故郷とは、オリジンとは何なのか。それは実在の土地なのか、人々なのか、記憶の中にだけ存在するものなのか、あるいは常に新たに生み出される何かなのか。『故郷-エル・ポアル-』→『故郷-エル・ポアル-』注→『新故郷』と〝エル・ポアル〟を巡るテキストの旅は続く。
by 大野露井
第二部 ポアル
アパートへ戻ると、祖母は息をふうふう吐きながら階段を昇った。体力の払底した老人の、あの肺の奥から何かを引きずり出してくるような呼吸。それでも義理の妹とたっぷり時間を過ごした祖母は、たった三分で階段を昇りきってしまった。
僕は退屈し、疲れ、もう休みたかったが、カルメンはまたすぐに出かけると言う。僕はもう子供ではなかったから、「いや、結構です」と断ってもよかった。度重なる外出の提案が、十三年ぶりに訪れた甥をできるだけたくさんの人に会わせたいというカルメンの計らいであるとも思えない。あるいは僕が暇を持て余さないようにという、祖母の配慮なのだろうか。もしそうなら、僕は退屈をなかったことにして、いそいそと出かけることにすべきだろう。残念ながら確認する術はない。そんな術があったら、つまり僕が祖母に期待されているように流暢にスペイン語を(もっと言えばカタルーニャ語を)話すことができたら、いや、そもそも祖母と話すことに興味があったら、今度はカルメンのほうが積極的に僕を連れ出そうとしたに違いない。カルメンには聞かれたくない話がごまんとあるはずなので、とても僕と祖母を二人っきりにしておくことなどできないのだ。もっとも、これもまた退屈からくる芝居がかった反応に過ぎない。僕がいなくてもやはりこの日のこの時間、カルメンは出かけただろうし、祖母は僕の顔を見たことで満足しているのだろうから、出ずっぱりだろうと、ずっとアパートにいようと、たいして気にも留めないだろう。
カルメンとハイメと僕は、庁舎まえの広場まで歩いた。そう、ハイメはまたしても犬のようについてきた。思ったよりもずっと母親べったりの息子なのかもしれない。それはそれで薄気味悪く、僕はまたハイメから目を逸らし、自分の周囲を確認した。この町で唯一ネクタイをした人々がいる庁舎の周辺は、この町で唯一、権力者が漫歩するにふさわしい佇まいだった。頑丈な石造りの建物が凹凸のない石畳のうえに鎮座し、もはや陽が沈みかけているのでいっそう滑稽な姿になった怪物の石像を乗せた噴水もあった。庁舎の正門の脇には小さな石塔が地面から突き出していて、台座に何やら長々と説明書きがあった。それはおそらく、このような辺境にあるモデルサも確かに王と議会の同意のうえでその機能を果たしているのだという事実を証明するための塔であり、その意味ではこの鱗翅目のような小さな町にも、泡汗をかいた巨大な奇蹄目にまたがったテンプル騎士団員や神聖ローマ皇帝の足下に身を投げ出す用意があるのだ。だが僕はエル・ポアルの石柱を思い出していたので、神の使いたちのことはどうでもよかった。こんなに疲れていたら、大きくなったいまの体でもあの石柱には登れないだろう。
そのとき近くの建物から一団が通りへ出て、群のなかの数人がカルメンに声をかけた。エル・ポアルほどではないにしろ、この町の住人もそれぞれに顔が広かったから、歩いていればそれだけで「やあ」を連発しなければならない。「やあ」はこの地方では「デーウ」だ。スペイン語のアディオスに対するカタルーニャ語のアデウであり、さらにその口語体が「デウ」である。直訳すれば「さようなら」になってしまうが、「やあこんにちは、調子はどうだい、じゃあまたあとで」がすべて含まれている。擦れ違いざまに、引き伸ばし気味に「デーウ」と言えば、他の言葉はいらなかった。カタルーニャ人たちは馬上槍試合に臨む戦士というよりも、飛べない大型の鳥のような悠長さで、肩と肩が触れ合うくらいの頃合で「デーウ」を発する。四角い顔のアダンさんのように自転車に乗っているなら、軽やかに「デーウ」を風に浮べて、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎてゆく。
