詩誌は徹底して内向きの雑誌である。要するに詩を書きたい作家の参考になるような〝情報〟を掲載するのが一番の目的である。この情報はたいていの場合、今読んで次の瞬間に作品を書くための情報であることがほとんどだ。誰もかれもが作品を書くことしか考えていない。そういった著者が雑誌の中で育ってメインの執筆者になると、同じことを繰り返すようになる。今仕入れて今日明日役に立つような情報を並べるようになるわけだ。それは詩誌が作家の自己顕示欲の見本市だということでもある。今日書いた作品が明日評価されるような風土がかもし出されることになる。句誌が投稿欄を持っていて、俳句界のように別冊付録に投稿を集めた冊子を添付しているのはそのためだ。目を皿のようにして〝自分の作品〟が掲載されているかどうかを探している。手っ取り早く評価されたい読者兼未来のメイン著者が詩壇の大半を占めるようになる。
紫雲英/げんげ(春)
●田畑や空き地、土手などでよく見られた紅紫色の野生の花。かつては菜の花とともに日本の春の農村風景を彩る植物だったが、最近はあまり見かけなくなった。紫雲英の花が蓮華(蓮の花)に似ていることから「蓮華草」と呼ばれることになった。
げんげ田のうつくしき旅つづけけり
久保田万太郎
今号には「間違えやすい季語の見分け方」が組まれていて、「吟行などて季語と出会うことは大きな喜びである。(中略)しかし、中にはどちらかわからない季語もある。今回は、間違えやすい季語、違いを知りたい季語を編集部で調べてみた。吟行や句作の一助にしてほしい」と編集部リードにある。例として取り上げられた「間違えやすい季語」は九つである。まあこのくらいが今読んで次の瞬間、自分でも作品を作るために必要な数だろう。
ただ引用された久保田万太郎の「げんげ田のうつくしき旅つづけけり」は秀句である。少なくとも句誌が喚起しているような作家の自己顕示欲は感じられない。もちろん万太郎は生前は小説家兼劇作家の大家だった。残されたニュースフィルムなどを見ても、顔に〝偉いです〟と書いてあるような傍若無人な大先生ぶりだ。俳誌「春燈」を主宰したくさんの俳人を束ねた作家でもある。ただ代表句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」にあるように、万太郎でよく知られた句は自己主張の薄い、日本文化のある本質を描いた作品が多い。
万太郎に作家として、あるいは社会人としての強い自己主張がなかったわけではない。むしろその逆だ。彼は自他ともに認める大先生だった。しかし万太郎は俳句を自己主張の道具としてではなく、むしろ社会的に肥大化した自我意識を希薄に表現する文学として活用した。それが万太郎が文人俳句作家と呼ばれる由縁なのだが、俳句は基本的にそういった表現なのではないかと思う。少なくとも万太郎は文人俳句などという、俳壇内差別表現に収まる作家ではない。一流俳人である。
極論を言えば、万太郎は俳句と呼ばれる表現で彼の〝死後〟を生きている。作家の強い自我意識を表現した秀句は明治以降たくさん書かれたが、俳句王道に連なる名句・秀句は不思議と作家の主張が感じられない句が多いのだ。たいていの場合、そういった俳句が作家の死後、代表句として残ってゆく。商業句誌や結社誌、同人誌には作家の自己主張が溢れているが、それとは反対の指向を俳句文学は持っているということだ。
作家であれば誰だって自分の作品を他者に認めてもらいたい。誉められたい。しかしそれを望むなら、遠回りのようでも自我意識を希薄にして、〝死後を生きるような境地〟が俳句文学には必要なのではないかと思う。もちろんそれを中途半端にやれば、可もなく不可もない有季定型俳句がいやというほど出来上がることになる。比喩的な言い方になるが、「生きているのか死んでいるのかわからないような凡庸な境地」ではなく、「死にながら生きているような境地」が必要だということである。
