『エクスペンダブルズ2』The Expendables 2 2012年(米)
監督:サイモン・ウェスト
脚本:リチャード・ウェンク、シルベスター・スタローン
キャスト:
シルベスター・スタローン
ジェイソン・ステイサム
ジェット・リー
ドルフ・ラングレン
チャック・ノリス
ジャン=クロード・ヴァンダム
ブルース・ウィリス
アーノルド・シュワルツネッガー
上映時間:102分
■アクション映画における映像表現の比較■
80年代から90年代に肉体派のアクション・スターとして一世を風靡した『ランボー』First Blood(82)のシルベスター・スタローンや『リーサル・ウェポン4』Lethal Weapon 4(97)のジェット・リー、現在でも新たなアクション・スターとして活躍するジェイソン・ステイサムなど豪華なアクション・スターの集合によって、80年代のアクション映画に魅せられた観客の懐古趣味に訴えかけ、消耗品軍団のアクションを呼び物にした映画が『エクスペンダブルズ』The Expendables(10)である。その続編となる『エクスペンダブルズ2』は、アーノルド・シュワルツネッガーやブルース・ウィリスを前線に立たせ、スタローンとの夢の共演肉体賛美を果たした。
しかし『エクスペンダブルズ2』の魅力は、そのような自虐性だけではないし、夢の競演だけでもない。本作最大の魅力は、むしろ前作『エクスペンダブルズ』とは異なる映像表現あるいはカメラの位置や編集にあると筆者は考えている。ではシルベスター・スタローン自身が監督した前作『エクスペンダブルズ』とサイモン・ウェスト監督の『エクスペンダブルズ2』における映像表現の相違とはなんだろうか。この問題を考えるためにはまず、「80年代から90年代に人気を博した肉体派アクション映画におけるアクション描写」について考えなければいけない。
■肉体派アクション映画におけるアクション描写とは何か?■
そもそも肉体派アクション映画とは、80年代から90年代にかけて全盛期を迎えたアクション映画のサイクルであり、ほとんどの場合、強靭な肉体や身体性(いわゆるムキムキだとかマッチョなボディ)を有すアクション・スターを呼び物とし、その身体が物語展開の動機となり格闘の舞台になる作品群を指す。例えば娘をテロリストに誘拐された時、ヒーローはテロリストたちを全滅させて娘を取り戻すために一人で敵地に乗り込まなければいけないが、一般人にとっては無謀とも見えるその行為を可能にし、戦いへと向かわせる動機は、ヒーローの視覚的な強靭さであり、肉体そのものにある。ヒーローの身体が彼を激闘の場へと向かわせ、身体が傷つくことによってサスペンスを生み出し、身体能力が敵より勝ることによって勝利が期待される。そして最後に彼らが必ず勝つことによって、観客は傷ついた顔や体に男性中心主義的な理想像と憧れを見出し、アクション・スターに羨望の眼差しを向ける傾向にある。それは80年代のロナルド・レーガン政権における保守的なアメリカの潮流が深く関連しているとしばしば読解されてきた。
また往々にして肉体派アクション映画と呼ばれるそれらの映画は、アクション・スターの身体能力や肉体そのものを輝かしく強靭に見せるために、極力カメラは躍動せず、しばしば(彼らの身体全体が見えるように)フルサイズやバスト・ショット、ロー・アングルで撮影され、時折スローモーションによって彼らの身体能力の高さやその肉体が賛美的に表現されていた(上画像『コマンドー』Commando(85))。
実際に80年代の肉体派アクション映画では、シュワルツネッガーやスタローンは強靭な肉体を見せびらかすように往々にして上半身を露出させる。さらに編集で誤魔化すことなく身体性を披露し、しばしば大型のマシンガンや手榴弾、ナイフを片手に敵地に乗り込み、カメラは巨大な銃を放つ彼らの姿をじっくりと見せていた。またジェット・リーは、高い身体能力によって繰り出す洗練されたアクションあるいは自信と冷静さに溢れたアクションで観客を魅了し、ジャン=クロード・ヴァンダムは自らのキック・ボクシングの経歴を活かしたパフォーマンス的な「回し蹴り」によって個性派アクション・スターとしての道を切り開いたと言われている。