しかし群の最後の一人とカルメンのあいだに起こったのは「デーウ」の交換だけではなかった。
「これが彼なの?」
眼鏡をかけた温和そうな中年女性は、どうやら僕のことを言っているらしい。
「そうよ、兄の息子よ」
「こんにちは」
それはあからさまに僕に向けられていたので、僕は挨拶を返した。というのもカルメンの友人は僕を直視しただけでなく、会話を英語に切り替えたのだ。
「いま終わったの?」
「そうよ」
まだ英語は続いている。彼女は英語学校の教師で、授業を終えたところなのだ。
「見所のある生徒はいる?」
「そうでもないわね。あなたみたいに特別な人はいないわ」
お世辞ではあれ、カルメンは予想どおりの答えにほくそ笑んだ。確かにカルメンはエル・ポアルやモデルサでは突出した英語の使い手であり、製薬会社の秘書という地位も、英語の能力によって勝ち取られたものだった。しかしそれは国内での片手間の学習と、若い頃の一年間の英国留学に支えられたものに過ぎなかったので、都会の風に吹かれればすぐに崩れるような屋台骨とも言えた。少なくともカルメンの英語は、およそほかのすべての教養と同様、父の向うを張れるような代物ではなかった。
僕はカルメンを見るのにも疲れたので、仕方なくハイメを探した。興味のない人間と過ごすことの苦しさは退屈にあるのではない。選択肢がないことにあるのだ。しかもそれが身内であれば、いや他人であっても、寝床の提供者であり飯の種であれば、唾を吐きかけて去るわけにはいかない。広場にいながらにして僕は牢獄におり、酸素はどんどん薄くなってゆく。もはや僕には不思議だった。財布の中には金があり、僕には舌があり手足があるのだから、町の宿に移ることも、いますぐ空港へゆくことも、実は造作もないことなのだ。だが僕にはそのつもりがない。おそらく世の中の何千、何万という人間が、毎日のようにこのことに気づき、それでも友人との旅行を、妻との結婚を、親との同居を続ける消極的な決心をする。なるほど父はそうしかなかった。父は金を借りるだけ借り、踏み倒せるだけ踏み倒し、いよいよ訴えられる公算が強くなると、あれだけ渋った離婚に応じ、さっさと国を出て行った。そうすると父は自由だったのだろうか。どうやら牢獄の外に出たつもりでも、そこはもっと大きな牢獄であるらしい。
ハイメは数歩離れたところで、一人の同年代の女の子と向き合っていた。白金の髪を束ねた、小柄で丸ぽちゃな可愛らしい女の子で、ハイメは明らかに彼女に好意を寄せているようだった。
「その子もカルメンっていうのよ」
僕の視線に気づいたカルメンが口を挟んだ。ああ、第四のカルメン! カルメンとその前夫によって株を下げられたカルメル修道会も、この乙女の祈りを聞けばすこしは機嫌を直すかもしれない。
「すごくよくできる子なのよ」と英語の先生が補足した。
「へえ、それはすごい」と僕は胡散臭い返事をした。
「ハイメよりできるわね。ハイメのお気に入りよ」とハイメの母親がつけたした。
「じゃあハイメもがんばらないと」とまた胡散臭い返事をする。
ハイメがカルメンを気に入っていることは目つきからしても間違いないが、それよりもカルメンがカルメンを気に入っているのだ。自分と同じ名で、同じように英語の得意な娘なら、この世でただ一人自分の庇護下にある息子の嫁にもらってもよいと思っているのかもしれない。
「それにしてもあなたって、顔を動かして話しているときはエル・ポアルの顔になるのね。静かにしているとちょっとわからないけど」
