世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
十五、『三四郎』第五章 迷へる子(ストレイ・シープ)(上編)
a:崩壊する『雪国』
俺たちも落ち着かない。だってまだ半分も来てないのだから。
でもここでちょっと一息つくことにした。つまり、さきほど管理局から送られてきたメッセージを見ることにしたということだ。実は、第四章の精読=体験中に、腰にぶら下げた通信機がピロリロリリリリンと鳴ったのだ。それは着信ありという意味で、管理局からなんらかのメッセージが送られてきたことを示すものだったが、なんせ全身全霊を注ぎ込んでの物語体感中であったため、今の今まで放置していたのである。
「何だったの?」
高満寺が興味津々で尋ねてきた。
「うん、実験してみたらしい」
「実験? なんの?」
「だから、ウイルスだよ。原典攪乱ウイルス」
「ああ、でも、どうやって?」
「一部だけ切り取った作品に、あのゴミ箱から採取したウイルス感染した句読点『、』を一個だけ放りこんでみたんだそうだ」
「で、なんだって?」
「体験するのは危険だから、VRを通してではなく、映像で見るようにって書いてあるな」
「じゃあ、見せてよ」
俺は通信機を床に置いて、壁に映像を投影するプロジェクターモードにした。
「検証実験その五。川端康成『雪国』冒頭部分を被験体とした場合」
そんな文字が表示され、
「原文『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ』」
という原文が現れた。
続いて、「ここに『不確定な彼女』に仕組まれていたウイルス感染した句点を一つ投与した。五秒経過後」と出た。
「『国境の長い娘を抜けるとネルトンであった。冷気の底がガラス窓になった。信号所に島村が止まった。
向側の雪国から夜が立って来て、襟巻の前の夜を落とした。座席の汽車が流れ込んだ。』」
「うわっ。たった五秒でもうこんなになってる」
「うん、最初は単なる語彙のランダムな入れ替え程度だね。これは俺も『不確定な彼女』で体験済みだよ」
でも問題はそのあとだった。
「十秒後『い長と国境トン娘の抜けるであったネル。ガラス冷気がの底なったに窓。島村止にまった信号所。
雪国夜立って落とした襟巻の向側前のて来、をであったから。座席れ込んだ汽車がの流。』」
「ああ、もう全然崩れてるわね。切り刻まれてる」
「そうだね。こうなると、もう原文を思い出すこともできないな」
「十五秒後『。村トン国いでったの娘ネ長あと境るけルガス。。ラ号のなにった信窓島止っっまにた冷が底所立襟夜てっ側雪席した国巻のてと座を汽んだ落と前車、来込が流れで。った向のあ流』」
「単語も完全に解体されちゃってるね。ダダイズムだとしても、これじゃあ行き過ぎだ」
「二十秒後『ト 襟 って の 国汽 だん 。、。 止』という蠕動する文字列を残して、残りは破裂してランダムに飛散。この五秒後には残ったこれらすべての文字も飛散」
「速いな」
「ええ、早いわ。感染してから、解体して破裂するまでたった二十五秒だもの」
「まあ、これはサンプルが短いせいもあるだろうけど、いずれにせよ、こんなものに、この『三四郎』をさらすわけにはいかないな」
「ええ、がんばりましょう」
「うん、ぼく、がんばるぅ」
「わたしも、がんばるぅう」
みたいに、悲壮感漂う決意を、やや冗談めかして表明する俺たちであった。いやほんと、こんなの見たら、おふざけででも決意表明しないことには、やってらんないでしょ。まじ、笑えないもん、これ。
ってなわけで、俄然尻に火がついたように、あるいは尻からジェット噴射する鉄腕アトムのように第五章に突入する俺たちなのであった。
b:水彩画を描くよし子
「ここの冒頭のエピソード、さりげなく書いてあるけど、三四郎の行動、明らかに不自然よね」
そうなのだ。なにしろ、三四郎は明らかに野々宮がいないとわかっている時間に野々宮の家を訪ねているからだ。
『「野々宮さんはまだ学校ですか」
「ええ、いつでも夜遅くでなくっちゃ帰りません」
これは三四郎も知ってる事である』
と書いてある。『なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである』とあるが、読むだけだとなんとなくそういうものかと思ってしまうところだけれど、読書=体験してみると明らかに身体行動としてそういうことを再現して感じることになるから、彼を突き動かしている深層の衝動が、やはり女であることはいやでも体感される。
「要するに、よし子に会いに来た。そういうことだよね。美禰子にも惹かれるが、よし子にも惹かれてるわけで、二股でも三股でも平気でかけれそうな感じだ」
「よし子は、少しも動じず、母親みたいな態度を取るわよね」
「そうだね、『「おはいりなさい」』『「お掛けなさい」』(座布団を渡して)『「お敷きなさい」』ってな感じで全部命令形だもんね」
「でも三四郎は自尊心を傷つけられるどころか、むしろそれを心地よく感じてるわけでしょ。『無邪気なる女王の前に出た心持ちがした』って」
「お母さんだよね。三四郎のなかでいつでも東京と熊本の実家がオーバーラップしていて、美禰子がお光さんと重なるとすれば、よし子は明らかに母親と重なっている。そういう印象があるよね」
「ただし、美彌子はお光より格段に魅力的に感じられる存在だし、よし子は、母親より格段に若いわけよね。しかもほんものの母親じゃないから、付き合うことも可能なわけよね。ダサくてイモ臭い九州の女たちが、お洒落で洗練された東京へとアップグレードされてるわけよね」
よし子はこのとき家の庭を素材に水彩画を描いている。誰か先生について習っているのではなく、好きで描いているだけだという。