そのため80年代から90年代の肉体派アクション映画は最初のアクション・スターと言われているダグラス・フェアバンクスのアクション映画や30年代から40年代にかけて活躍したエロール・フリン、タイロン・パワーのアクション映画とは異なっている。なぜなら80年代から90年代の肉体派アクション映画は、アクション・スターの身体を「悪役を倒すための試練の場」としているという意味において一線を画しているからだ。肉体派アクション映画においてアクション・スターの価値はアクションよりもアクション・スターの「身体」、あるいは「パフォーマンスとしてのアクション」にあると言っても過言ではない。
それ故に肉体派アクション映画は、(肉体派アクション映画を絶滅させた)『マトリックス』The Matrix(99)や『ボーン・アイデンティティ』The Bourne Identity(02)のように編集によって構成されたアクションをほとんど扱わない。肉体派アクション映画はスタローンやシュワルツネッガー、チャック・ノリス、ブルース・ウィリス、ジャン=クロード・ヴァンダム、スティーブン・セガール、ジェット・リーといった視覚的に強固な身体を有すアクション・スターの存在を前提としながら、肉弾戦をパフォーマンスとして見せ、それらを呼び物にする傾向にあると特徴づけられてきた。
だからこそ肉体派アクション映画を自嘲的に復活させる『エクスペンダブルズ』は、近年のアクション映画のように「編集によって構成されたアクション」として演出されるべきではないのは自明の理である。しかし『エクスペンダブルズ』は、「肉体派アクション映画の復活」を呼び物にしながらもアクション・スターの肉弾戦を連続的なカッティングとクロース・アップの連続によって形成してしまったのである。そうしたアクション・スターの身体を鼓舞しない00年代的とも言える見せかけのアクション描写は、『エクスペンダブルズ』が有す「肉体派アクション映画の復活」という呼び物と矛盾する。そういう意味で前作『エクスペンダブルズ』は、肉体派アクション映画における「アクション・スターの復活」ではあったが、「アクション描写の復活」ではなかったと言えるだろう。
もちろんそれでも『エクスペンダブルズ』は「肉体派アクション・スターの復活」、そして大胆な自虐性と滑稽さに溢れているという点で魅力的ではあったが、そこにはジェット・リーやスタローンが演じる傭兵としての「登場人物」がいるだけで、観客がかつて熱狂した「ジェット・リー」や「シルベスター・スタローン」という呼び物としての肉体派アクション・スターの驚異的な身体性はほとんど表現されていなかったように思われる。
だがその一方で、監督をサイモン・ウェストに委ねた続編『エクスペンダブルズ2』は、まさしく「肉体派アクション・スターの復活」であると同時に「肉体派アクション映画」の復活であった。『エクスペンダブルズ2』は、肉体派アクション映画が前面に出していた魅力、つまり「パフォーマンスとしてのアクションと身体性」を復活させたのである。それは本作におけるジェット・リーとジャン=クロード・ヴァンダムのアクション描写を見れば明らかである。
■パフォーマンスとしての強靭な身体■
ジェット・リーは『少林寺』The Shaolin Temple(82)で主演を務めツイ・ハークの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』黄飛鴻 Once Upon a Time in China(91)で注目されるとハリウッドでは大ヒット・シリーズ『リーサル・ウェポン4』で銃を一切使わない冷静沈着な悪役として人気を得た。その後『ロミオ・マスト・ダイ』Romeo Must Die(00)や『ザ・ワン』(上画像)The One(02)などでハリウッド映画におけるアクション・スターとしての地位を確立させたことはよく知られている。彼の持ち味は言わずと知れずのクンフー的イメージを前面に打ち出した華麗で俊敏なアクションであり、しばしば異国趣味と冷徹さを調和させたアクションを売り物にしたと言われている。だが前作の『エクスペンダブルズ』では、そうした彼の俊敏さが連続的なカッティングによって装飾され、あらゆるカメラ・アングルで撮影されたために、そのアクションをパフォーマンスとして魅了するものではなかったように思われる。だからそこにいたのはジェット・リーではなく、「超人的な肉体を身につけた傭兵」という役柄にすぎない。一方で『エクスペンダブルズ2』では、そのオープニングで目覚ましいアクションを見せてくれる。
