世界は変わりつつある。最初の変化はどこに現れるのか。社会か、経済か。しかし詩の想念こそがそれをいち早く捉え得る。直観によって。今、出現しているものはわずかだが、見紛うことはない。Currency。時の流れがかたちづくる、自然そのものに似た想念の流れ。抽象であり具象であるもの。詩でしか捉え得ない流れをもって、世界の見方を創出する。小原眞紀子の新・連作詩篇。
by 小原眞紀子
波
すべては波でできている
ママンはささやいた
子ども部屋で
窓辺の植木がそれを聞いた
一週間に一ミリずつ
枝を伸ばしながら
木芽も
樹皮も
いつか咲く花も
すべては波でできている
そのことを考える
揺れながら
たしかに揺れながら
葉は日差しに
根は水に
とけてからまる
部屋に焼き菓子の匂いが
廊下に音楽が
とけてながれる
夜と昼は交互に
夜明けは薔薇いろの
インクの滲みとしてひろがり
夕暮れは橙いろの
熾火として闇にしずむ
すべては波として打ち寄せる
窓からの眺めを
子どもは描いた
通りを過ぎる人びと
並木で囀る鳥たち
塗り壁の白さに
はるかな海のきらめき
明日は家をはなれる
打ち寄せる波に乗り
遠いところへ
山奥の寄宿舎へ
黒板に数式
朝は整列
ほんとはそこも
波でできている
裏庭に小川がながれて
子どもらは順番にやってくる
もみくちゃにされたノートや
入り混じる笑い声を捨てに
ういたりしずんだり
すすんだりとまったり
すべては波をかたちづくり
流れ去るのを眺める
子どもの耳に
校舎の窓からまた響いてくる
ばかみたいな悪口が
はかない虹のように
そう、すべては波であると
大学のゼミで学んだ
言い方を変えれば
すべてはエネルギーである
欲望と恐怖の
どちらかといえば
恐怖が急角度で
我々を追いつめる
断崖絶壁
だからなんなんだ、と
呟いた彼は
ゼミを追われたが
ここが断崖なのか
よくわからない
下を覗けば
欲望は段々になって
足場を作っている
恐怖を探しに
彼は降りてゆく
谷底にはたいてい
小川がながれている
いろんな欲望が捨てられた
なつかしい小川が
恐怖はなく
どこにもなく
姿を変えた欲望しかない
かたちづくられるよりも
かたちをかえるほうがはやい
ひとはひととして成長せず
ひととして年老いず
波として変化する
論文を直して
彼は家に戻る
窓辺の植木が枯れたので
新しく買ったとママンが言う
覚えてる、と彼は訊ねた
すべては波でできている
波打つ白髪を引っ詰めにして
ママンは首を傾げる
それはおまえの
記憶違いだ
おまえが描いた
植木の絵の
はみ出すクレヨンの跡を消し
腕が疲れた
すべての枝葉が震え
その根がからまり
床いっぱいに波打っていた
* 連作詩篇『Currency』は毎月09日に更新されます。
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