エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
熊さんのこと忘れるところだった――二頭目の熊さんね、しけもく好きの熊さんと混同しないでくれよ。大男、毛むくじゃら、農場主、「ちょいとした庭」の話、無政府主義者、だいたいいつも書き物をして(校長先生に対するささやかな嫌がらせも込めて)例の脚足らずの机に陣取っている、手紙を認めれば(朗々と読み上げてうっとりと酔いしれ)その宛先は「我が同志たち」、もうひと頑張りだと活を入れ、期は熟した、世界は兄弟たちで満たされた、だのなんだの。俺は熊さんがきらいじゃなかった。あいつには裏表がなかった、おかげで呆れ返るほど下品なこともあるにはあるが、それがまた人を惹きつけてやまなかった。あいつのフランス語そのものが下品で呆れたシロモノだしね。あれが危険な熊だなんて思ったためしがないくらおだ。俺がフランス政府ならイチゴ狩りでも連れていったろうさ、熊は熊らしくしなきゃ、気の済むまでな。あいつのどこが一番好きかって言うと一家言を表明するのにおそろしく不器用な手を用いたところかな――それをあいつは自身の境遇から立派な前足でもってほじくり出してみせたわけだけどその仕草にときめかないのはフランス政府だけだろうぜ。あいつは、ほら、
自由万歳
という刺青を青と緑の墨で毛むくじゃらの分厚い胸板に彫り込んでいたんだ。たいした熊さんだよ。鼻っ先をひくつかせもしないし餌をおあずけにしても打擲しても未だダンスひとつ仕込めやしない熊……どうも俺は、熊の肩ばかり持っちまう。この熊さんからのお手紙が一通たりとも投函されなかったのは言わずもがなだ――所長は堅物だし、熊さんとて手紙がラ・フェルテの備品のくずかご行きを免れるとは思っちゃいないんだ、つまり書きたいから書いてるってだけ、ってことはつまりあいつが本質的に芸術家だってことだ――だから俺はあいつのことを少なからず気に入っていたんだ。ある日熊さんはのっそのっそと出て行った――どうかその行先に野ばらの茂みが、子供たちが、同志たちが、おとぎ話を出た熊さんにとって素敵で住み良い願ったり叶ったりなものばかりが待っていますように。
若きロシア人と床屋は俺がちょっとばかりオルヌ暮らしを堪能している間に逃げ出した。前者は異様にたっぱがあってがっしりした十九になるかならないかの青年で、独房監禁、数ヶ月に及ぶパンと水の暮らし、間違いは人間につきものだ云々のお説教を経て俺たちの仲間入りをした。ハリィとは似ても似つかない、なんなら腕っぷしならハリィも凌ぐだろうに、彼はとてもおとなしかった。みんな彼のことはほうっておいた。俺は何度か連れ立って町に「水汲み」に行ったことがあって彼は素敵な道連れになってくれた。ロシア語の数字を十まで教えてくれて、俺が十と九に苦戦するのにもやさしく付き合ってくれた。あるとき彼が砲丸を掴み上げて思いきり投げつけたせいで男用の中庭と女用の中庭を仕切る壁が震撼して、石壁が一部崩れ落ちたことがあった。それを機に砲丸は撤去された(それを日課にしていた砲丸選手たちには気の毒だったな、ハリィとフリッツね)愛国心溢るる仕事の最中にあわや死にかけて冷や汗だらだらの看守四人によってね。床屋は、ロシア人の友達で、大部屋にちいさな棚を拵えた、瓶類霧吹き育毛剤整髪粉鋏剃刀その他殺傷器具をこれでもかと並べてサマになっていた。ほぼ毎週ナイフを隠していないかと部屋の検めが入る際になぜか牢番たちがこの危険な武器棚を目こぼしするのが俺にはいつも不思議だった。Bの安全剃刀を借りる習慣がなかったらもっと床屋と仲良くなっていたと思う。代金が惜しかったのでもなく、彼の腕前を疑っていたわけでもなくて、ばい菌が気がかりで棚の衛生器具類には手が出せなかったんだ。そんなにやたらと髭を剃ってたわけでもないし。
(第32回 了)
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