ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第12章 銀狐は大切なゆびわを見つける
高くつらなるもみの木の、おりかさなった枝のあいだをとおりぬけて、銀狐はひっしにすすんでゆきました。しかし走るのをやめて、ゆっくりすすもうとは思いませんでした。そのため地上で日々をすごしていたころとはちがって、今はせっかちに、ひくい枝なんかにかまわず、まっすぐにぶつかったりしていました。ぶつかりそうなたびにするどいいたみを感じました。しょうげきのためではなく、ひくい枝たちがすぐに銀狐がだれかわかって、かなしく気をつかって、すばやく道をあけてとおらせてくれたからです。
それでもやがてめまいを感じ、息をつくためにいっしゅん足をとめました。ふとさいごに食べものを口にしたのは、どのくらい前だったのだろうと思いました。くらんだ目をいっしゅんだけ閉じたら、あたまの中ではげしく脈うつ血のおとが聞こえてきました。
目をあけると、ボズガが目のまえにいました。いまわしい匂いをはなっていました。銀狐は自分のからだをあっとうしていためまいのげんいんが、ようやく分かりました。しかしべつに、ボズガにわるいことをされたわけではありません。地球の生きものは、ほんとうにさまざまなのです。みんなが銀狐のもっているような光や、ヘビがもっているようなかんぺきなかれんさにめぐまれているわけではない、と銀狐は思いました。そこでため息をつき、つめたく聞いてみました。
「なんのごようなの?」
「自分のためにほしいものはないよ。みんなのことばかりを考えているの」わざと、といきまじりのこえでボズガが答えました。
「たとえば、ね、あたしのこのちっちゃな鼻でね、あなたのそのジャスミンのような香りをすい出したいな。だって、その香りのせいで、あなたの敵はみんなあなたをおいかけてるんでしょ」鼻づらをゆらしながら言いました。
「よけいなおせわよ」銀狐はおちこんで、ひくいこえでこたえました。
「ちっちゃな雲のあたしは、花々のあたまが見えなくなるくらいの水がたまるまで、雨をふらせたいな。地面がとってもかわいているからね」と言いながら、ぎぜんにあふれる目をあげました。
銀狐はわらいだしそうになりました。ボズガの匂いはひどくて、まずそのからだをお風呂にいれてやりたいくらいです。もっともあらい淵のけもののきたなさには、なにか深いわけがあるのかもしれないけど、と銀狐は思いました。しかしすぐに気もちがおちこみました。水のちからをつかえば、ボズガはこの世界すべてを毒でけがしてしまうだろう、と。いやな気もちをおさえて、銀狐はもういちどたずねました。
「わたしになんのごよう?」
ボズガはずるい目で銀狐を見つめてから、まぶたをとじてかなしそうに泣きだしました。
「ヴズのゆびわを失くしちゃったんだ! せまい木の洞におとしちゃって、もうとれない! どうしよう! ブブブ、おはずかしいかぎりだよ!」
銀狐は息がとまるような気がしました。彼女がヴズにあげたゆびわ、彼がけっして手ばなさないゆびわがどうしてこのけものの手に? きっとうそにちがいない! それとも、もしかするとぬすんだのだろうか? でもヴズは、かんたんにものをぬすまれるオオカミではない。…わけをくわしく聞いてみたかったのですが、なぜか不安を感じました。そしてコウモリのちゅうこくを思いだして、ようやくひといきつきました。
やはりゴン・ドラゴンはやくそくをはたすんだ。ボズガはきっと銀狐をだまそうとしている。闇へとひきつけて、うってかかろうとしているにちがいない。おそらくカメが言っていたように、かげでうしろから打たれるだろう。銀狐は会う前からこの生きもののあり方を知っていました。ボズガは、うそつきでひきょうものなのです。でもとにかく時間がない。このみにくいけものの相手をしていたら、だいじな時間をむだにしてしまう。それはいけないと銀狐は思いました。
ボズガは銀狐のきもちに気づいて、すぐにしつこく話しつづけました。
「ゆびわをとるの、てつだってくれないかと思ってさ。あたし、せがひくくて、どれだけよりかかっても、とどかないのよ。ちょっとだけ来てくれない? ちょっとだけ」
銀狐は考えこみました。行くか、行かないか? でももしあのけものが、ほんとうにヴズからゆびわをぬすんでいたら? ゴン・ドラゴンなら、だれかにふくしゅうするときは、おにやまじょなどを使いにして、せめて来るだろう。場合によってはクモのような生きものの毒なども、えんりょなく使えるはずだ。しかしボズガみたいなものは… 。ゴン・ドラゴンはつよくて、その心は闇につつまれていて、プライドが高くてふくしゅう好きで、おそろしい相手です。でも銀狐が知っているゴン・ドラゴンなら、自分のちからでかてないときは、相手をけがすだけのボズガのような生きものは、大きらいで使わないはずだ。それにヴズのことなので、きけんなんか、どうでもいい。
「じゃあ行こう」
「ああ、ブブ、ありがとう、ありがとう! あたし、みんなにいじめられているから、かなしくてたまらないのよ」となきながら、またなげきはじめました。銀狐は、すこしはなれてあとについてすすんでゆきました。けいかいしていたからではなく、そのおそろしいあくしゅうが、あまりにも気もちわるかったのです。いっしょに歩いたのは少しだけでした。ボズガが見せたかった木の洞は、木の根っこのあたりにありました。コケやかれはでおおわれた小さな山で、そのよこにせまいすきまがありました。
「ここだよ!」うれしそうななきごえを出して、ボズガはそのばしょから少しはなれました。
銀狐はすきまをのぞいてみました。何か見えるなんて、きたいしていませんでした。しかしつぎのしゅんかん、めまいがして、いっぽさがりました。おくのほうに、彼女がヴズにあげたゆびわがかがやいていました。むかしこの森が見たすてきなものがたりのなかで、ふたりを結んだ大切なゆびわでした。
いっしゅんも待たず、かんがえもせず、銀狐はほそながい手をそのすきまに入れました。つぎのしゅんかん、きんぞくのきしる音がきこえました。おそろしいいたみに銀狐のぜんしんがふるえ、むすうのてつのはに刺された手から血が高くとび、ながれ出しました。銀狐はわなにかかったのです。
絵 アンナ・コンスタンティネスク
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■