三四郎はよし子に、野々宮と美禰子は懇意なのかと、気にかかっていることを尋ねる。よし子の返事は『「ええ。お友だちなの」』という曖昧なものである。『男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい』と思いつつも、三四郎はそれ以上つっこめない。当時の社会風潮からすれば、未婚の男女の「友だち」というのは、考えにくい関係性だったため、三四郎の困惑がいっそう深まった感じが、読書=体験しているとよくわかる。
その後の情報収集で、野々宮と美禰子が親しいのは、野々宮と美禰子の兄恭助が同窓生だったからだとわかる。
「おっ、被害者の名前恭助がやっと出たな。第五章まで待たされたわけだ」
「とはいっても、簡単な紹介だけよね」
ただし、理学士である野々宮とは異なり、恭助は法学士である。そして、恭助の兄が広田と非常に懇意であったこと、英語好きな美禰子はいまでも広田のところに英語を習いに行っていることなどがわかり、ここにいたってようやく三四郎は自分を取り巻く人たちの関係性を把握することができたことになる。そして、美禰子がたびたびこの家を訪ねてくることもわかる。
「つまり被害者恭助は、美彌子の兄にして、野々宮の学友。さらに恭助の兄は、広田の親しい友人であったってことになる。恭助は、東京での三四郎の知人すべてとつながっていたわけだ」
「よし子が、三四郎に状況を整理してあげるということになるわね」
絵がうまくいかなかったよし子は描くのをやめ、三四郎にお茶を出すからあがるようにと命じる。三四郎は『一種の愉快』を感じるが、その感じは『異性に近づいて得られる感じではなかった』とある。その後にも、『この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする』ともある。やっぱり、その居心地の良さは、母親のものだと考えざるを得ないな」
「しかも、よし子の頭の良さにも三四郎は感銘を受けるわよね」
「で、下宿に戻るとちょっとした衝撃が待っているわけだ」
三四郎が下宿にもどると、美禰子から明日菊人形を見に行くから広田先生の家に集合、という旨のはがきが来ている。そして、三四郎は、『その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書きに似ている』ことに気がつく。
「よし子の次は、美禰子ってわけね。九州に関しても母とお光さんがペアで出てくるのと比例している感じね」
「水彩画といえば」
そこまで言って、すでに噴きだしている高満寺がいた。
「ああ、あれも漱石がらみだったな」
変なものを思い出させやがって。俺まで思いだして、つられ笑いしてしまうじゃないか。まったくやめてほしいものだ。
何のことかと思うだろうが、常習的なテクスト改変者のなかで有名な奴がいる。有名というか、ファンが多いのは確かだ。いまだ捕まらないのが不思議なのだが、通称「しのび笑い」同様、なかなか周到な奴で、足跡をほとんど残さないのだ。
「まったく、あの『エロじじい』ときたら」
ああ、せっかく勿体をつけてたのに、高満寺が通称をもらしちまった。そう、そいつは「エロじじい」って呼ばれてる。なんでも、エロに変えてしまうそういういたずらばかり繰り返しているからだ。有名なのは、三島の『憂国』の性交場面の描写を、団鬼六や綺羅光の文章と差し替えた『悶国』事件だろう(そう、名を体で表すようなタイトルまで用意してやがった。コピーライターのセンスも若干兼ね備えているようだ)。国粋主義者の中には、この一件をもってして、『エロじじい』に処刑宣告を出した者も出たほどの大騒ぎになった。なんせ、ニ・ニ六事件を背景としたこの重々しい小説を、煽情小説に変えてしまったのだから、その筋からすれば大事件である。この行為を蛮行とそしるものもあれば、勇気ある行為と称賛する声も当時はあって、大問題に発展したものだった。
「まあ、水彩画がらみのあれは、ほんのおふざけだったけどね」
「ええ、でも、わたしは好きだわ、ああいうセンス」
それは、奇しくも現在探索中の漱石のデビュー作『吾輩は猫である』における出来事だった。猫の飼い主である珍野苦沙弥が、下手な水彩画に凝るという場面がある。本人は自分が下手の横好きであることを自覚しているのだが、ある夜夢で、自分の絵が立派に見えると錯覚する場面がある。「エロじじい」は、そこに永井荷風の作とされる『四畳半襖の下張』の一部を挿入したのであった。
かくして珍野苦沙弥の見た夢は、
『昨夜は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛ほうって置いたのを誰かが立派な額にして欄間に懸かけてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。それは一人の女を描いた画であった。女は桃色の薄絹の袖の短くなった、ナイトガウンのようなものを、一枚きり身につけているだけで、ズロースもはいていなかった。女は二十二三の顔も肌も美しい、すらりとした肉付きのいい体をしていた。それが薄絹で包まれているだけに、一層柔軟なその曲線が悩ましく感じられた。これなら立派なものだと独で眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚さめてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。』という淫夢に変わってしまったというわけだ。千里眼と呼ばれる、テキスト改変探知マニアたちが大騒ぎをしたために、読者が殺到し、管理局は一時『吾輩は猫である』へのアクセスを遮断せざるをえなくなった。
その間に俺たちが出動して、苦笑いしながら、「それは一人の女を~悩ましく感じられた」までを削除したのであった。
おっと、脱線してしまった。テキスト探索を続けるとしよう。
(第21回 了)
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