写真家の荒木経惟さんは、オートフォーカスのコンパクトカメラが発売された時に、「これからはみんなカメラマンの時代よ。写真は〝おしゃーしん(シャッターボタンを押せば写る)〟なのよ」と言った。もんのすごく古い時代の話のように思われるが、一九八〇年代のことである。フィルム式オートフォーカスカメラはその後、写るんですなどになって普及するが、一番売れたのは二〇〇一年なのだという。写るんですを含むフィルム式カメラは、デジカメからケータイの写メ、スマホの時代になって急速に衰退した。今やフィルムカメラにこだわるのは相当なマニアか特殊な効果を狙ったプロカメラマンだけになりつつある。デジカメの時代になって荒木さんの予言はほぼ完全に的中したわけだ。
ある人が先輩のプロカメラマンに「プロの写真家になるにはどうしたらいいんでしょうか」と相談した。先輩カメラマンは「君が今、自分はプロカメラマンだと宣言したら、その時点から君はプロだね。ただし仕事があるかどうかはわかんないし、社会に認められるかどうかも保証はない。だけどプロだと宣言した時点で写真家はプロだよ」と答えたそうだ。
これは確かにその通りで、ギャラリーなどで個展を開き、少数だがコアなファンを抱えている写真家が写真で食べているとは限らない。職業カメラマンとして生きていくためにはファッションや人物や食べ物を、クライアントの要望通りに撮影しまくるほかない。カメラマンのオリジナリティなどわずかで、被写体やクライアントとうまくやってゆける人間的成熟、スタジオ機器やスタッフを的確に使いこなせる能力の方が遙かに大事なのだ。自分の好きな写真だけを撮っていたのではカメラマンは食えない。アイドルの名前よりも写真家の名前が前面に出た写真集を継続して刊行しているのは荒木さんくらいのものだ。
荒木さん的な〝露骨な真実〟は俳句にも当てはまる。俳句は〝五七五に季語を入れれば俳句なのよ、俳句を詠めば誰でも俳人なのよ〟と言えてしまう表現である。プロとアマチュアの境界が曖昧なのも同じだ。荒木さんは「包茎亭」の雅号を持つ俳人でもある。読者の数だけなら俳壇内有名俳人よりも、「風天」の雅号で俳句を作った渥美清の方が多い。また句集を二三冊出せば、たいていの俳人は食えなくても自分はプロだと考える。句集は出していなくても、句歴が長いだけでそう考えている人も多い。実際インスタグラムで「いいね」をたくさん集めている人のように、どの結社や同人誌に行ってもプチ・スターはいる。そういったプチ・スターを中心に相互に「いいね」のやりとりをしているのが俳壇というものだ。誰もが文句なしに素晴らしいと言う俳句作品は、たいていは物故作家の、それも選りすぐりの一握りの表現だけである。
じゃあある程度食えているプロ俳人とはどういうものなのか。これもカメラマンの世界と同じで、他者のニーズをテイク・ケアできる人間的処世術と、一定の具体的技術を持った人ということになる。結社員の俳句を添削し、必ずしも俳句とは関わりのない生活上の悩みをもテイク・ケアできる結社主宰や同人誌主宰は、なんとなく俳句でそれなりの収入を得ることができる。句誌に書いて、いくばくかの収入を得て、末は大臣のように新聞などの投稿欄選者にまで上り詰めるには、素晴らしい俳句の才能よりも処世術の方が遙かに重要だ。そうすれば俳句だけで年収何百万かにはなる。ただしよほどの事務作業能力を持っていなければ、他人の俳句を読んで選ぶだけで一生が終わる。
僕はそういう俳句界の実態が悪いと言っているわけではない。趣味で俳句を書き始め、それがなんとなくにせよ生活を潤す糧になり、くすんだ生活の中で俳句を書き、仲間たちと交わることに生きがいを見出す自称プロ、ノンプロの俳人集団がいなければ俳句という表現ジャンルは成り立たない。ただそういった善男善女の母集団の中から抜け出したい俳人は、どこかの時点で俳句悪魔的心性を定めなければならないだろうなと思う。
ただ俳句悪魔的心性といっても、なにも難しいことを言っているわけではない。荒木さん的に〝俳句は五七五に季語を入れれば俳句なのよ〟という認識を徹底することだ。「写真はおしゃーしんなのよ」という荒木さんの発言は多くのプロカメラマンの反発を招いた。写真はそんな簡単なものじゃない、高い技術が必要だ、いや精神的念写なんだetc.と言い出せば、いくらでもプロのアイデンティティを主張できる。俳句も同様だ。しかしそんな表層的アイデンティティは捨てて、もっと原理に赴かなければならない。
