母親の様子がおかしい。これがいわゆる認知症というやつなのか。母親だけじゃない、父親も年老いた。若い頃のキツイ物言いがさらに先鋭化している。崩れそうな積木のような危うさ。それを支えるのは還暦近いオレしかいない・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家による苦しくも切ない介護小説。
by 金魚屋編集部
三十一.
ショートステイから帰った翌日から、尿漏れが止まらない。
朝晩ヘルパーが訪れてオムツを替えてもらうと、尿がおびただしく漏れている。その時点ではじめて気づくぼくもぼくだが、傍にいても原因がわからない。ヘルパーたちのオムツの施し方には多少の個性というかクセはあるけれども大差はない。それが毎回のように漏れを起こし衣服ばかりか防水シートまで汚すなんて、これまでなかったことだ。尿の総量が増えるはずはない。水分摂取量はほぼ変わらないからだ。何かが起きている。何かしでかしている。疑わしいが証拠はない。これもなかったことだが、三日連続で朝さっさと起きて、ヘルパーに笑顔をふりまくほど機嫌が良かった。ところが食堂へ車イスで連れて行こうとすると、ベッドの手すりを両手で檻を握りしめる囚人のように持ったきり動かない。じぶんで起きて歩きたいということなのか。ベットから車イスへ移乗するため腰に手を回して抱え上げようとするヘルパーに、ビンタしようと右手をふりかざす。その姿にかつての母の姿が重なった。
「もういいッ。Cさんもういいですよ。このひととはわかり合えない。心が通じないんだ」
そう言っているぼく自身がいちばん心なんてものを信じていない。
ベッドを起こしてそこで食事を摂ることになった。盆に乗せて運ぶと、あとはヘルパーに任せてぼくはさっさと部屋を出た。いつまで生きているつもりなんだこのボケは。そりゃ本人が生きたいってならご当人の自由なんだから邪魔はしないさ。だが進んで助けてやろうなどとはこれっぽちも思わない。何か存念があるのだったら、思い残したものがあるなら別だが。もっともそんな存念があったところで、もはやオレには知るすべもないけどな。せいぜいオレを憎々しげに眺めながら、辞世の句でも歌ってみてくれな。ほら、あんたの好きなナンとか法師でもひねって、こんな句どうかな。「心なき身にもあはれは知られけり病めるわが身に秋の夕暮れ」なあんてね。上の句の意味が変わってるの、わかるかなあ。わかったら一生あんたについてくぜ。
それが起きたのは、庭の柿の木や白木蓮の葉が北風に舞い、つむじを描きはじめた十月の後半に入ったころだった。
夜の七時ちょっと前だった。ここ数日気になっていた。ぼくの姿が見えないよう廊下の向こうからそれとなくベッドの方を見ていた。そのときだった。父親がれいのつなぎ服のホックを外し、ファスナーを腹まで下ろしたのは。
いずれ来ると思ってはいた。だがこれほど早く訪れるとは想定外だった。尿漏れの張本人もやはりこの男だったのだ。つなぎ服の上から指を巧みに這わせてオムツを緩め、引き下げているところが見えた。それでずっと眼を光らせていたのだ。そうしたら、とうとう件のホックを外してしまった。スイートスポットを正確に押下できたときにのみ立てる「プチッ」という金属音をともなってホックが外れると、まるで未解決問題の証明にひらめいた数学者が、ひとたび道筋さえ見えてしまえばあとは余裕綽々とそのプロセスを祖述していくように、すらすらとかろやかにファスナーを下ろしていく。下ろし切ったところでようやく我に返り、「このヤローやりやがったなッ」と廊下の向こうからわめきながら駆けつけたぼくを訝しそうに、いったい何か起きたのかなと言いたげな涼しい表情で眺めている。父親の全面勝利だった。アルツハイマー型認知症をはじめ認知障害のあるひとには、このホックを外すのはまず不可能と言われていた。ヘルパーも看護師もケアマネも口をそろえて否定し、服を売ったお調子者の店長も「いやあそんなことムリムリ、外せたひとなんてこれまで見たことも聞いたこともありませんな」と断じたそのホックを誰の手も借りることなく、みごとに外したのである。