それは彼が複数の男たちを前に非常に狭い部屋の中でフライパンを両手に持ちながら、敵の顔面などを殴り、自らの身体を回転させ、素晴らしき俊敏さと正確さをもって次々と敵を倒していき、最後に「いっちょあがり」というような溜息と共に締めくくるアクション・シーンに他ならない。このシーンは驚くべきことに、一切の細かな編集なしにワンカットで撮影されているのである。カメラは若干ロー・アングルになりながら、彼の動きに合わせて平行に移動していく。このワンカットは、撮影技術としては決して難しいものではないが、彼の非常に素早い動きと身体性は、一種のパフォーマンスとでも言うべき驚異的な身体能力として大変に魅力的であった。ジェット・リー自身が「旧知のスタントマンとなら、10人の敵と12、13の立ち回りをワンショットでこなせる」と自負するように、このシーンが観客を魅了したとするならば、その魅力はイン・ヤンという劇中の登場人物ではなく、「ジェット・リー」という驚異の身体能力を有したアクション・スターのパフォーマンス(身体)そのものにあるのではないだろうか。
そうした身体パフォーマンスを連続的なカッティングで切断し破壊することなく、ワンカットで若干のロー・アングル、そして体全体を映すフルサイズで撮影するという視覚的な演出は、肉体派アクション映画の復活を意味すると言えるだろう。なぜなら肉体派アクション映画は、彼らのパフォーマンス的な肉弾戦を時折スローモーションも交えながらじっくりと見せ、少なくとも4~5秒はワンカットで見せていたからである。胸から上のバスト・ショットや体全体を移したフルサイズで映すことが多く、ある種テレビ画面でも気楽に見ることができるほどのものであり、カメラは彼らのパフォーマンスを切り取り、劇的に見せるための演出装置として従事していたように思う。
ある種、肉体派アクション映画的とも言える、こうした俳優の身体賛美の表現性は、『エクスペンダブルズ2』においては顕著である。とりわけジャン=クロード・ヴァンダムの回し蹴りはその代表的な例ではないだろうか。と言うのもジャン=クロード・ヴァンダムはキック・ボクシングや空手への造詣と高い技術をかわれて肉体派アクション・スターの街道を登り始めた俳優であり、『ハード・ターゲット』Hard Target(93)や『レプリカント』Replicant(01)などで見せる彼の身体能力の高さは一つの見世物として、あるいは作品における最大の魅力として扱われてきたからだ。本作『エクスペンダブルズ2』は、ヴァンダムを一人の悪役として登場させるのではなく、アクション・スターとしてのジャン=クロード・ヴァンダムとして彼をスクリーンに投影させていたように思われる。その証拠に彼は作品のラストでヴァンダムの代名詞とも言える回し蹴りをシルベスター・スタローンにお見舞いする。この構図は「ヴァンダムの回し蹴りをシルベスター・スタローンにお見舞いする」という文字通りのマニア必見とも言えるシチュエーションを観客に見せることへの喜びであり、一つの観客に対するパフォーマンスと言ってよい。
おまけにスタローンとヴァンダムという肉体派アクション・スター同士の世紀の対決は、アーノルド・シュワルツネッガーの主演作である肉体派アクション映画の金字塔『コマンドー』Commando(85)のラストにおける「シュワルツネッガーVSベネット」という有名な格闘シーンとよく似ている。『コマンドー』では拳銃を持っているベネット(悪役)が武器を持っていない主人公(シュワルツネッガー)と向き合うとき、主人公は「銃なんか捨てて、かかってこい!どうしたベネット…怖いのか?」と挑発し、ベネットに拳銃を捨てさせ、ナイフによる一騎打ちのデス・マッチが展開する。『エクスペンダブルズ2』の場合、その逆の設定として再現されていた。つまり主人公のスタローンが拳銃を持っており、悪役のヴァンダムがナイフを持っている。そしてスタローンは拳銃を捨てて素手で勝負を挑む。もちろんこのシークエンスとヴァンダムの回し蹴りは、細かなカッティングなしに、ほとんどフルサイズで映し出されている。こうした強靭な身体性を前面に打ち出し、その身体がぶつかり合うことで危機感と勝利の喜びを体感させる状況設定は、まさしく『コマンドー』の焼き直しであり、それは「肉体派アクション映画の復活」のなにものでもない。
我々は『エクスペンダブルズ2』によって肉体派アクション映画の若干自嘲気味な再興を目撃するだろう。そして本作は80年代90年代の肉体派アクション映画にはなかったパフォーマンスを観客に提供する。それが「夢の共演」である。