あらゆる表現は、その底の底まで降りて認識した時に初めてその実体を現す。「(シャッターボタンを)おしゃー写真は写る」という身も蓋もない認識を完全に我が物とした荒木経惟は、基本的にアルバム写真とエロ(ス)写真しか撮っていない。それが写真と呼ばれる表現の原点だからだ。こういった原点を押さえた創作者は強い。荒木さんは平然とコマーシャルフォトを撮る。資生堂「花椿」などで旬の女優やアイドルを撮りまくっている。だけどそれらの写真を写真集に入れることはない。写真集はその時々の荒木さんのアルバムであり、エロ(ス)のオンパレードだ。
もちろん荒木さんの写真の原点はアルバムとエロ(ス)だという認識はなかなか市民権を得られなかった。しかしそれを押し通した彼は今どうなっているか。世界的に高く評価される写真家であるのは言うまでもないが、それ以上に重要なことがある。彼は〝自由〟だ。アート写真作家のように、クライアントの要求に沿わなければならないコマーシャルフォトの仕事を、主義主張に合わないからと断ったりしない。撮影のために入念に準備した美男美女はシャッターを押せばそれなりに写るに決まっている。「このニキビをフォトショで消したいんですけど」とクライアントに言われれても「好きにしてくれ」と答えるだろう。有名人のポートレートも同じだ。それは被写体と写真家の共同作業になる。それも写真なのだ。反発する必要はない。写真の原点を抑えた仕事を中核に据えていれば、社会のニーズにいくらでも応えることができる。
同じことが俳句にも言える。多くの俳人の悩みは俳句界が息苦しいことにある。俳句は形式文学であり、表現としてただでさえ息苦しい。その上結社的な縛りが非常にきつい。現実問題として、大結社に所属して編集の仕事などを積極的にこなし、末は大結社の主宰か、出世街道から外れたら自ら結社を起こしてそれなりの数の門弟を集めなければ俳壇で力を持つことはできない。それが俳壇の〝絶対的現実〟だ。もちろん俳句の良し悪しはある。ただ言い出せばあらゆる俳人に代表句はある。よほど突出した力を持っていない限り、生きているうちに作品だけで評価される俳人は十年に一人、いや三十年に一人かもしれない。
こういったフラストレーションを、たいていの俳人たちは仲間を募ることで晴らす。だけど弱い者たちが肩寄せ合っても弱い集団にしかならない。またそれでは大結社と同じだ。結社に代表される俳壇システムを攻撃しても得るものはない。俳人の苦悩は形式文学と、俳壇結社システムの息苦しさから超脱したいということにあるが、前者は理論的問題であり後者は現実制度的問題である。この両者を一気に解消したいなら俳句文学の原理をつかまえるほかない。そうすれば、たとえ一人ぼっちになったとしても、苦悩とは無縁に飄々としていられる。中途半端なインディペンデントを気取るくらいなら、多少の疑義は抱いても、これはと思う主宰の結社に所属した方が良い。その方が苦労が多く得るものがある。
冬の鳥一生降りて来ぬ如く
白とも違う冬枯の芒かな
鴨泳ぐ少し後ろに脚付けて
ストーブや一秒ほどの夢を見て
煮凝の魚でありしこと忘れ
西村麒麟(第七回北斗賞受賞作家 受賞第一作)
北斗賞は「俳句界」の版元の文学の森社が主催する新人賞である。応募資格は満四十歳未満となっており、新たな若手俳人を見出そうという意図の賞だ。西村麒麟さんは第七回受賞者で、一九八三年生まれだから三十四歳である。句には確かに目を惹く新鮮さがある。西村さんは受賞第一作に添えられたエッセイで「僕は、身体も弱いし勉強も出来ない。(中略)子供の頃から周りの人のことがいつも羨ましかった。それでも自信満々に生きているのは俳句があるからだろう。(中略)だから、大丈夫」と書いておられる。
エッセイの締めは「だから、大丈夫」だが、作品からは西村さんが抱える大きな不安が透けて見える。それが題詠的俳句と西村さんの俳句を質的に違うものにしている。こういった俳句を詠んだ人の多くは「もっと傷をえぐり出せ」と言うだろう。俳句では中途半端な表現は、海のように広大な俳句文学の水の一滴として混じり合ってしまう。
有季定型を金科玉条にする俳人たちは、〝五七五に季語を入れれば俳句なのよ〟と言われても、「そりゃそうだ」と答えるだけだろう。俳句原理に赴くには、その定型をはみ出してしまうような表現欲求を抱えており、なおかつそれでも俳句定型と心中しようという強い意志が必要だ。俳句原理をつかまえられる俳人にはあらかじめ高い〝才能〟が必要であり、何の疑義も迷いもなく俳句定型を受け入れる俳人たちはその才能を持っていないということである。どんな表現ジャンルでも人に右ならえしていたのでは独自の仕事はできない。
岡野隆
■ 荒木経惟さんの本 ■
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