女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
9
江ノ電に乗って江ノ島に行く。冬の鎌倉は閑散としていて、静かだった。
「どこも貸し切りだね。あ! 海だよ」
エリアさんが、明るい声を出す。太陽光が反射しないせいか、昼間なのに冬の海は仄暗かった。ガフさんは一人離れた場所にいて。その後をエリアさんがついて歩いた。ほかのメンバーは足元の砂を適当に掘ったり、砂山を作って遊んでいた。
「誰と話してるの?」
エリアさんが、電話中のガフさんの背中を叩いて声をかけた。ガフさんは一言二言言って電話を切り、エリアさんに言った。
「ああ、探し物をしないとな。これなんかどうかな」
ガフさんが打ち上げられたワインボトルを拾った。
「それより、こっちのほうが素敵」
エリアさんが、淡いロゼカラーのボトルをガフさんに手渡した。
ガフさんは、受け取ったワインボトルの栓を開け始めた。塩でさび付いた金属の栓を、力任せに捻っている。
「…っつ。やっべ」
ガフさんの掌にみるみる赤い水滴がにじむ。それが流れて肘まで伝わった。
「手、切ったの? やだ。血が出てる。ボトルこっちに貸して」
「大丈夫だって。大して切ってない。海水で手が濡れてるから出血が多く見えるだけだよ」
ガフさんは舌を出して傷をぺろっとを舐めたあと、海水でザバザバ洗い流した。
「馬鹿じゃないの? 洗ったら塩で余計しみるじゃない」
エリアさんが本気で怒っていた。ガフさんは構わずに、ボトルの中に海水を入れてシェイクして洗い、ガラスの表面の砂も手できれいに払い落とした、淡い日差しの下で、ガフさんの髪がすこし茶色っぽく見えた。エリアさんは、泣きそうな表情をしている。
私は二人の傍について行ってはいけなかったのかもしれない。
ガフさんが、なにかの曲を口ずさんでいる。エリアさんがその歌詞を歌いはじめたけど、即興で作ったのかもともとある曲なのか私にはわからなかった。
「さて、と。それでは、紙を集めます」
ガフさんが、みんなのほうを振り返って引率の先生のような声をあげた。ガフさんを中心にした円を作って、横の人に紙を送る。
「これから、読み上げていこうと思います」
「ちょっと。やだ~」
悲鳴のような笑い声が上がった。
「海の男になりたい。そして、電子レンジがほしいです」
エリアさんが、お腹を抱えながら笑っている。
「音楽の神様、俺に才能をください」
「切実だな」
とガフさんがつぶやいた。
「もう愛人をやめたい。家賃の心配をしたくない。うん、そうだよね。信頼できる人がほしい。……婚活をやめたい。はいはい」
だんだんとシリアスな内容になっている。ガフさんは、読み上げるという選択をしたことを後悔しはじめているらしく、声のトーンが低くなってきた。淡々と、読み終わった紙をボトルに詰めていく。
「台湾の刺繍技術を活かしたアパレルブランドを立ち上げたい。こういうのを待ってたんだよ」
拍手が起こる。
「次、俺か。俺は、会社の経営を安定させたい。でも、これは願望というより目標かな」
ガフさんは、照れたように前髪をかきあげた。
「社長風吹かせるなよ」
ぽいさんが、砂を蹴る。
「そう言うなよ。何かの時にはうちの社で引き受けてやれるくらいにはしておきたいからさ」
いつになく真面目な表情でガフさんが言った。
「わらびもちを好きなだけ食べたいって、おい! これ、すぐに叶うんじゃねえの?」
ガフさんが私のほうを見て笑った。誰が書いたのかわかったらしい。
「甘味処なら、来る途中の坂道にあったわよ」
マリエールさんも笑っている。
「これで全員分が揃いました。これからが俺の仕事だな」
靴を脱いだガフさんが、海に向かって歩いていった。
砂浜の境目で瓶を投げるのかと思ったら、違った。ガフさんは、そのまま海に入り、歩いていく。瓶を持ったまま、クロールで沖に出た。やがて泳ぎをやめ、ガフさんのシルエットが立ち泳ぎに変わった。
ガフさんは腕を高く上げて、ワインボトルを頭の上にかざした。それから勢いをつけて、腕を前に振りおろした。
ワインボトルは手から放たれて思いのほか遠くまで飛び、すうっと長い放物線を描いた。そして一瞬、わずかな光に反応するかのように輝き、波にのまれて見えなくなった。
それを見届けて、ガフさんが再び戻ってきた。行きと同じように、ゆったりとしたクロールで。
「着衣水泳かよ」
ウナさんが呆れたような声を出した。
「人数分の願い全部、俺が背負ってやるから」
ガフさんが、子供みたいに笑った。
帰りはマリエールさんが見つけた甘味処に寄った。甘味処の旗が立っていたけれど、実際はそば屋さんだった。掃除はしてあって清潔なのに、埃っぽい空気が漂っていた。擦り切れた座布団に、潮風で風化したと思われる木の椅子。頭上には音量が大きめのテレビがあった。
ガフさんは、エリアさんのハンドタオルで身体を拭いていた。タオルが、水分に負けてしなしなになっていた。店員さんは、慣れているらしく淡々と接客してくれた。メニューが目の前に置かれる。私の好きなわらびもちは夏季限定で、しょうがないのでおしるこをオーダーすることにした。ほかの人はお蕎麦を頼んでいた。
「芋焼酎のボトルも飲もうかな」
相談するような口調で、ガフさんが言った。寒いのだろう。椅子の背に頭を預けた姿勢で座っている。
「けどさ、好きなものを好きなだけ食べたいって発想、高校生らしいよな」
芋焼酎の件で空振りしてしまったガフさんが、新しい話題を提供する。
「たしかに。俺もそうだったもん。なつかしいな」
とぽいさん。エリアさんは
「えー。私は今もそうだよ」
と言っている。私はがっかりしていた。私のペラペラな感情に共感なんかしてほしくなかったから。それに、あれは誰かに読ませるために書いたわけではない。考えるのをやめたかったから適当なことを書いただけ。内心感じていることを表面から見えないようにガードしているのに、わかってもらえないと空しい気持ちになる。
ただ、私が言葉にできなくても、このグループの中に同じ気持ちの人がいると思うと救われた。目の前に運ばれたばかりのおしるこを食べる。白玉がモチモチしていた。
ガフさんは、くしゃみをしながら温かい蕎麦を食べはじめた。お店の人は親切で、「息子の部屋着だけど」と言いながらスウェットの上下を貸してくれた。ガフさんはスウェットに着替え、着てきた服を火鉢の前で乾かした。服が乾くまで、二時間はその店にいた。
「芋焼酎、飲みきれなかったな。これも縁ということで、ボトルキープしてまたこの場所で会いましょう。お疲れ様でした」
ガフさんの一本締めで閉会する。家に帰っても、潮の香りが髪にまとわりついていた。
(第09回 了)
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