故郷とは、オリジンとは何なのか。それは実在の土地なのか、人々なのか、記憶の中にだけ存在するものなのか、あるいは常に新たに生み出される何かなのか。『故郷-エル・ポアル-』→『故郷-エル・ポアル-』注→『新故郷』と〝エル・ポアル〟を巡るテキストの旅は続く。
by 大野露井
第二部 ポアル
「あんたの歯並び、カルメンにそっくりだね」
すると突然、祖母がそんなことを言った。何を言い出すのかと思ったが、カルメンが仕方なく口を開いて見せると、僕も認めざるを得なかった。カルメンの口蓋に収まっているのは、まぎれもなく僕の歯だった! 二本の前歯が後ろに引っ込んでいて、角度によっては他の歯が出ているように見えるのだ。するとカルメンにも虫歯がないのだろうか、と僕はぼんやり考えた。昼寝をしないことと並ぶ僕のもう一つの自慢は、これまで一度も歯医者の世話になっていないことだった。歯並びが同じなら、歯の性質も似ているということは充分に考えられるだろう。自分でもしつこいと思うほど長く、僕はそんなつまらない問題に拘泥していた。僕は間違いなくカルメンと遺伝子を共有しているのだ。
だがこの指摘のおかげで、もう食べるのをやめても気まずい思いをせずに食卓に残れることになった。また沈黙してしまえば元の木阿弥なので、僕は思い出すままに質問した。
「昔、よくおじいちゃんが言ってたでしょう。コリョンズ―」
ハイメがここで吹き出したので、質問は中断した。それでもう答えはわかったようなものだったが、カルメンはともかく解説した。
「それは男性の―部分のことよ」
もっと正確に言えば、フランス語で同じものを意味する単語との共通点から推して、それは睾丸のことに違いなかった。どうしていままで気づかなかったのだろう? つまりかつて数えきれないほど聞かされた祖父と祖母のやりとりは、おそらくこんなものだったのだ。
「あんた、そんなに腹を立てなくてもいいでしょうに」
「おれが腹を立てようと立てまいとおれの勝手だ」
「おお、やだやだ。何だってあたしはこんな男と結婚しちまったのかね」
「うるせえ。まったく、どいつもこいつも金玉野郎だ!」
何のことはない。それは世界中、とくに欧州と米大陸で観察される、文章に秩序をもたらし、昂る感情を清算し、発言に伴う不安感の駆逐を援護するような、親しみやすく庶民的な間投詞なのだ。カタルーニャの農民が睾丸に言及する以上に自然なことなどあるだろうか? 祖父はくしゃみをしてさえ、まだ唾も出きらないうちに「コリョンズ」と言ったものだ。
こうして僕はすっかり満足し、ようやく気分よくシャワーを浴びることができた。浴室はとても近代的で、狭くて用をなさない浴槽の代わりに、段差のない広くて快適なシャワー室が設えられていた。
「ポアルの家にもこれと同じのを作るのよ。だからおばあちゃんは家にいるの」
カルメンはふとその気になったらしく、風呂上りの僕に出し抜けに説明した。
「それから、家が遊んでるのはもったいないから、人に貸してるの」
「誰に?」
「ドイツからきた学者よ。地質学者とかいう人たち」
カルメンは製薬会社の秘書だったから、下宿人もそのつてで斡旋してもらったのかもしれない。それにしても、改装するために祖母を立ち退かせた家を人に貸し、家賃で改装の費用を捻出してやろうという根性は、もはやなかなか見上げたものだった。こんなにも打算的な人物が、父の遺産を素直に渡すものだろうか。カルメンはまだ切り出さない。つまり、いまはその話はしたくないということだ。どうせろくな遺産などないのだし、僕がそう思っていることも、僕がそう思っていても口に出そうとはしないことも、僕がそう思っていても口に出そうとはしないことをカルメンが知っていることを知っていることも、たぶんカルメンは気づいている。
寝室に入った。煙草が喫いたかったが、許可を求めるのも面倒だったし、下まで降りる羽目になるのもごめんだった。それに駐車場の少年たちに再会してしまうかもしれない。かつてエル・ポアルでときおり煙草をふかしていたカルメンは、いつの間に禁煙したのだろうか。あるいは新しい恋人の影響なのだろうか。その男はホアンという名前で、明日会うことになっていた。もちろん、僕はホアンに何も期待していなかった。そして、ようやく、しかもあっけなく解けた「コリョンズ」の謎を思い出し、僕はカルメンそっくりの歯並びを一人であけっぴろげた。睾丸、ふぐり、金玉、僕の半分は父のコリョンズからやってきた。父とカルメンの半分は祖父のコリョンズからやってきた。僕とカルメンの歯並びがそっくりなのは道理だ。コリョンズ!
