長邦雄っていうトップ棋士がいて、「自分は優秀だから棋士になったけど、兄は優秀じゃなかったので東大に行った」って。冗談のつもりで言ってたけどさ、それは事実なんだよ。将棋の棋士になる方が桁違いに難しい。持続的に徹夜で同じ局面を考え続けたり。数学の大定理を発見するなんてのもそうでしょ。それを好きでやらないことにはできないわけだから、脳のいわゆる性能とは関係ないんだよね。
小原 そこまで好き、っていうのがまさに、あるジャンルでは能力そのものだと思うんです。だけど同じように集中したところで、同じ男でもほとんどモノにならないんだからさ。男も女も、わずかな例外的な存在になれないことを嘆く必要は別にないけど、その例外について言えば、すべて男なわけですよ、事実として。
三浦 文科系の学問、私がやってる美学・芸術学なんて、一つのことにずっと集中しちゃったら、できないんですよ。いろんなことに同時に注意を向けて、いろんなものを総合するような学問。これは非常に女性に向いてるんですよね。
小原 通常の世の営みは、そういうものだと思う。たいていのジャンルは広い視野を持って、その視野を更新していくような考え方をした方が絶対に業績が上がる。年齢を重ねるなどして、そういう総合的な見方ができるほど能力は高いと見なされることが多いでしょう。
対して純粋数学での業績なんか、若い頃でないとムリって言われてるし。一時期の特殊な集中力っていうのはそれこそアスペ的な、一種の病気に近いものじゃないかな。
三浦 発達障害は男子に多いですもんね。
小原 発達障害の定義にもよるけど、そうですね。
三浦 だから京都大学が人為的にトップダウンで女性枠を設けちゃうってことは、そのぶん適性のある男性を締め出すことにもなる。そうすると国家の財産をそれだけ減らす可能性もあるんだよね。その辺をちゃんとわかった上で、ああいう施策を取ってるんであればいいんだけど、ダイバーシティの美名のもとにやってるんだとしたら、学問の本筋を踏み外してるよね。
小原 まあ京大に入らなくても、それしかできないぐらい適性のある男の子はどこへ行ったって同じ能力を発揮するんだと思うんだけど。だからもう割り勘はやめてさ、たかが学部の枠ぐらい女の子に譲ってあげたらっていう男気教育なのか? そうなのか?
三浦 別に、女性は受けるなと誰も言っていないのに、なんで女性枠というものを設けざるを得ないという考えに至ったのかって、考えてみたら不思議じゃないですか。普通の枠で受ければいいじゃない。だからどう考えても、あの枠を設けたってことは女性の能力は低いと判断しているとしか考えられないんですよ。だって女性の能力が低くないんだったら、どんどん受けましょうって勧誘するだけでいいわけでしょ、男女共通の枠で。
小原 理工系の男子学生だって、ガロワやアインシュタインみたいなのはまずいない。女性に向いた理工系のジャンルもいろいろあるわけですよ。例外的な男性の異様な集中力に張り合う必要もなくて、IT系で活躍することもできるし。
三浦 コンピュータなんてのは人間的な要素があるし、コンピュータサイエンスはもっと女性が多くてもいいような気がするんだけど。
小原 わたしは嫌いだったけど。だって当時はパンチカードに穴を空けるとか、面倒くさいわりに、さもないことしかできないわけじゃないですか。電卓の方が早いって感じ。
三浦 今のコンピュータはいろんなことができるわけでさ。
小原 そう。コンピュータって、わたしが大学に入ったときは計算するためのツールだと思ってたんだけど、ネットができてから実はコミュニケーションのためのツールだってことがわかって、それは非常に感動したんですよ。MITの『メディア・ラボ』って本には予言されていたけれど、タブレットが登場して夢が現実になった。
三浦 ソフトサイエンス、コミュニケーションサイエンスって、どっちかっていうと女性が得意なんじゃないか。
小原 ユーザビリティとか、プログラミングぐらいだったらそうだけど、革命的な開発ってなるとやっぱりね。