いささか唐突に、英語教師は僕に向かって観察の成果を述べた。カルメンと同じ歯並びをしているのだし、もちろん父にも似ているのだから、僕がエル・ポアルの顔をしていることは不思議ではない。それでも英語教師は西洋とも言わず、スペインとも言わず、カタルーニャとも言わず、エル・ポアルに限定した。エル・ポアルの血は、いったい何度の結婚で強化されているのだろうか? そしてまた、静止している僕の顔がエル・ポアルの顔でなくなるのはなぜだろうか? おそらくそれは西洋の顔ですらなくなるのだろう。ここから去れば、もう誰にも僕がエル・ポアルの顔をしていると見破られる心配はないのだ。
「これからテストなの」
可愛いカルメンはハイメと同時に僕にも言った。せっかく話を始めたのに、可愛くないほうのカルメンの恋人であるホアンがもうそこまで来ていたので、僕たちは別れなければならなかった。
「上手く行くといいね」
僕は少女があまり聞く機会のない正しい英語で答えた。
「ありがとう」
カルメンは仲間に合流するために小走りになった。モデルサの町にも育ちのよい子供がいるのだ。団地の駐車場にいた子供たちと違って、刃物を隠し持っているようなこともないだろう。念のため、僕は後ろ姿に注意してみた。灰色のジーンズのポケットはどうやら空っぽで、その奥には猫のように丸まったお尻がおさまっているだけだった。僕はまた情事について考えていた。あるいはもう一日半も煙草を喫わずにいるせいかもしれない。この牢獄は禁煙なのだろうか。可愛いカルメンの灰色のジーンズを腿まで下ろし、白金の髪を後ろから鷲掴みにして荒馬のように乗りこなしているとき、僕はエル・ポアルの顔になっているだろうか。カルメンは両手と両膝をついているから、横目でしかそれを確認することができない。
それからホアンを交えての夕食になったが、そこでは何も起こらなかった。ホアンは青いジーンズと革のジャケットで現れた。背丈は僕と同じくらいで、スペイン人らしく肉厚だった。頭は五分刈り。四十代の白人男性にしては幸運にも、ほとんど生え際が後退していなかった。どんぐり眼の屈託のない表情は、よく言えば人懐っこく、悪く言えば阿呆じみていた。見た目から言えば、同じように知性が感じられないにしても、あのカルメロのほうがまだしも魅力的だった。カルメロのせいで、僕はカルメンが身の程知らずにも面食いなのだと思っていたから、ホアンが広場に登場したときは多少の驚きを禁じ得なかったほどだ。ホアンは、何とか僕と意思を通わせることができるだけの英語を話した。もしかするとカルメンも十三年のあいだに成長し、人間を外面よりも内面で判断するようになったのかもしれない。そう思ってはみたが、もちろんすぐに僕の騙されやすさが証明された。僕はよく騙される。信じられないほど、人を信じてしまう。警戒心の育たないような環境に身を置いていたわけではなかった。父が家にいた十一年と六ヶ月のことを考えれば僕は臆病な人間に育っているべきだし、事実、臆病だった。それでも僕はすぐに人を信じるから、この二つは相互に排他的なものではない。僕はすぐに人を信じるが、決して相手には信じていると思わせない。たいていの場合、しばらくすると僕は自分が騙されていたことに気づく。だが相手は僕が騙されたと感じていることには気づかない。ホアンの場合も同じことが起きたが、それは小さな食堂でピザを食べながらホアンがした最初の質問、「日本には中国人がたくさんいるの?」を耳にした段階ですでに完了していた。こうして僕はまた騙されたのだが、損害としてはわずか七分ほどの時間が喪われただけだし、そもそもこのような旅では、時間は最初から空売りされているので、それも実害とは言えなかった。反対に僕は自分の正しさが証明されたことを快く思いさえした。僕は最初の瞬間に、すでにホアンの顔に知性の欠如を認めていたからだ。「それはいますよ。でもスペインにもいるでしょう。