■驚くべきワンショット■
『ダイ・ハード』Die Hard(88)で知られる「死なない男」のブルース・ウィリス。『ターミネーター』The Terminator(84)や『コマンドー』で肉体派アクション・スターのトップに君臨するアーノルド・シュワルツネッガー。そして本作の主人公であり、『ロッキー』Rocky(76)や『ランボー』で肉体派アクション映画を一気に人気のサイクルへと押し上げたシルベスター・スタローン。この黄金トリオとも言える三人が横一列に並んで巨大なマシンガンを放つ姿(上記の画像)は、まさに「夢の共演」というアクション描写と同等のパフォーマンスとして機能していたように思われる。この華やかで滑稽で自嘲気味なパフォーマンスは、80年代90年代にはなかった見世物ではないだろうか。しかしこの見世物主義的なパフォーマンス描写は、奇しくも「肉体派アクション映画の復活」を誇示したワンショットとしても読み取れるのである。
まず彼らの立ち位置に注目してほしい。武装した武器商人たちがいるにも関わらず、彼らは真正面から横一列に並んでガトリングを放っているわけだが、どう考えてもこの立ち位置は敵の標的になりかねない危険な立ち位置である。相手が彼らに向けて慌ててマシンガンを乱射したとすれば必ず黄金トリオは絶命するに違いない。しかし本作はそんなリアリティを無視し、「弾が当たらない」無敵の存在として彼らをナルシズムたっぷりに見せている。彼らの鍛え抜かれた身体性と強面の顔、ガトリングをぶっ放す強靭な肉体、そして最後の戦いまで絶対に弾が当たらない無敵の存在として映し出されるナルシズム的立ち姿は、まさしく肉体派アクション映画の慣例的なワンショットではないだろうか。
弾丸を避け、すぐさまに身を隠し、逃げまどい、撃たれれば死んでしまうことを前提にした『マトリックス』や『ボーン・アイデンティティ』のアクションには、こうしたナルシズム的な無敵賛美とも言える滑稽かつ絶対的な強さを誇示する描写は存在しない。むしろ『マトリックス』はアクションの美的さとSF映画の要素を盛り込むという新たなアクション映画の潮流を生み出したという点で画期的ではあったが、同時に肉体派アクション映画の絶滅を危惧させるものでもあった。そうした苦難を乗り越え、『エクスペンダブルズ2』においてかつてのアクション・スターを総出演させ、同じフレームの中で肉体派アクション映画の約束事とも言える描写を見せたことは、本作が真に肉体派アクション映画を復活させたことを意味していると言えるだろう。
もちろん本作の醍醐味は「夢の共演」や「肉体派アクション映画の約束事を盛り込み衰退した肉体派アクション映画を復活させたこと」だけではなく、一種のパロディ要素もその一つである。一匹狼のヒーローを描いた『地獄のヒーロー』Missing in Action(84)シリーズで有名なチャック・ノリスの登場シーンに『続・夕陽のガンマン』The Good, The Bad and The Ugly(67)のメロディを奏でて劇中の台詞で彼が「一匹狼」であることを強調し、最後には「群れに属するのも悪くない」と言わせたり、ブルース・ウィリスがシュワルツネッガーに「さっきから「戻った」ばかりうるさい」と説教したりするなど、マニアックなパロディは枚挙に暇がない。
だが先述したように、こうしたパロディは本作の一つの魅力ではあるものの本作最大の魅力ではないように思える。本作最大の魅力は前作の『エクスペンダブルズ』にはなかった「肉体派アクション映画」の約束事を再現し、復活させたことにあるのだと思う。全編を通じて安定したカメラ・アングルとフルサイズで構成する安定感は、かつての肉体派アクション映画を彷彿とさせるものであり、我々はそこに彼らのかつての勇士を見るだろう。それはパロディを誇張させ、アクションを輝かせ、アクション・スターの魅力を再確認させる適切な演出であり、肉体派アクション映画の復活には必要不可欠な要素であった。またそうした肉体派アクション映画の映像表現などにおける約束事の復活は、この手の作品群を再評価させるきっかけを与えてくれるに違いない。今一度、肉体派アクション映画がどのような映画だったのかを再考してみると新たな映画史の断片が見えてくるかもしれない。
後藤弘毅
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■