今、思いつく中で一番の天才だと思うのは、あのWinnyを開発して逮捕されちゃった金子勇さんね。40歳の若さで亡くなった。東大の助手ではあったけれど、出身は茨城大学ですもんね。経済的な事情で地元を離れられなかったのかな。
だから本物の天才であれば、東大や京大を選んで行く必要は全然ない。わたしなんか、ビットコインを開発したサトシ・ナカモトは絶対、金子さんだって信じてるもん。
三浦 まあ、そういう人は偏っていて、国語とか社会とか全然できないということもあるしね。センター試験みたいな全科目でいくのはもうやめて、数学だけでとるとかさ。
小原 でもアインシュタインは、数学は苦手だったよ。どんな採り方をしても、とりこぼされる才能はあるからさ。で、数学しかできない男の子たちをかき集めたところで、天才なんかいやしないでしょ。
一方で全体的にバランスよくできて、学校の成績も良くて、みたいな選抜も残しておけば、ほっといたって女の子たちが入る。どっちが優れてるってことは言えないので、いろんな切り口で評価すればいい。男とか女とか、少なくともそんなレベルの低い性別枠で対応するぐらいだったら。
三浦 そうなんだよ。結局、どういう人材を育てて、どういうふうに社会に還元するのかっていうビジョンがあるのかって話ね。ちょっとそれが感じられないね。
あの現場の雰囲気も、どうなんだろうね。女性枠で入ってきて、見た目、男女数がちょっと均等に近づいて、多様になりましたって、それでよくなるという前提なんですかね。そこがわからないね。
小原 見た目っていうのが、誰がどこを見たときなんでしょうかね。
さっきも言ったように、わたしは70人の数理工学科で女の子一人だったんですけど、女子校から来て周りが女の子ばっかりだったでしょ。それで大学に来て、周り中が男の子でしょ。よくやっていけるねって言われたんだけど、眺めは全然、変わらない。見渡すかぎり女だったのが、見渡すかぎり男になっただけで、均一性は変わらない。自分の姿は目に入らないので。静謐で勉強しやすい環境ですよ。男と女が半々ずついるっていうのが一番、複雑でかまびすしい。文学部の友達に誘われてコンパなんかに出ると、男の子と女の子と半々ずつでしょ。いつもなんか揉めてそうだなぁと思って。別にいい社会だとは思わなかったです。
三浦 文科系的にはね、人間らしくていい社会なんですけどね。
小原 その価値観を理工系の中に持ち込むことが、果たしていい環境なのか、よくわかんないです。
三浦 明らかに、もう本当にそれが好きな人たちが男女関係なく、性別なんか意識せずに、意欲だけで入ってきた連中で構成されるっていう環境が一番いいわけだよね。
小原 Google様がなさっておられるみたいに、いろんな開発に興味のある人たちが、おやつを食べながら自由に交流して、っていうのは非常にプラスになると思う。それぞれの能力や興味で触発し合って、っていうことを重視するなら、自ずと人種とか性別とかは目に入らなくなるじゃないですか。結果的に全部が黒人だったとか、結果的に全部アジア人だったとか、結果的に全部が男だったとかでも、それはそれで別にいいじゃないですか。そうなっただけの理由が、開発内容そのものにあるんでしょうよ。人事よりも対象重視。それが科学者・技術者でしょ。
三浦 まったくそうなんだけど、そうならないんだよな。機会均等じゃなくて、結果平等じゃないと気が済まないっていうのが、とにかくダイバーシティ派の強迫観念なんだ。
小原 社会的な、例えば国会議員とか、災害対策の担当者とかなら、女性の視点が欠けてしまうと女性への福祉が滞るから、女性が一定数いないとまずいでしょう。
三浦 男女の性差が関係していく分野なわけだからね。
小原 さっきの話で、医学部は教育機関であると同時に職業訓練校だったわけですが、大学も学問の府であると同時に社会的な組織なんですよね。だから女性職員や女性教員が一定数いるっていうのもある程度は必要なことかと思う。学生もまた学生生活の中でいろんな人と触れ合って、っていう側面では、やっぱり男女がある程度いた方がいいけど、同じ学部である必要はないですよね。理工系の学問、その本質を教育しようとするのが本義なら、そこに性差を持ち込むのは矛盾してますよね。
