アメリカの作家トニ・モリソンは「良質な芸術はすべて政治的だ」と発言した時、それは「芸術作品は個人の物語を描きながら、社会全体へのまなざしがある」という意味だと思う。もちろんこの場合の「芸術」には、「政治の道具として使われる芸術」や「完全に娯楽のために作られた芸術」は含まれていない。それに対して「いや、芸術と政治は別だ」とお考えになる方も多いようだが、私は芸術の道を選べば、自ずから作家の政治的なスタンスを表すことになると思う。「社会のあり方に対して自分は芸術で応える」というスタンスである。特に演劇は権力体制や秩序に対して挑発的だ。なにしろ何かを表現するために役を演じて、観客を一時的に空想の世界へ連れて行ってそれを信じ込ませる芸術なのだから。空想的で時に非常識だが、社会と密接に結びついていない演劇は観客に強い衝撃を与えられない。
2021年版の木ノ下歌舞伎主催、多田淳之介演出の『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』は、2012年の初演と2016年の再演に続く三回目の上演である。作品の前半では源平の歴史がダイジェスト版で紹介され、後半では原作『義経千本桜』の初段と二段目の内容が上演される。
この作品を観て、芸術と政治の関係を真正面から考えなければならないと思った。ユーモアと高い洞察力にあふれる作品で、観客は笑いながら難しいテーマに向き合わされる。「だれでも楽しめる演劇」として作られてはいるが、演劇好きはその斬新な演出に驚かされただろう。またこの作品を以前人形浄瑠璃や歌舞伎として観たことがある者には楽しい発見が用意されている。しかし単なるエンタメではない。だれでも楽しめる演劇を超える力があった。
前半では『平家物語』の内容をもとに、理不尽に繰り返される殺し合いと政権の奪い合いが目まぐるしいスピードで展開される。『平家物語』に登場する多くの人物たちが、たった九人の俳優によって演じられる。一人の人物が殺されると俳優は衣装を脱いで舞台に残し、早速違う着物を身にして別の役を演じはじめる。やがて舞台には数えきれないほどの衣装が積もっていく。源平合戦が皮肉なユーモアで展開されるわけだが、観客の笑いはじょじょに凍り付いてゆく。内心では観客も分かっているのだ。『平家物語』が描いている内容は史実であり、日本の歴史上最も凄惨な闘いだった。心から笑えはしない。
前半の目まぐるしさとは対照的に後半は穏やかに始まる。兄・頼朝に謀反の疑いをかけられ追われる源義経は九州へ都落ちをしようとするが、悪天候に足を止められ渡海屋の家に一泊することになる。渡海屋の主人・銀平とその女房・おりゅう、それに娘のお安は協力的で義経を追手から助ける。しかしやがて明らかになるのだが、銀平は義経の大敵、屋島の戦いで海に沈んだ平家の最後の柱・平知盛の怨霊だった。おりゅうとお安も同じ戦いで入水して亡くなった、典侍局と安徳天皇の霊だったのである。
前半ではすべてのやり取りが現代口語で行われるのに対し、後半では現代口語と歌舞伎の言葉が交互に使われている。まるで現実と空想の世界が入れ替わりながら、目の前に現れるような演出である。
特に三回も繰り返される安徳天皇の入水シーンが印象的だ。一回目は開演直後で、ある人気ボーカロイドの曲の陽気なリズムを背景に入水が起きる。二回目は歴史のダイジェスト版の流れの中である。そして三回目は「渡海屋・大物浦」の中で、幽霊たちが自分たちの死を再現する場面である。
しかし幽霊たちの三度目の入水は義経一行に止められる。それにより歴史は繰り返されながら、現代まで繋がっていることが示される。目の前で展開される出来事=演劇は自分たちと無縁の架空の物語ではなく、今に続く日本の鏡像なのだ。わたしたちは凄惨な歴史をどこかで止めなければならない。
親から子へ伝わり、消えることのない怨念の坩堝だった戦いの記憶は、命を落としたすべての人たちの着物を着せられた安徳天皇による終戦宣言で終わる。死んでもその怨念を消し去れなかった知盛の霊が、戦いで亡くなった人たちの衣装に包まれた武器を海の底へ運ぶ役を担う。血まみれで切れ切れになった知盛の着物の背中には旭日旗と東京五輪のロゴがうっすらと見える。
知盛が海に沈んだ後、義経は一人舞台に取り残される。「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲が流れる中、彼の周りを幽鬼たちが踊る。盆踊りとは少し違う平家踊りである。上から桜の花びらが舞う中、義経が立っている舞台自体が日の丸になる。幻想的なシーンだがどのように観るかは観客次第だろう。戦いが終わって人生の意味を失くした義経を観る人もいれば、耐えられないほど孤独な人を観る人もいるだろう。無限の可能性を前にたたずむ人間を観る人もいるはずだ。決して一つだけの答えはない。しかしみんな目をそらさずに同じものを観ている。解釈は違っても目をそらさずに繰り返される歴史に向き合うこと、それがこの作品から伝わってくるスタンスである。
日本に生まれ育った人なら、この作品を観て複雑な思いを抱くだろう。『平家物語』は史実とは切っても切れない関係にある物語だから感情移入しやすい。また史実は現代と地続きだから、そこに現代日本のあり方が重ね合わせられると、さらに深く考えさせられることになる。そして現代日本は世界と繋がってもいる。この作品は決して「日本だけの物語」ではないのだ。
海に沈みゆく知盛の背中に東京五輪のロゴがあることに気づいて、わたしは強い感銘を受けた。オリンピックはもともとは世界各国が協力し合って開催するイベントである。この友好的なスポーツ大会の存在自体が国際協力の一つの象徴である。しかしこの考え方はどうやら極めてナイーブなもののようだ。
東京オリンピックで露わになったように、オリンピックはもはや優れた選手たちの友好的な大会というよりも、政治が深く絡まる経済的利益をかけた国際レベルのイベントである。『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』は史実を現代に接続させた演劇だが、それはオリンピックが持つ強い政治性をも含む。
歌舞伎というと古めかしい印象だが、それが本来的に同時代の流行りと現代のあり方を強く反映した芸術であることに、木ノ下歌舞伎主催の木ノ下裕一も演出家の多田淳之介も強くこだわっているようだ。木ノ下歌舞伎のアプローチによって歌舞伎は古典や伝説に基づいた「面白い物語」の枠を越える。それは世界中の人々が視線を合わせる機会を与えてくれる汎世界的舞台芸術だろう。
ラモーナ ツァラヌ
『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』
【公演情報】
上演日程:2021年2月26日~3月8日
会場:シアタートラム
作:竹田出雲 三好松洛 並木千柳
監修・補綴:木ノ下裕一
演出:多田淳之介(東京デスロック)
出演:佐藤誠 大川潤子 立蔵葉子 夏目慎也 武谷公雄 佐山和泉 山本雅幸 三島景太 大石将弘
美術:カミイケタクヤ
照明:岩城保
音響:小早川保隆
衣裳:正金彩
立師・所作指導:中村橋吾
衣裳アシスタント:原田つむぎ 陳彦君
演出助手:岩澤哲野 山道弥栄
舞台監督:大鹿展明
文芸:稲垣貴俊
宣伝美術:外山央
制作:本郷麻衣、堀朝美
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