今号は毎回楽しみな角川短歌賞の発表です。もちろん商業歌誌は角川短歌以外にもあり角川短歌賞だけが歌壇に新風を吹き込むわけではありません。また賞とは無縁に意欲的な試みを為している歌人もたくさんいらっしゃいます。ただ角川短歌賞は歌壇の動きを大局的に表している(象徴している)ようなところがあります。メディアにとっても表現者にとっても一番気になるのは〝今日〟です。しかしそれと同時に〝明日〟のことも考えておかなければなりません。選考委員の質が高いということもあるでしょうがこの今日と明日の連携が角川短歌賞からはよく見渡せるところがあります。
花びらが吹雪に見える新学期 始まる春のわたしの宇宙
葉桜が濃くなっていく 始まって何も残せないうちに六月
どうやってみんなじょうずに生きてるの苗はすくすく育つけれども
わたしではない女を家に上げているきみでない男に会う日曜日
容量を超えないように人間をえらびえらばれ付き合っていく
もう傷を負いたくないの さよならのときはやさしく手を放してね
廣間葉月「海に似ている」佳作50首より
前奏にように膨らむ春の喉 画鋲を空に四つさしたい
パワフルに虹と未来を生みだして指揮者フータの魂は腕
月の上に四畳半だけ部屋を借り雨が降るのを忘れてみたい
血祭りの一分半後、酒飲みの踊り狂った土地を描けよ
キャンバスに歪んだローマ 僕たちは油絵のチューブの凹み
散らばった音が港にもどるときのフラットは北極星だ
折田日々希「モルト・クレシェンド」佳作50首より
まず佳作から。廣間葉月さんの「海に似ている」と折田日々希さんの「モルト・クレシェンド」が選ばれました。お二人とも平成十二年(二〇〇〇年)生まれの若い歌人です。廣間さんは大学生活がテーマの連作で折田さんは吹奏楽部などの音楽系部活動を下敷きにした連作です。
ちょっと身も蓋もないことを言いますと若い歌人が口語短歌から出発するのは今後それなりに長い間に渡って常識的道筋になると思います。またこれも身も蓋もない言い方ですが女性の場合は恋愛が主題になる傾向が強く男性の場合は社会との接点と疎外がテーマになる場合が多いでしょうね。さらに身も蓋もないことを重ねれば口語短歌と言っても俵万智さんの希薄な自我意識短歌と穂村弘さんの幼年期空想的口語短歌の中間表現になる可能性が高い。時に前衛的な試みを為すニューウェーブ短歌ではなく素直な口語短歌が主流になるのではないでしょうか。
こういった書き方が若い作家の常道的なスタートになる理由は比較的単純だと思います。俳句ではまず間違いなく〝私の内面〟を表現できません。自然描写――つまりは花鳥風月に仮託して私を間接的に表現しなければならない。そのような俳句の機微を飲み込めば俳句は自我意識表現の器ではないということがわかってきます。自我意識を表現したいなら短歌の方が優れた表現の器なのです。
ただ日本には短歌・俳句・自由詩の三つの詩型があり自由詩でも作家の自我意識は表現できます。しかしやってみればわかりますが自由詩の入り口は極めて狭く厳しい。先行する名作秀作を読めば自由詩の詩人として出発するためには作家独自の書き方を生み出さなければならないことがわかってきます。自由詩は文字通り自由な表現であり形式的にも内容的に何の制約もないわけです。〝お前は完全に自由だ〟と荒野に放り出されたようなものです。そうなると自由を狭めて自分独自の住み処・表現を見出さなければならなくなります。
現代人の自我意識は強い。誰もが自己を主張したい。しかし生まれながら俳人の資質を持った作家でなければ俳句のような間接的自我意識表現では満足できない。しかし――ちょっと語弊のある言い方ですが短歌はぶら下がりの自我意識表現です。そこに自我意識を詰め込んでゆけば作品として成立してしまうところがある。またすでに口語短歌の様々な書き方や手法が生み出されているので表現に一定の免罪符ができあがっています(ちょっと前は口語短歌はそれなりに意欲的試みでした)。それが若い作家が口語短歌で出発する理由になっています。
言い添えておけばそれじゃあダメだと言っているわけではありません。ただ口語短歌が常識的な書き方になりその中での完成度や巧拙を競っているだけでは明日の短歌の姿にはならない時代になりつつあります。スタートラインは素直な口語短歌でいいわけですがそれプラスが求められるようになっている。
廣間さんの歌は素直ですが技巧的なドラマ性が少ない。対する折田さんの歌にはそれなりに凝った修辞が使われていますが抉るような抒情性に欠ける憾みがある。それぞれ足りないポイントがあるわけでそれをクリアするのが次の敷居になると思います。ただ時代は変わりつつあり今の短歌は時代変化を最も敏感に反映している芸術なので優れた新人と呼ばれるためにはさらなるプラスアルファが必要になるでしょうね。
吊り革を握るあなたの手指にも横顔があるしんと締まって