たまたまこの夜の担当ヘルパーは、長谷さんだった。玄関を開け招じ入れたぼくの顔を見るなり「何か起きたんですか」とあやしみ、いきさつを聞くと眼を大きく見開いた。「わたしも長いことこの仕事をやってますけど、こんな方ってはじめてですわ。認知症といっても、もともと頭のいい方でしたわよね。並外れたお人です。脱帽するしかありませんわね」と同情して、いや内心は面白がっているような気もしたが「これくらいじゃ、付け焼刃ですけど」とこの前そうしてくれたように、つなぎ服の上から安全ピンを幾重にも施してくれた。「息子さん、これまでよくやられましたよ。もういいわよって、お母様もきっと思っておられますよ」そう言って、施設へ入れることを勧めた。そうだよな。それしかないよな。以前からあんたには宣言していたものな、このホックが命綱だって。外したら親子の縁を切るって。そのときが早々と来たってことさ。あの「イクセロン・パッチ」の効果かわからないけど、先にぶち壊しにしたのはあんたの方だからな。あんたがじぶんで幕引きにしたんだ。いいよなオヤジ。オレはなあ、あんたのために会社も辞め妻子とも別れ、抜けがらになっちまった習志野のマンションも放ったらかしにして、あらゆる犠牲を払って実家でもないこの家まで来て、あんたと一緒に住んでるんだぜ。その報いがこれかよ。実の息子にこんだけ背負わせて満足かね。それにしてもあんたと過ごしたこの三か月は、いったい何だったんだよ――いくらわめいても騒いでも、しょせん負け犬の遠吠えにすぎなかった。
いま着ているのとは異なるつなぎ服はないのかと、介護用品店に当ってみた。倉庫の奥までさらったら眠っていましたと言って二着、店長がさっそく持って来た。ひとつはファスナーの上げ下ろしをロックするためのホックが胸元にではなく、足の裾にあるタイプで、もう一着は女性のワンピースのように、背中にファスナーがあるタイプだった。認知症もしくはじぶんで身を起こせないひとには、けっして脱ぐことが出来ない。手足は動かせても、実質的には拘束着そのものではないか。
「何だ、最初からこういうのを持って来てくれよ」
「スミマセン旦那。まさかあれを脱ぐお客さんがいるとは思わなかったんで。ヒヒ」
何がヒヒだ。ペラペラの綿の寝間着が二着で二万円も取られた。こんな服を在庫に持っているということは、認知症患者の身体拘束がやかましく言われている昨今なお父親とオレのようなケースが一定数ある、それどころか世間の目が厳しくなってむしろ水面下で市場が広がっているということではないか。足元を見やがって。「近ごろはそれ、人権てのがうるさくてですねえ」よく言うよ。これだから介護業界の連中というのはしたたかというか、まったくもって信用ならないのだ。それにすがっているオレも同じ穴の狢だが。
翌日から一週間のステイである。絶妙のタイミングで離れられる。が、しょせん先送りにすぎない。施設へ閉じこめてしまうか、どちらかが死を迎える以外に解決はありえない。それも出来ないなら、先送りし続けるしかないのだ。父親にしてみれば、せっかくわが家に戻ってきて心安らかに好きなように過ごそうと思ったら、バカ息子にベッドへ拘束され監視され、さんざん怒鳴られ罵られて、ストレスも溜まる一方だったはずだ。ここ数日調子も良かったのにそれが裏目に出て、親子の縁を切ると詰られさんざん悪者にされてすっかり眼も虚ろ、ますます傾眠状態になってしまった――いいや逆だぞアツヒト――そこへメフィストフェレスのようなあの低く乾いた声が割り込んできて、勝ち誇ったように谺した。声はオレの中からやってくるのか目の前にいるコイツからか判別できない――親不孝者の鼻をへし折ってやろうと、お前の得意なつなぎ服とかいうシロモノをちょいと脱いでみせてやっただけですっかり凹みおったひ弱なヤツは誰だ。まだまだガキだな。そうだお前にふさわしい替え歌を一首詠んでみたぞ。「心なき身にもあはれは知られけり病みし吾が子の秋の夕暮れ」どうかね。
三十二.
