女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
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柚子こしょうパスタが七五〇円。エビとタコのアヒージョが五〇〇円。ロシアンティーが三五〇円。税込み金額を計算しはじめたところで、由紀ちゃんに話しかけられた。
「それ、バイト先のカフェのメニュー?」
「うん。コピー。新しいメニューが追加されたから、値段を覚える必要があって。レジの時に間違えるといけないから、完璧に覚えてこいって店長がうるさいんだよね」
昼休み。私の目の前には小さい二段のお弁当が並んでいる。バイト先のメニューとは違って質素だけど、食べ慣れたものだと美味しく感じる。ミライが、なにも言わずに私のお弁当のタコウインナーと自分のお弁当箱に入っている鮭のムニエルを交換する。
「バイトって、大変?」
由紀ちゃんは、父親に「お仕事って大変?」とたずねる子どものように心細そうな表情をしている。
「行くまでが面倒だと思うこともあるけど、慣れたら同じことの繰り返しで退屈に感じるくらいだよ。バイトの内容によるみたいだけど、私がバイトしてる店はお客さんも多すぎなくてヒマな時もあるし、まかないも元高級ホテルのシェフが作ってくれるから満足してるよ。制服もシンプルでダサくはないし。ごめん、ちょっと自慢した」
「私も、バイトはじめようかな、と思って」
「そっか」
親のリストラの件を聞いていたから、どう返事していいのかわからなかった。同じことでも、必要に駆られてするのは気分が違うと思うから。
「お母さんも、パート見つけたから安心って言ってたし。家政科で調理師の免許持ってたけど、本当に役立つ日がくるなんて思ってもなかったって」
「そっか」
ミライが「大変だね」と声をかける。すこし配慮が足りないと思ったけど、実際に大変だし間違ったことは言っていないのかもしれない。
ママから、「就職に強い大学じゃないんだから、せめて語学くらいは習得できる学部にしなさい」と言われて希望の学部を国文から英文に変更したことを思い出す。それでも不十分だった可能性を考えて、お腹のあたりがスカスカした気持ちになる。
「シフォンケーキも半分もらっていい?」
傍に由紀ちゃんが立っているのに、ミライは由紀ちゃんがもういなくなったかのように振る舞っている。
「いいけど。ミライのミートボールちょうだい」
返事も聞かず、口にミートボールを放り込む。濃すぎる味が安心感を与えてくれたので、私はバイトのメニューの暗記を再開した。
バイトから家に帰る途中で、タカヒロから電話があった。以心伝心な気がしたので、通話ボタンを押す。
「今、ちょっといい?」
唐突な話のはじまり方。男友達と話してるみたいに事務的で、ちょっとイラっとした。
「うん」
「バイトじゃなかったの?」
「なんで?」
「バイト、家の近くじゃん。けど、違う方向の電車に乗っていったから、あれ? どうしてって思って」
友達との会話に夢中で見ていないかと思った。実は私にあんまり関心ないと思ってたから。
「渋谷には行ったよ」
「じゃあ、なんでバイトって言ったの?」
関係ないという言葉が出そうになったけど、やめた。非行少女みたいだし。黙っていると、タカヒロは
「別について行くつもりなかったけど、コーヒーテーブルが壊れたから新しく買おうと思ってIKEAに行ったんだよね、あの日。俺、折りたたみのテーブルで飯食ってるじゃん。まあ、知るわけないよね。それで、自分一人で持って帰るのきつかったから、先輩たちにもついて来てもらったの。組み立てもあるし。さすがに手伝わせるだけだと申し訳ないから、ホットドックとコーヒーを奢ってあげたわけ。したらなぜかずっと説教されてさ。パスの出し方が下手とか。いつ終わるのかなって思ってたら(あれ、みーちゃんじゃない?)って窓の外見ながら言われて。俺、ショックだったよ。見知らぬ男と楽しそうに歩いてたし。明日にはサークル全員に広まってるのかな、って」
と付け加えた。みーちゃんというのは知らない間に付けられた私のニックネームなのだろう。気に入らない。息継ぎの後に、ゴクゴクという音が聞こえる。なにか飲みながら話しているらしい。さらに続く。
「今のはコカコーラのスウェーデン版みたいなやつ。それはいいんだけど、先輩の一人が(あのがショートカットの女子、なんか見覚えがある)って言い出して。その後、(俺も!俺も!)って、ほぼ全員が言い出したんだよね。そんなことある? でも、(東方大学二年の栗林だろ? 久しぶりに見た)とか(え? 城東大の野田のこと? 秋田出身なだけあって色白だよな)って、それぞれ知ってる名前と大学名が違って、お互いに首をかしげてた。違う人の話をしてるのかもしれないって思ったから、どこで会ったのかを聞いたら、友達の友達だって」
エリアさんはロングヘアだから、新しく会った女の子のことを言っているのだろう。そこまで話題の中心になるほど存在感があると思っていなかったから、意外だった。男子の好みって、たまにわからない。
「神戸出身だって言ってたよ」
「いや……先輩の話では、それが京都だったり三重だったり。なんだか不自然だな、って」
「嘘ついてるってこと?」
「まだ確定ではないけど、その可能性が高いと俺は思う」
「だって、なんのために?」
私の口調は苛立っていたかもしれない。
「今のところわからないけれど、ミクはどこでその女子と会ったの?」
「部活で出来た友達の知り合い。パーティーみたいなのに呼ばれて、そこでだよ」
「先輩もそんなようなこと言ってたな。まあ、目的はわからないけど、警戒しておくにこしたことないと思うよ。ミクって危なっかしいところ、あるからさ。ある意味目が離せないんだよな」
「なにそれ?」
そう言ってはみたけど、ちゃんと心配されていることが嬉しかった。
「私はそろそろ家だから、じゃあね」
電話を切ったあと、部屋で一人になって考えてみた。あの女の子が何者なのか、とか。考えてみても、私なんかを取り込む理由はないように思えたから、やっぱり悪意ではないのではないかと納得しようとした。
|昨日(今日?)はごめんねm(_ _)m怒られちゃった?
エリアさんからメッセージが届いている。昨日、父親は先に寝ていて気づきもしなかった。ママは帰ってきた私の気配を感じてコーンスープを作ってくれた。怒られてすねているふりをして、返事はしばらく保留しようと思った。疑いたくないけど、信じることもできなかった。
(第07回 了)
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