エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
まえにオレンジ帽がおずおずと寡黙屋のそばに寄っていくところを見たことがあるんだ。二人は目が合うと、お互いにすっかりまごまごしちゃって、それぞれに何かオーストリア語で話しかけなきゃと思っていたんだろうな。寡黙屋がそっぽ向いちまった。小男から表情が消えて寂しさに翳った、何も言わずに抜き足差し足でお決まりの林檎の木の下へ引き返していった。
「何某さん、トルコ人」がやってきたのはある夜のことだ、藁布団とその他一式抱えて――パリを出て深更の汽車で到着し、憲兵三人に厳重に守られていた――寝床の並びのなかで俺の寝床の右隣にたまたまあった空き地に越してきた。ラ・フェルテに根づいた確固たる五大娯楽のうち――即ち(1)唾飛ばし(2)トランプ(3)看守いじめ(4)女囚との文通(5)喧嘩――俺にもちょっと素質があったのは最初のやつだけだった。たくさん練習を重ね、熟練した飛ばし手の諸先輩たちに混ざって窓から身を乗り出して窓下の歩哨や壁面から飛び出した窓の張り出しや、高尚で難儀な知的実践の末、ついに全会一致の承認を得られた泥はねを狙い打ちにしてきたのが実を結び、俺は唾飛ばしの達人とまではいかないがそれでも精確性に限って言えば指折りの選手になっていた。就寝時の唾飛ばしはただの娯楽ってわけじゃない、それは――土地柄およびその他の要因のため――必要に駆られてのことだった。だから右隣の空き地はうってつけで言わずもがな便利な痰壷だった。この地の利を得られたのは、全員とはいかない、ほんの二三人だ。でも唾を吐かざるを得ないのは全員同じさ。布団に寝たまま、隣の痰壷に三度目の唾を吐いたときだった、しゃんと折り目の立った寝間着姿の人影がすぐ横の闇の底からむくっと起き上がったのに俺は目を覚まされた。起き上がるなり対面したのは小柄で俺にかろうじて判別できた限りではユダヤ人の幽霊だった、神経質そうな目つきで口を動かすほっぺたを中心に控えめな抗議の表情を浮かべていた。言葉はどうもアラビア語のようなんだけど――寝間着姿のアラビア人なんて聞いたことあるか? だから俺はフランス語で平謝りさ、貴方様のご来訪は喜ばしい反面思いもかけなかったものですからって弁解してね。翌朝になって俺たちは囚人流の名刺交換をした、つまり彼が俺のタバコをひとつ吸い俺は彼のをひとつもらった、そのとき彼がトルコ人で弟さんがパリで菓子職人として働いていることを知ったんだ。彼は品よく礼儀正しい言葉遣いで話しながら多すぎるってほどでもない手荷物を漁り、俺が驚いて喜ぶだろうと思って取り出したのは、これまで味見したもののなかで一番おいしい砂糖菓子だった。彼の気前の良さには品の良さと並んで心を打たれたよ。俺たちはものの十五分で固い友情で結ばれた。それからというもの、夕方になれば、彼はよくBや俺の寝床に腰掛けて、自分が逮捕される日が来るなんて想像もできなかったと話してくれた、その語り口のむやみに驚かせまいと抑えた慎みが俺たちには途方もなく好ましかった。俺たちがアラビア語がなんだトルコ語ペルシャ語がどうだと質問攻めにしても、ほんとうにうっとりするほど簡素で雅やかな文字でもって何かちょっと書いてみてくれとせがんでも彼は嫌な顔ひとつしなかった。ひとり座ってその音楽的な文字列をひとくさり手写するひと時は満ち足りたものだったよ。歌ってもらえるんじゃないかとそれとなく水を向けてみたときには、彼は顔を赤くするばかりで遠く彼方にある言葉にならないほど楽しい何かを思い出して(いやきっと夢に見て)いるかのようだった。
彼は結局ラ・フェルテで必要とされないためにはあまりにも品が良すぎたんだ。
俺たちがダンスの先生を必要としているだろうと思ってのことだとするとフランス政府は、たぶん、ひとつ小さな間違いを犯したことになる――俺が思い切ってこう告発するのは当の奇天烈な野郎がほんのちょっとの間だけ一緒にいたことを思い出したからだ。あいつがどこに消えたのかは神のみぞ知る、ただ元気いっぱいに出て行ったっけ。おそらく十八くらいの青天鵞絨のコーデュロイパンタロンを履いた自惚れ屋の金髪少年、大仰な飾帯を袈裟懸けにして、自信満々の声高らかに、
『僕かい、僕はダンスの先生だ』
それからついでに僕は現時点で「二十の学位」を持っているんだとさ。オランダ人三人組はあいつのことを忌み嫌っていたけど俺たちはどちらかといえば好きだった――君らだってなんだか出鱈目な見えっ張りでも、どういうわけだか、君らが永遠に暮らすはめになった下水道の明かり取りになってくれていれば好きにもなるだろう。あいつのことで覚えていることは他になにもない、ボクシングの話になると空威張りをしていたことと誰でも彼でも「おっさん」と呼び捨てていたことくらいかな。あいつが去った日、少し青ざめた顔で手荷物を軽々掴んで出ていっちまうと、なんだか山積みのうんこに飛び回っていた蝶々がいなくなったような気がしたよ。思うにマルビーさんは蝶々採集が趣味だったんじゃないかな――ついには自分自身が採集されちゃったってね。いつか彼を訪ねてみないとな、衛生刑務所かどこぞの療養地で暮らしているだろう、そこで(あんたがラ・フェルテ・マセ送りにした連中の一人ですと自己紹介したうえで)この説の真偽を問い質してやらないと。
(第31回 了)
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