ステイから戻ってからというもの、これまでになく調子が良さそうに見えた。
朝食は珍しく完食した。顔色もいい。「お父さん、とても血色がいいですね」と訪問医も言う。黙って肯く父親。ベッドから車イスへの移乗をじぶんでやりたがる。ヘルパーが手伝おうとするその手を、「うーん」と怒って払いのける。じぶんで出来ると思っているのだ。いまの筋力では自力で乗り移れるはずがない。ベッドでグズグズとヘルパーにキレているうちに時間も切れて、せっかく食堂でゆったりと朝食を摂る機会を失い、やむをえずベッドで済ませ、寝かされてしまったのは自業自得というべきだが、久々に父親らしい行為ではある。
ヘルパーがいなくたってぼくが食べさせてやればいいのに、そのまま寝かせて昼まで放っておく。昼も経口補水ゼリーを一本呑ませるだけ、他は何もしない。ヘルパーの訪問時間は朝夕一時間ずつ、超過すれば保険の適用外になる。すでに限度枠を越え、毎月かなりの負担を抱えざるをえない状況だった。かれらの手際の良し悪しにもよるが、一時間のなかでオムツを取り替え、囚人服ならぬつなぎ服を着替えさせ、ベッドから起こし、「ウーッ」と怒るのをなだめすかして車イスへ乗せダイニングへ連れて行って、アツアツのおしぼりで顔を拭ってから入れ歯をはめ、スプーンで口へ運んでやりながら食事とクスリ入りのデザートを摂らせ、入れ歯を外して口腔ケアを施しふたたびベッドに連れて行って寝かせる。入浴はショートステイとデイサービスで対応してくれるからいいとして、それら最低限のケアは毎朝晩欠かせない。しかし時間内でやってのけるヘルパーはそうそういない。タイムアウトした後はぼくがやる羽目になるが、手助けを拒んで車イスに乗らなければ、これさいわいとベッド上ですべて済ませてしまう。足も食も細くなるに決まっている。元気だったころは身長一六五センチに対し、体重は六〇キロをオーバーしていた。いまは四〇キロしかない。ステイでせっかく調子が上向いたのに、家で過ごしているあいだにぼくが弱らせ体力と気力を奪い、一歩ずつ死に近づけていることになる。気が咎めないでもないが、さっさと死ねばいいのにと思っているぼくが反省するなど自己矛盾でしかない。ただ当人の生死については第一に本人の意思を、次に自然の摂理をまずは尊重しなくてはならない。この基本原則だけは遵守するが、それ以上のことは何もしないというだけだ。
ステイがまたはじまった。車を見送ってから忘れ物に気づいたぼくは、届けがてらこっそり様子を覗いてみた。男女あわせて二〇名ちょっとだろうか。一階奧の広々としたミーティングスペース兼リハビリルームのような場所へ集って、思い思いに過ごしている。看護師らしい女性が入所者たちに声をかけて回りながら談笑している。そこからひとりぽつんと隅のほうに離れて、黒い上下トレーニングウェア姿の父親が車イスに座って上体を「く」の字がぺしゃんこになったように傾け、うつらうつらとしていた。ベルトがなければ転げ落ちていただろう。起こそうとする者も話しかける者も、目を向ける者も誰ひとりいない。その姿を遠くからしばらく眺めていた。
外では冷たい雨が降っていた。
*
この日も朝からあいにくの雨模様だった。
やれやれと思った矢先、手元の携帯電話が鳴った。ステイ先のPからである。お父様が三八度の高熱を出した、いまからすぐに帰したいという。即座に「ダメです。いま遠地にいるから」ぼくは習志野にいた。鎌倉まではJR津田沼駅から総武線快速・横須賀線で一時間半、徒歩を入れて最短で二時間かかる。しかしそういう問題ではない。この日は「サイクルモード」という年一回の自転車の一大イベントがあって、これから幕張メッセまで行くところなのである。モーターショーの自転車版みたいなものだ。それに合わせてステイの日程も組んだのだ。たかが熱くらいでぼくが動じると思ったら大マチガイである。どのみち父親の帰宅時間は三時半と決まっていたから、午後イチに習志野を立つ予定だった。それまでも待てないのか。何のためのショートステイなんだ。さいわい雨は止み、開場前の九時半に幕張メッセへ到着した。この間、万一のことがあったとしてもけっして後悔はすまい。ぼくは必死に遊んでいるのだ。すると今度はケアマネの円地さんから電話が入った。「担当医のYさんとヘルパーには連絡取れました。あなたが帰宅次第すぐ行けるよう待機してもらってます。何時に戻れますか」と言うから、「もともとの約束は三時半ですから。それまでには帰りますよ」フランス製でフレームだけで四〇万を超えるお目当ての自転車を試乗してメッセ会場の特設トラックを一〇周ほど回り、展示ブースをひと通り見物して、屋台で軽く昼食を済ませると一二時半。いったん習志野のマンションに戻り、リュックを背負って総武線快速・横須賀線逗子行きに当初の予定通り乗り込んだ。
ぼくは、はらわたが煮えくり返る気分だった。ステイ先のPは、共通の医療法人傘下の、同名病院に併設する老健である。病院と隣合わせだからいざというときも安心ですと、契約時に言っていたのは誰だ。そもそも老健内にも医師や看護師がいるにもかかわらず、ショートステイだからと医療行為を一切拒み、インフルエンザならともかく、ちょっと熱が出たくらいでさっさとお引き取り願ってあとは知らぬ存ぜぬ、そっちのかかりつけ医に診てもらってくれとは何だ。そんな手前勝手で非効率なルールを誰が決めたのか。家族がぼくのようにイヤだと拒否すれば、担当のケアマネに押し付け、別の医療機関を手配させ手当てさせる。すぐ隣に自前の総合病院があるにもかかわらずだ。手配するのも掛かる費用もとうぜんこちら持ちである。ふざけた話ではないか。
