『角川俳句大歳時記』の刊行を記念して特集「歳時記の力」が組まれている。15年ぶりの大改訂だそうだ。春夏秋冬に新年の全5巻で各巻7~800ページの大冊だ。定価は各5,995円。全冊揃えると3万円近くになってしまうが持っていていい本だと思う。編集委員は茨城和生、宇多喜代子、片山由美子、高野ムツオ、長谷川櫂、堀切実さんの6人。一種の辞書編纂だからたっぷり時間と労力がかかっている。誰かがやらなければならない仕事だが相当に大変だ。お疲れ様でした。
俳句関連の本で一番売れているのは歳時記だろう。次いで売れているのが「俳句入門」的な俳句創作ノウハウ本だと思う。歳時記も俳句ノウハウ本も昔から刊行されていて様々な著者、編者のものがある。俳句ノウハウ本は初心者向けだが、いわゆるプロ俳人でも歳時記は必ず数冊持っているだろう。俳人必携の本である。
この歳時記というものが俳句を非常に良く象徴していると思う。古来短歌は「建礼門院右京大夫集」といった形で家集(個人家集)としてまとめられてきた。が、俳句は全俳人の個人句集が長い年月の間にほんのわずかな秀句・名句に絞られ歳時記に掲載されてゆく(吸収されてゆく)。俳句では作家個人ではなく俳句そのものがその主人(主体)だと言っていい。
こんなことを書くと「俳人の独自性、主体性はないのか」という反論がすぐに飛んでくるわけだが、まあ自由詩や小説的な意味での作家の独自性はないと言っていいでしょうね。作家性とは本質的に唯一無二の作家の自我意識(表現)のことである。しかし俳句では短歌と比べても嬉しい悲しい寂しいといった個の感情すら十全に表現できない。やってみても歪な作品になりがちだ。
よく知られているように正岡子規は『俳句分類』の仕事を残した。室町から幕末天保時代頃までの俳句を子規独自の基準で分類した俳句アンソロジー集であり一種の歳時記である。この『俳句分類』の仕事で子規は俳句の勘所を掴んだ。自分たちの明治の新風は、天明頃の蕪村俳句に一歩を進めただけだと書き残している。俳句ではHaiku goes onなのであり子規の仕事もまた比喩的に言えばいずれ『俳句分類』に含まれるということだ。
この子規の俳句のゼロ地点とでもいうべき認識を最も的確に受け継いだのが虚子だった。俳壇では何かというと虚子であり、なんやかんやいってやっぱり虚子が近・現代俳句の基盤という地点に戻ってくる。
ただ虚子は便利に利用されている側面もあって、大虚子と言われるがその諦念に注目する俳人は少ない。虚子は長生きだったから新傾向俳句、無季無韻俳句、新興俳句、兜太・重信の戦後前衛俳句の始まりの時代まで生きた。関東大震災や太平洋戦争も経験している。それまであまりパッとしなかった漱石に小説で置いてけぼりを食い、同じ子規門弟の伊藤左千夫、長塚節にも遅れを取った。虚子に小説執筆を断念させたのは芥川龍之介だとも言われる。
虚子はある意味負け続けたわけだが、それは俳句においては虚子を正しい地点に導いたと思う。虚子は俳句は花鳥風月でありそれ以上でもそれ以下でもないと断言した。様々な事柄を切り捨て諦めたのである。俳壇的にも世相的に多事多難の時代を生きたが虚子が最後まで無傷の俳句の王でいられた理由である。
この虚子俳句(文学)の中に流れる諦念は俳句ではとても重要だと思う。俳句はびっくりするほど手軽で簡単な表現だから、当初は何でもぶち込めると思いがちだ。しかしぜんぜんそうではない。最も単純で簡単で、その実最も難しいのが俳句という表現である。いつまでもあれもこれも可能じゃないかと試行錯誤するのは時間の無駄だ。きっぱり諦める必要がある。そうすると逆説的に俳句の裾野が広がる。
鳥の巣に鳥が入ってゆくところ 波多野爽波
冬空や塀づたひどこへもゆける
春雨の街に時計の正しさよ
赤と青闘つてゐる夕燒かな
角谷昌子さんの連載「俳句の水脈・血脈―平成・令和に逝った星々」第十回は波多野爽波。角谷さんの俳人のセレクトはちょっと独特で面白い。爽波は大正十二年(一九二三年)生まれ、平成三年(一九九一年)没。享年六十八歳。祖父は子爵。学習院から京大に進学。三島由紀夫は学習院で二級下で爽波主宰の俳句会の会員だった。「ホトトギス」同人で後に結社誌「青」を創刊した。職業人としては三井住友銀行から三和銀行に入行。当然偉いさんでありました。
その雅名の通り爽波の初期俳句は爽やかだ。素直で嫌味がない。「春雨の街に時計の正しさよ」は写生なのだろうが、爽波その人の描写に感じられる。極端なことを言えば、とっても素直に育った子どもが俳句の手ほどきを受けて初めて詠んだような句である。「冬空や塀づたひどこへもゆける」とあるように、この俳人の心は伸びやかなんだろうな。
獣園に張る等質の薄氷
工煙湧く傾斜に蝌蚪の壜が立ち
灯の桜眩しみ過労銀行員
そんな爽波も社会性俳句もどきの俳句を詠んでいる。昭和三十年代後半のことで社会性俳句の全盛期より十年ほど遅れている。虚子が亡くなって年尾の「ホトトギス」継承に疑念を抱くなどゴタゴタしていた時期のことらしい。
ただ兜太を始めとする社会性俳句のような批判意識は薄い。爽波の出自や社会的地位から言っても直截な社会批判句を詠んでも説得力がない。いくら素直な心の持ち主でも長年俳句を詠み続け結社主宰でもあるわけだから、俳句に変化と多様性を求める色気が出て来たというところか。
炬燵出て歩いてゆけば嵐山
骰子の一の目赤し春の山
天ぷらの海老の尾赤き冬の空
身を掻けば穢がぽろぽろと鶴凍つる
五山の火燃ゆるグランドピアノかな
悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし
爽波は六十八歳で亡くなったので、精神が衰える前に肉体が限界に来てしまった俳人である。晩年というのはいわば結果論に過ぎないわけだが、後期の句には素直な句と色気(俳句的な)混じりの句が混在している。
ただ「五山の火燃ゆるグランドピアノかな」は深読みできそうだが、京都五山送り火の日に高級ホテルに滞在していて、ラウンジのグランドピアノの艶やかな黒に火が写っただけの写生句ではあるまいか。「悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし」にしても複雑そうだが、潔癖な作家の驚き(叫び)を表現しただけかもしれない。
いずれにせよ爽波の魅力は「天ぷらの海老の尾赤き冬の空」のような上手い初心者俳句のような句にある。俳句表現に対する色気はあっただろうが、色気の方が浮いている。
ずっと初心者のような句を詠み続けるのは難しい。意図してできることでもないだろう。試行錯誤の果ての諦念とは別に育ちの良い句があってもいい。俺が私がの主張の強い俳句はどうも落ち着かない。『波多野爽波全句集』が本棚にあると心が休まるような気がする。
岡野隆
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