朝、僕はカルメンが冷蔵庫に入れておいた冷めたコーヒーを飲み、戸棚からマドレーヌを出して食べた。皿に盛って食卓へ運ぶのも馬鹿らしいので、盗み食いのような有様だった。そのマドレーヌは十三年前から十八年前にかけても何度か食べた味だったが、そこからはなんとなくエル・ポアルの家の食卓の心象、たとえば舅の家で暮す疲れをコーヒーで癒そうとする母の尖った口元などが浮かび上がってくるだけで、劇的な発見はなかった。マドレーヌをコーヒーにつけて食べるのも悪くなさそうだったが、遊び心に身を任せる気分でもなかった。僕は何も忘れていなかった。思い出すことよりも、何を忘れればよいのかを決めることのほうが重要だ。
祖母は居間の椅子で、やはり頭を小さく振っていた。本来ならエル・ポアルの、天辺を丸く調えた木戸の前か、あまりに陽射しが強いときならその内側で、何十年も座ってきた木椅子に座っているべきところを、中途半端に拓けて雑然としたモデルサの集合住宅の一室に閉じ込められているので、祖母の頭は行場を失って揺れているのかもしれない。座っている祖母の目の前にいつもあったあの通りはなく、知り合いが通ることもない。いま祖母の目の前にあるのは食器棚か、食卓か、あるいは格子のはまった小さな窓だけだった。
ソファに腰かけると、僕は目の前に並んでいるモデルサの町の地図や、自治体が配っているらしい情報誌をぱらぱらとめくった。
「あんたのパパもいつも本を読んでいたよ」と祖母は言った。「パブロは読まなかったけどね。パパはいつもあんたみたいに座って、本を読んでいたね」
僕は本を読んでいるつもりはなかったが、他に答えようもなかったので「そうなの」と返事をした。祖母の言ったことは本当だった。父の寝床の傍らには、いつでも文芸誌が積まれていた。ただ僕が本を読むようになったのはずいぶん大きくなってからのことで、その頃にはもう父は家にいなかったから、父がどんな作家を愛していたのかは知らない。僕の知っている父は、文学よりも商売について考えるのに忙しかった。父が愚にもつかない三文小説や、オカルティズムを扱う薄利多売の便所紙のような「本」の専門家だったとしても僕は驚かない。自治体の情報誌を「本」と呼ぶ家で育てば、それは当然の帰結と言ってもよいほどだ。文芸誌が山になっていたのは、繰り返し読んだからではなく、ただ捨てるのが面倒だったからなのかもしれないし、母に「邪魔だから捨てて」と言われたときに、母を殴れるようにするためだったのかもしれない。いずれにせよ僕に読むことを教えたのは母だった。
「さっきまで雨だったみたいだね。今日はあんまり天気がよくないよ」
祖母は窓の外を眺めて言った。ところがカルメンが午前の仕事を終えて戻ってくる頃には、空はすっかり晴れわたっていた。僕たちは昼食に出かけることになった。僕はそれまでに用便をすませようと思ったが、煙草を喫わなかったせいかさほど便意がないうえに、改装されて小綺麗になった浴室で滑らかに光っている陶器の便器の周囲にはどう見ても便所紙がなかった。まさか新品のシャワー室をビデ代わりに使うのではないだろう。オカルティズムの本を便所紙呼ばわりしたからだろうか。祖母を文盲扱いにしたからだろうか。浴室から首を出して「おばあちゃん、紙は?」と尋ねる気力はなかった。僕は今朝から「そうなの」しか言っていない。十三年ぶりに会った孫はろくに口もきけないのだ。カルメンが戻った。もう出かけなければならない。
祖母は模造大理石の階段を四角く二周するのに、たっぷり五分を要した。娘と孫との生活を切り上げて村に帰るまでの間、祖母はまだ何度もこの階段を昇り降りしなければならない。束の間の解放のために、五分もかけて。戻りたくもない部屋に戻るために、五分もかけて。五分というのは長い時間だろうか。祖母の人生のうちにはどれほど五分の積み重ねがあっただろうか。少なくとも僕は祖母と五分のあいだ話し続けたことはないし、むしろすべての言葉の交換を切れ間なく並べて、ようやく五分になると言ったほうが近い。さらにその五分には十三年の空白さえ挟まるのだ。