帰宅した父親は眼を開けるのもおっくうと言いたげにぐったりしている。と思ったらそのうちに「グー、グー……ンガオーッ」と不規則で大きな鼾をかきながら眠りはじめた。熱を測ると三七・一度しかない。ぼくの腹の虫は収まらなかった。送ってきた担当者に、
「ちょっと熱がオーバーするたびに直ぐ引き取ってくれじゃ、おちおち予定も入れられないじゃないか。おたくの看護師はお飾りかよ。もともと今日が帰宅日だろ。二、三時間くらい様子を見といてくれればいいじゃないか。何のためおたくにお願いしたかわからないよ」
「私に言われましても、規則なんでまことに申し訳ないんですけど……」
ルール上は、三七・五度を上回るとステイでは預かれないことになっているが、そんなことは知っている。この答えにこちらもかっとなって、
「だから、その規則が問題だってんだよ。あんたじゃ話にならない。責任者をすぐ連れて来なさい」
と叱りつける。訪問医には礼を言って帰ってもらい、ケアマネには「ルールだからといってこうも杓子定規に対応されてはとても安心して任せられない、何でこんな施設を選んだんだよ」と毒づいた。
翌朝、老健Pから二人来た。一人は昨日ぼくが文句をつけた年配の担当者である。もう一人はこの施設のマネージャーのMという男で、契約のときだけ家へ来たが、それきり顔を見ない。今回は担当者任せではさすがにヤバイと思ったらしい。ところがこのマネージャー氏、謝りがてら何やらリハビリ計画書だとかいう書類を読んでここにサインしてくれと差し出して来るものだから、やんわりと断る。すると今度はサインだけでいいです、お手間は要りませんなどと丸めようとするからカチーンときた。
「読みもしない書類にサインなんて出来ますか。だいたいね、いまそんな話を聞きたいんじゃないよ。あなた状況わかってますよね」
焦ったマネージャー氏、「じ、じゃ私もホンネをいいます。」本音って、それじゃあ端からゴマ化す腹だったわけね。かれの言うには、次のような背景があるらしい。顧客が入所中に医療行為つまり、医師による診察および点滴等、何らかの対処を要する事態が生じると、通常外来なら保険料一割負担の適用内であっても、ショートステイの場合、全額老健の側で負担しなくてはならない。それでもなおユーザーサービスとして対応するか、コストもかさむしその前に責任分担をはっきりさせた方がいいから家に帰すかどうかは、施設長の判断に任される。老健Pでは院長が施設長を兼務していた。ようするに「先代は融通がきいたんですが、現・院長に代わってから方針が変わったんです」ということらしい。
「だとしたら施設それぞれの経営方針の問題というより、本質的には制度設計の問題だよね。誰に文句を言えばいい? 厚労省の連中? それとも国保連かね。あなたから訊いたって言うよ」
畳みかけると、「いえいえ、現場の運用でうまくやらしてもらえればと思うんです。次のステイのときに、解熱剤と補水液をお父様に持たせて頂ければ、若干の熱であればそれで経過を見ることもできますので」何だよ、落としどころはちゃんと用意してあったんだな。もともと医療施設なんだから解熱剤も補水液もいくらだってあるだろうに、それを「処方」出来ないからと入所者に持参させ、ぼくのように面倒臭い家族がいれば穏便にはからうが、さもなくば対応しないというのもおかしな話である。とりあえずこの日はお引き取り願ったが、ぼくは釈然としなかった。
父親はぼくの横で騒々しい音をたてながら、まるで全身全霊を込めているかのように眠りこけていた。
ステイ先で何が起きたのか。どんな扱いを受けたのか。戻って来てからというものずっと寝たきり、翌日もムリに起こそうとすると瞼が糊で貼り付けられたように開かない。どうにか上体を起こしベッドで食事を摂っている最中もうつらうつらとして頭が垂れてしまう。何だか生気に乏しい。
丸二日を経た日曜の朝、ようやく恢復の兆しがあり、鯛ぞうすいと薬を混入した杏仁豆腐、水を呑む代わりに経口補水液を二本、介助を受けながら全部平らげた。ひと回り痩せて縮んだように見える。それでもこの朝は冬眠から醒めた熊のように、いささか以前のような眼光が戻って来た。上体を起こすと、直ぐ正面にある亡き妻の遺影に向かって目を凝らしている。眼鏡をかけたいのだな。ことばにも動作にも出さないがそれとわかった。かけてやった。それはとても限られた時の中のできごとだった。母に何ごとかを語りかけているようだった。頭は傷ついた。身体も痩せ衰えた。でも眼はまだ死んでいない。このひとの魂は壊れていない。
(第13回 了)
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*『春の墓標』は23日にアップされます。
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