中国人は世界中にいますから」と僕は答えたが、ホアンはそのとき口から飛び出たピザの欠片、爪楊枝の先ほどの欠片を革のジャケットの肘の上でつかまえ、それが何であるかをどんぐり眼でしばらく凝視してから、半信半疑のまま、ゆっくりと口に戻した。「そんなものかな。おれはロシアの女がいちばん好きだね。最近はたくさん働きに来ているからね。なあハイメ、ロシアの女の子はいいよな」ハイメは必要以上に愉快そうな仕種をする。猥談が二人を実の父子にする。カルメンもまた、大げさに苦笑いをしてみせる。小さな聖家族が出来上がる。欠片も残さずピザを平らげ、満足そうにコーヒーを啜りながら、新しい一家の主人は二つ目の質問をする。「君は日本の友達にはなんて呼ばれてるの?」僕は自分の片仮名の名前を、日本語で発音してみせた。「でもそれは君の名前じゃないじゃないか!」ほとんど激昂した様子で、ホアンは不愉快そうに言った。その発音は本来のカタルーニャ式の発音よりも、スペイン式の発音にはるかに近かった。「日本語の発音は子音では終わらないから、他に言いようがないんですよ」僕は説明を試みたが、外国語における母音と子音の関係はホアンの理解を越えていた。ホアンは外国語における母音と子音の関係を考えずに生涯を終える種類の人間なのだ。理解できないことはすなわち理解する必要のないことであり、すべからく悪でなければならない、という原則に忠実な人種なのだ。理解できないだけではない。気高きカタルーニャ語をスペイン語に似たものに堕落させてしまう言語とあらば、日本語は悪魔の言語ということに決まってしまったかもしれない。ホアンの違和感は見当違いも甚だしいものだった。片仮名で発音される名前、スペイン式どころか日本式の、外来語の名前、それこそが僕の名前だった。二十年以上も生きてきて、どうしていまさらスペイン風に舌を巻いたり、カタルーニャ風に上顎に舌を吸いつかせる必要があるだろうか。僕の通帳にも、住民票にも、失効した学生証にも、はっきりと片仮名が並んでいた。皆がその文字列で僕を呼ぶ。あるいはその文字列を崩して、愛称で呼ぶ。父でさえ僕をそう呼んだ。なるほどパスポートには、僕の名前はアルファベットで綴られていた。だがパスポートは対外的な証明書でしかない。だから僕はホアンに対してはそのアルファベットをカタルーニャ式に発音したが、英語で話すときは当然のように英語式に発音していたし、フランスに旅行すればフランス式に名乗ることも厭わなかった。いつでも通称を使っているようなものだ。僕は相手に合わせて文字通りのリップ・サービスをして、何のこだわりもなく舌や唇の形を変える。人間には本当の名などない。名は枝分かれし、それらの名が、分裂を抱え込んだ人間を育てる。「おやおや、もう帰れってことかな」ウェイトレスが伝票を置き、無言で立ち去ると、まだ不機嫌そうなホアンはそう言い、三つ目の質問をした。「日本でもレストランはこんなかい?」「そうでもありませんよ。長居を嫌がっても、それを口に出すようなことはまずありませんね。日本の商人の世界には、お客様は神様という考え方がありますから」「え?」「神様ですよ。か、み、さ、ま」僕はまたしても、ホアンの限界をふみにじってしまった。唯一の神に仕えるよう育てられた彼にとって、店を訪れる客のひとりひとりに対して神の名を濫用するような思想は正気の沙汰ではない。だが僕にたった一つの正しい名前を与えようとするホアンこそ神なのだ。愚か者の肉体に宿り、神が僕を訪れているというのに、僕の網膜にはまだホアンがピザの欠片を拾って口に押し戻した姿が焼きついていたし、両手と両膝をついているカルメンや馬に変身しかけているマリアもいて上の空だった。
大野露井
(第09回 了)
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