三浦 運用が見ものだよね。一般枠で受ける女子が減ったりしないかな。女性が女性枠に行っちゃってね。そうすると15人以上増えないわけでしょ。逆に減る可能性があるよね。そういう反作用は考えないのかな。
小原 学生はとにかく必死だから、受かれば何でもいいと思っている。ダイバーシティもへったくれもなくて、ただ特別枠があれば飛びつく可能性が高い。で、女性枠の方が偏差値高くなっちゃったりして。
三浦 いろいろ是正されて何年か経てば、まあ同じ偏差値になるかもしれないね。
小原 同じだったら必要ない、って話じゃないですか。
三浦 そうなんだよ。でも女子の定員を確保してあるから、結果としては確実に女性が増えることになるんでしょ。
小原 一般枠では女子の定員数は決まってないんだから、全体としての定員数は当初からないわけで。偏差値が一緒だったら、基本的には同じじゃないですかね。仕切りのある水槽の左右で水の高さが同じだったら、仕切りを外しても一緒、という。
三浦 一部は女性に限定、っていう違いはあるわけじゃない。
小原 限定しても、どっちで受けても一緒なんだから。
三浦 一緒なんだけどさ、枠が設けられる前と比べると、どうなの。前の状態に比べた場合にね、理論的にはやはりこれ下がるのかな、ちょっとね。
小原 確かに、女子の平均点がものすごく低かった場合でも、15人の合格者は出せる。
両枠とも偏差値60で同じだったとしても、偏差値60の男の子が入れない枠があるわけだから。
三浦 男性はかなり締め出されるわけですよ、以前に比べると。以前に入れた人が入れなくなるわけでしょ。そうするとこれ、女性枠と一般枠で偏差値が一緒になるってことはあり得ないんじゃないか。
小原 予備校のランキングでは、やっぱり女性枠の方が低いって感じになるかもしれないですね。でもまぁ、男はいいんですよ。茨城大にでも行けば。
三浦 そう、京大にこだわる必要ありませんよってことなら、いいんだけど。ただ関西では京大の権威はやっぱり絶大なので。
小原 今の世の中、東大や京大も世界的に見れば、って言われるし。権威というのも、こうやって相対化されていくんじゃないかな。いい意味で。
三浦 だから京大自らが権威を切り崩していく、一つの施策と見ればいいのかもしれないですけどね。
小原 ダイバーシティとか、怪しいことを大学がやってるってことで、自分で自分を切り崩している。なんとラディカルな、さすが京大(笑)。
三浦 そういうことだよね。推薦入試とかもその一環であるわけだし。ただ推薦入試は趣旨がはっきりしてるけど、この女性枠はいまいち、名目が立たないわけですよ。やっぱり賢明な施策とは思えないな。
小原 それはそうだと思います。
三浦 求める人物像というところに「自由を尊重し、既成の概念を無批判に受け入れることなく、自ら考え、新しい知を吸収し創造する姿勢を持つ人/高等学校の教育課程により培われる十分な科学的素養、論理的合理的思考力と語学能力を有し、粘り強く問題解決を試みる人」この二つが挙げられていますね。ただ、この理念に合ってるのかな、この性別による選抜は。
小原 その矛盾に気がつくような人材を求めてんじゃないですかね。
三浦 そうすると、なるべく受験生が少ないことがこの趣旨に合うってことになるね。なるべくこれに引っかかるな、という。これに引っかからないようにしてください、という。
小原 面白いトラップなのかもしれない。どんな優秀な人がやってくるか。
三浦 真面目な話。これを受ける気になる心理状態を推測すると、興味深いね。あえて一般枠で受けないで、これで受けようっていう女子の、さ。だって結局、女性蔑視の産物、とうすうす感じる人も多いと思うので。
小原 そうですね。それと科学や技術というものへの無理解も。受験生はともかく入試制度の側の、ということですけどね。
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