女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
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「ミク、オリエンテーションどうだった?」
昼休み。推薦入試の女子のグループが私の机の周りを取り囲んでいる。いつのまにか、それが習慣になっていた。一般受験組の子が、入試の過去問越しにこちらに視線を送る。小声で話すようにしているけど、余計気になるのだろう。この時期になると、図書室の机も予約制になっていて、整理券がないと利用できない。整理券を取れなかった一般受験組の生徒たちは、教室しか居場所がないのだ。
「場所、移動する?」
バッグを持って、食堂に行くことにした。別に何を話すわけではないけど、大学生向けのファッション雑誌を見ながら大学生活をシミュレーションするのだ。円卓を囲んでお菓子の交換もはじまる。
「それ、KitKat?」
自販機で飲み物を買いに来たらしい一般受験組のクラスメイトに声をかけられる。KitKatにかけてきっと勝つ。ダジャレとしか思えないけど、そんなジンクスにもすがりたい気持ちなのだろう。立ち上がって、渡す。
「ありがと。勉強すると甘いもの、欲しくなるよね」
「なるなる」
実感の伴わない音声を出す。それが相手にバレていないか、時々不安になる。あまりにも誠意がないことだから。けど、誠意のありすぎる返答は時に波紋を呼ぶことを、私はこれまでに散々実感した。人と会話するとき、いくつかの選択肢の中から一番無難な返答を選んでいる自分に、時々うんざりする。最近では、その選択肢もだんだんと減ってきて、最初から無難なことしか思い浮かばなくなってきた。十七歳にして心の老化が始まっているのだ。そのうち、使わないシナプスみたいに、過激な感情がなくなっちゃったりして。そうして、安直で透明な人間になっていく。
「ポケットにずっと入れてたから溶けてるかもだけど、あげるね」
キンカンのど飴をもらった。三ヶ月前まではアポロだったのに。受験もクライマックスを迎えつつあることを悟った。がんばってね、と一般受験しない私が言うのも無責任な感じがしたので
「ありがと。体調、気をつかうよね」
とだけ言っておいた。
「ミク、坂本の授業の板書してる?」
後ろから話しかけられて、推薦受験組に引き戻される。
「してるけど、雑だよ」
円卓に戻り、無印のノートを開いて見せる。
「タイ語かと思った」
「自分では読めるの?」
意外な反響だ。
「読めるよ。だから、家に帰ったら無印のノートからバーバパパのノートに清書する」
無印とバーバパパのノートを両方見せる。
「二度手間じゃん」
大学が決まって、髪の毛をビビり染めしはじめた女子が言う。
「けど、否応なしにノートの内容は読むし、復習にもなるよ」
「なるほど」
反論をやんわりとした共感という形で打ち消されてしまった。三年になってから、無用な言い合いをしなくなった。私だけではなくて、だれもが。無意識のうちに、卒業後の自分の生活を想像して今いる場所から気持ちが離れているのかもしれない。
「バーバパパ、かわいいよね」
話題はもう別のところに移っている。
「私はバーバモルが好き」
「モルなんてキャラ、いた?」
人間関係は流れていく。だから、つかまれる場所がほしかった。流れるプールの中にいるみたいで、心もとないから。チャイムが鳴る。バッグを通じて、スマホの振動が伝わってきた。
*
「やっとつかまった」
Discord通話がつながると、エリアさんは心底ほっとしたような声を出した。自分から話題を提供できなかったのは、やっぱり警戒している部分があったからかもしれない。
「いま、なにしてる?」
新宿のIKEAのカフェスペースで、ホットドッグを食べながらノートを清書していた。新しいノートを買ってしまったけど、いつか使うからこれは無駄遣いではないと思う。飲食代がとても安いから、高校生でも長居しやすいのだ。アイスクリームとコーヒーを足しても三百円以下。でも今、ここに来られても困る。だから
「勉強してる」
とだけ答えた。
「じゃあ、すぐに切るね」
そう言いながら、エリアさんは話し続ける。
「あのね、グルドがなかなかお願いごとを考えてこないから、メルさんが、海にメッセージボトルを流すイベントをしたらどうかって。場所は江ノ島。今回もメルさんは来ないけど、みんなで楽しんでおいでって言ってた」
「でもねー。不法投棄だしね」
社会科の授業で不法投棄についてのビデオを見せられたばかりなのだ。
「全員で一本だけだったら大丈夫だよ」
大丈夫の基準がわからないけど、私のためと言われると断りづらかった。
「会費とかかかるの?」
思わず詳細を聞いてしまう。
「ないよ。でも、交通費とか食費は自分持ちだから。詳しいことはまたメッセージ送るね」
通話が終了した。私は無印のノートを一枚破いて、定規を当てて半分に切った。半分になった紙の下に、グルドとニックネームだけを書き入れる。叶わない願いごとなんて、したくなかった。期待した日々が折り重なって、重たくなっていくから。見切りをつけた後、支えを失って倒れてしまうような気がしてこわかった。
半分の紙に「意図しない昼寝をなくす」と書いてみたけど、文字にしてしまうと自分でもそれを望んでいないことに気づいた。昼間、私はこっそり睡眠に逃げているのだ。逃げる場所を封じてしまったら、生きていけなくなる。紙をくしゃくしゃにして、バッグの中に入れた。残ったもう半分の紙とにらみ合う。考えていると頭が痛くなってきたので「わらびもちを好きなだけ食べたい」と書いて終わらせた。
(第08回 了)
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