生きている限り、誰だって世間的俗事から逃れられない。どんなに小さなサークル内にだって出世欲はあるだろうし、名誉欲から逃れることもできないだろう。ならばある程度納得できる地点まで出世し、名誉を得てしまうことだ。俳壇的栄誉などたかが知れているとわかるだろう。そうすれば、そういった地位に立った俳人の一パーセントくらいは俗事から超脱できるような心性を得られるかもしれない。
こときれてなほ邯鄲のうすみどり
富安風生
鉦叩風に消されてあと打たず
阿部みどり女
これも今号の特集に掲載された句だが、「邯鄲」も「鉦叩」もバッタ科の昆虫。ただ富安風生も阿部みどり女も、これらの季語をダブルミーニングで使っている。邯鄲は昆虫であり「邯鄲の夢」でもある。死んだ昆虫の邯鄲は、死後の「うすみどり」色の邯鄲の夢を見ているということだ。鉦叩は時宗系の念仏僧侶でもある。野原で昆虫の鉦叩の音が絶えたとも、町中で鉦叩僧侶の声が途絶えたとも解釈できる。静寂の中の音と、町中の喧噪の音と二通りの解釈があるということだ。
俳句という短い表現が、一瞬の空間を切り取るように表現するのに長けているのは言うまでもない。瞬間を捉えるわけだが、それだけでは俳句は詩に昇華してくれない。どうしても時間表現が必要なわけで、季語がそれを担うことになる。富安は俗な昆虫を桃源郷であり、死後の世界でもある邯鄲にまで導いている。みどり女はある無情を表現していると言える。
あらゆる表現と同様、俳句作品が作家の日常的経験をとっかかりにしているのは当然のことだ。しかし季語を自己にとって外在的に存在する〝俳句要素〟と捉えていたのでは、いつまでたっても凡庸な句しか生まれない。季語は時間を喚起させる言葉である。それを活用すれば、死後でも生まれる前でも俳句で表現できる。吟行もまた現世的手段に過ぎず、俳句文学の目的ではない。
未来図を突っ切る風よ鶉の眼
カタカナに刃物のひそむ十三夜
卵黄の決壊の声冬来る
白鳥をインク壺から引っこ抜く
冬夕焼消えて線路のような傷
凩が空の弁当箱に鳴る
(赤羽根めぐみ「未来図」より)
「俳句の未来人」に赤羽根めぐみさんが「未来図」十句を発表しておられる。自己の未来に対する焦燥と諦念、それをメチャクチャに壊してしまいたい欲望がないまぜになった複雑で魅力的な俳句である。
俳壇では赤羽根さんのような有季定型を外れた句を、俳壇の大先生たちは作家が若い間は温かい目で見守る。もしくは作家の方が一定期間、〝どうしても表現したい内容〟を俳句で発表すると力尽きてしまう。あとはお決まりのコースが待っている。日々の生活を詠み、ささやかな人事や季節の変化を俳句にして、奇跡のように名句・秀句が生まれるのを待つようになる。結社の中で日々初心者の俳句を添削するようにもなる。
なぜそうなるのかは人それぞれだろう。ただ大局的に言えば作家が変化を求めなくなるからだろう。変化とは使ったことのない言葉を俳句に織り込み、吟行などをして新鮮な風物を俳句に詠むことでは必ずしもない。そういった変化は俳句の表層を変えるだけで終わってしまう。
俳句は多くの作家を抱えながら、ほぼジャンルの原理を問うことがない。誰もが俳句を〝絶対形式〟だと考えていて、そこに自らの表現欲求をあてはめて作品を作ろうとする。しかしそれでは本質的な変化は起こらない。わたしたちが若い俳人の作品が新鮮だと感じるのは、そこに〝不安〟があるからである。不安とは自らの自我意識だけでなく、自らが関わる表現にまつわる不安でもある。俳句を不安な文学形式として捉えれば、少なくとも今のような十年無事の凪のような状態は少しだけ活性化するのではないかと思う。
岡野隆
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■