海からの陽ざしを髪にふくませて前世のあなたは火だったろうか
ほの昏い展示のなかで人形はかがやく凜と死から隔たり
人形は淡く微笑む抱かれたら抱かれたままに歪む身体で
明日事故で亡くなるひとはいま何をしているだろうこの秋晴れに
野葡萄も熟せばだれか摘みにくるそれまで膝を閉じていなさい
まなざされ投影されていくたびに深まる湖を持つ私たち
履き慣れた靴から抜けばつま先は枯野の夢を見ていたような
道券はな「嵌めてください」受賞作品50首より
受賞作のお一人目は道券はなさんの「嵌めてください」です。平成三年(一九九一年)生まれですから佳作のお二人より十歳近く年上です。わたしがあなたに語りかける形式を取っていますが作家の年齢的成熟と歩調を合わせて歌も成熟しています。愛や性のイメージが散りばめられていますがそれが死と裏腹だと表現されている。澁澤龍彦文学と彼が愛した四谷シモンの間接人形のイメージなどが上手く活用されています。修辞の技術も過不足ない。
基本的には口語短歌として書かれていますが道券さんの歌は文語短歌にも進んでゆけるオプションを持っています。つまり後先考えないで始めた口語短歌ではない。一昔前の一九八〇年代頃までは大学生たちは盛んに自由詩を書き卒業し就職してしばらくすると詩を書かなくなるのが普通でした。今はそんな青春詩のフィールドが短歌に移っている印象です。年長者は親切なのでちょっとでも才気があれば若手をもてはやします。しかし書き続けられるかどうかは若手自身の問題です。
今現在の短歌を考えれば道券さんの歌は鉄板的に安定しています。口語短歌が入り口になったとしても歌人はどこかで文語表現を基盤とした短歌伝統と折り合いをつけていかなければなりません。短歌伝統を積極的に排除するようなニューウェーブ短歌がありますから伝統と地続きの歌人の作品を角川短歌賞が評価したのは示唆的です。ただし状況は目まぐるしく変わっていますので来年もこの基準のままかどうかはわかりません。
シリアへ、と我が告げれば不思議そうに瞳を向ける友の多さよ
トルコからシリアへ向かう検問の事務所にかかるルノワールの絵
頑丈で扱いやすく替えがきく少年兵とカラシニコフは
破裂した水道管より水を汲む少女は夏の花の名をもつ
遺棄されたバスは子供の遊び場で子供の数だけ塗られるペンキ
街に生きる子らの声には色彩があると初めて知りし教室
脱出へ 街の最後の風景の動画を撮れば猫が産まれる
田中翠香「光射す海」受賞作品50首より
今回の角川短歌賞で最も冒険的選択だったのが田中翠香さんの「光射す海」だと思います。内戦と政治腐敗で混乱を極めるシリアに行った経験を詠んだ短歌です。選評ではシリアという歌の舞台の珍しさが評価につながったわけではなく作家の抒情表現の確かさが決定打になったというような意味の発言があります。それはそうなのでしょうがちょっと引っかかるところもある。やはりシリアは避けて通れない。
優れた短歌として成立するための蝶つがいが何か一つ足りないような気がします。俳句は世界的に詠まれています。切れ字はありませんが五七五を単語数に置き換えればいいからです。また欧米人は生まれてから死ぬまで自我意識―自己主張に悩まされますから非―自我意識文学である俳句に強い魅力を感じることも俳句が喜ばれている理由です。しかし短歌は俳句ほど形式にうるさくなく自我意識文学でもあります。外国の政治文化などを短歌に持ってきても一方通行という感じを否めません。
田中さんが「光射す海」で表現しておられるのは人類共通の優しさや苦しみです。それが〝シリア〟でなければならない理由が作品からは伝わって来ない。ムスリム世界は日本とは圧倒的に異質な面を持っています。一方通行というのはそういうことでシリアを舞台にしながらその流通範囲は日本国内に留まるのではないか。ただ短歌がドメスティック文学であれば良いのかといえばそうではないでしょうね。なんらかの形で世界視線を持たなければならない。そのヒントとして田中さんの試みが評価されたのなら素晴らしいことです。
この丘に菜摘ます子ゐてその景の国にあまねく意伝子となりぬ
地謡の響・薪の照らす闇そを水として花は在りけり
巨いなる茸生ふる町その景の星にあまねく意伝子となりぬ
現代もまた殖やしたる禁足地 神はまた一柱失せたる
電極を挿さるる脳 薬液にしづもりてその翠を歌ふ
小早川翠「meme」佳作50首より
佳作ですが今回の応募作で最も意欲的作品だったのは小早川翠さんの「meme」だと思います。確かにこの作品に大賞を与えるのは勇気がいる。躊躇して当然だと思います。ただ『万葉』雄略歌のレミニサンスから始まる連作には日本文化相対化の視線があると思います。こういった方法が世界短歌的な表現を生んでゆく可能性は十分あるでしょうね。
高嶋秋穂
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