車は高校に寄ってハイメを拾うと、体育館のような形をした食堂へ走った。席につくと僕は祖母の勧めに従って(五分と三秒目の会話だ)、丸々と太って甘く、バターの香りが喉の奥まで滴るような烏賊のオーブン焼きを食べ、祖母と従弟の真似をしてたっぷり一皿のカラコレス、つまりエスカルゴ、つまり蝸牛を食べた。殻からずるずる出てくる形のない肉を呑み込むことを、僕はやっと楽しめるようになった。カルメンは肥りたくないのか、ほとんど何も食べなかった。僕たちの食卓は優等生の晩餐会のように静かだった。祖母という居候に加えて、僕という客人がいるということが、カルメンの口をいつも以上に重くしていた。祖母が思い出したように何か言っても、カルメンはそれを僕には伝えない。なるほど祖父が死んだいま、カルメンは父親に代わって祖母を虐待する役目を負っていたのだ。父親の存命中わがままを通してきたカルメンだったが、ここへ来て初めて父親の意志を継いだわけだ。祖母は慣れきっていた。祖母の生涯は沈黙の生涯だ。祖母は典型的なスペイン農村の女だった。結婚すれば夫に殴られることを覚悟し、夫が子供たちをベルトで殴ることを黙認しなければならない。夫が死ねば、こんどは夫に遣わされた死神が訪れるまで、やはり黙って待っているしかないのだ。
食事が終わり、車は再び走り出した。工事中の交差点で、黒人が交通整理をしていた。バルセロナならともかく、こんな田舎で黒人を見たのはこれが初めてだった。この地域のほとんどの人にとっても、黒人との出会いはちょっとした事件だったはずだ。父も、イギリスに渡るまで黒人を見たことがなかったと断言していた。おかげで黒人を見るたびに「あ、黒んぼ!」と騒ぎたて、家の近所にあった「くろんぼ」というレストランのまえを通りかかったときには、鷹揚な線で描かれた看板を指さして笑い出す始末だった。ところがいまやアフリカのみならず、中国やロシアなどからもこの辺境に人間が集まっていた。大昔から「よそ者」「侵略者」「仇敵」の代名詞だった回教徒たちも、すこし数を増やしたようだ。それほどスペインは安い労働力を必要としていた。
車はまたしても僕の期待を裏切り、カルメンのアパートではなく、町の外縁に沿って展開する住宅街の一郭で停まった。カルメンがそのうちの一軒の扉を叩くと、金髪の奥さんと白髪のお婆さんとが出てきて、「よく来たよく来た」と囃した。その歓迎の文句は僕にというよりも祖母にも向けられていた。
「さあ、入んな入んな!」
金髪の奥さんは魚河岸の仲買人を思わせる声で言い、玄関前の階段に身を乗り出して祖母を引き上げ、ばんばんお尻を叩いた。その母親であるお婆さんは、僕にとっては祖父の妹、つまり大叔母だったが、僕はたぶん一度しかこのひとに会ったことがなかった。金髪の奥さんのほうは、そうすると僕の「いとこちがい」とか「いとこおば」とか、もはや日常では使用しない言葉でしか表せない続柄にある人ということになるし、おそらくこれが初対面だった。要するに他人だ。マリアが祖母のお尻を叩いたとき、僕は片足で踏ん張って腕を伸ばしているこの奥さんの迫り出したお尻こそ叩いてみたいものだと思った。親戚でも構わないが、他人ならなおいい。
大叔母の一家は完全にエル・ポアルから引き上げていた。古い家と農地を処分して移り住んだこの新築の一軒家の美しさ、庶民的でありながらそれなりに高級な感じも漂っているところは、カルメンのアパート以上だった。居間の壁には飴色をした波形の食器棚がはめこまれ、その裏側を、これまた飴のように湾曲した手すりに守られた階段が横断していた。居間は吹き抜けで、黄色いタイルをしきつめた床には黒いソファが並び、硝子を載せたテーブルが中央に陣取っていた。床には髪の毛一本落ちていない。
髪の毛が一本も落ちていないのは、エル・ポアルにいたときからのことだ。結婚し、夫に殴られ、子供たちが殴られるのを見守るほかに、農村の女たちにはもう一つ重要な任務があった。それは徹底した清掃で、たとえ道路や畑の土ぼこりが木戸のきわまで降り積もっていたとしても、玄関から先には塵一つ存在してはならないのである。女たちは食材の下ごしらえ、食事の支度、食後の後片付けの合間に、マヨネーズを攪拌し、油を濾過し、水を汲む。めずらしく台所から出たと思うと、あとの時間帯は床に這いつくばったり壁を這ったりして、抜け毛や垢や雲脂や埃、そしてときには血痕を、見つけしだい除去していたのである。体液を拭き取っていたのはせいぜい結婚してから半年のことで、その頃のことを思い出して掃除の手が止まれば、血痕のほうはいつになっても拭き取る機会が与えられた。
「ここがこんなに汚いじゃないか」
この習慣を東洋に持ち込んだ父にそうどやされたとき、母は度肝を抜かれた。母は潔癖だった。家のなかに「こんなに汚い」場所があるとは思えなかった。ところが父は母を引きずるようにして大股で洗面所へゆき、蛇口と洗面台が接合するわずかな部分を示してから、洗面台に母の頭を叩きつけた。自分の男らしさに満足した父は「綿棒でこすれ」、と今度は女々しいほど的確な指示を与えた。父の育った家でも、父の幼友達の家でも、蛇口と洗面台の接合部分が汚れているなどという醜聞は許されなかった。妻を持つ一人前の男の家は、どこもかしこも磨き抜かれていなければならない。父は伝統を守っただけだった。だから「汚い」ということが何か本当はわかっていなかった。僕は母の実家で過ごした二週間のあと、家へ帰るなり脂と酢の臭いに噎せかえった。半開きの目をこすりながら寝室から半裸で起き出して来た父は、時計が午後九時を指していることには関心を持たないまま、「十日も風呂に入ってない」と笑った。そして母にステーキを焼かせ、葡萄酒を飲んだ。脂と酢の臭いのする男が、脂と酢の匂いのする食事を求めるのは自然だったのかもしれない。それに比べれば、潔癖な母が父と結婚したことは不自然だった。
美しい一軒家の居間では祖母と大叔母が、もう祖母と僕がこれまでの生涯で交わしたよりも遥かに多くの言葉をやりとりしながら、ときおり大声で笑いまでして、義理の姉妹の愛情に磨きをかけていた。カルメンと金髪のマリアはそれぞれの母親の脇に控え、ときおり合いの手を入れた。僕とハイメは、どちらも静かにしていた。
僕はなぜハイメがここにいるのかわからなかった。父が離婚後にファックスで送ってよこした英文の報告によれば(父はローマ字でしか日本語が書けなかった)、かつてのラウラ以上の癇癪持ちとして注目を集めたハイメは、まだよちよち歩きのうちから買い物へゆくたびに暴れまわり、店員からすっかり白眼視されていたそうだ。いま僕の目の前にいるハイメは、前髪を目のそばまで重く垂らした、どちらかといえば華奢な坊やだった。ハイメが僕と同じくらい退屈しているのかどうかはわからない。だが十代の少年が、ここにいつまでも座っている必要がないことは明らかだ。僕は旅人で、ハイメはここから歩いてもすぐのところに暮している。僕はここにいる人たちに二度と会えないだろうが、ハイメはいつでも会えるし、顔も合わせたくないと思ってからも、何年もの時をこの場所で過ごさなくてはならない。何事にも無関心な様子、という表現を使えば、角を立てずにハイメをごく普通の若者として形容できるだろう。だがそれでは親切すぎる。ハイメは何も考えていないように見えたし、おそらく本当に何も考えていない。考えることができないのだ。考えることが特権であるということを僕はいつも忘れてしまう。
父の報告だけでは不公平だから、カルメンの母親としての証言も採用しておこう。カルメンは毎年、あるいは隔年のクリスマスに祖母の希望を容れて郵送して来るカードのなかで、いかに自分が息子の英語教育に熱心であるか、そしてそれがいかに成果を上げつつあるかを書き立てていた。しかしハイメに会って十秒もしないうちに、それがまったくの嘘であることが明らかになった。ハイメが自家薬籠中のものとしているのは「こんにちは。僕はハイメです。スペインから来ました。ダンスが好きです」という程度のものに違いないのだ。とはいえ僕はハイメと会ったときに「こんにちは。僕は君の従兄です。日本から来ました。本を読むのが好きです」と話しかけはしなかった。僕は何も考えていないわけではないが、ハイメには無関心だった。
それにそんな事情は金髪のマリアにはどうでもよいことだ。ハイメは好きにすればいい。僕はマリアと寝たかった。ジーンズにぴったり収まった豊かな半球をばんばん叩きたかった。僕は喜んで話しかけるだろう。「こんにちは。僕はあなたのいとこちがいです。日本から来ました。あなたが好きです」
大野露井
(第08回 了)
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