商業雑誌の刊行目的は何だろうか。毎月作品や評論が掲載されるがいずれも細切れである。たとえば今月号の角川俳句は俳句手帖と現代俳人年鑑の付録がついていることもあって定価千百二十円である。普通の読者なら単行本か文庫本を買う。もちろん歌誌・句誌には特殊な面があり、投稿欄にかなりのページを割いている。入選した人や、結社主体なので先生の作品が載っている雑誌を門弟たちが買うのも期待できる。しかしそんなことでは売り上げは伸びない。
詩誌・文芸誌を問わず、雑誌購読のメイン・ターゲットになるのは創作者予備軍である。彼らをどうやって惹きつけるのかが問題だ。詩誌ですら戦後のある時期には毎月一万部は売り上げていた時代があったわけだが、今は三千部刷って実売二千部強ならいい方だろう。雑誌が売れていた時代には詩壇・文壇に、創作者が共通して興味を抱くトピックがあった。そうした共通トピックが霧散してしまったことが雑誌が苦戦することになった要因の一つである。
ただ雑誌が低迷する現代でも、共通トピックを模索する努力は不可欠である。雑誌はジャーナルでもある。常に問題提起して詩壇や文壇を泡立てていく役割を担っている。ただそもそも文学みたいに動きの遅いジャンルで、毎月毎月新しい出来事が起こるはずがない。んなことわかっちゃいるが、針小棒大でも話題を作り、議論のネタを探して、ホントに大事な問題にまで育ててゆこうと努力するのがジャーナリズムというものである。詩でそれに成功しているのは短歌界だけだろう。
雑誌ジャーナリズムでは様々な著者を使って議論を作り出してゆく必要がある。その意味で雑誌は〝雑〟であり、多様性が鍵となる。また基本的に創作者ではない編集者が公平に詩壇・文壇を見回して、新たな才能を発掘しながら中堅・大家で優れた作家を重用してゆく理由もそこにある。少なくとも同人誌や結社誌とは違うパブリックな編集方針が必要だ。
角川俳句の場合、このパブリックな編集方針は、ほぼ俳句初心者指導に絞られているようだ。初心者に俳句創作のコツをわかりやすく教えるのである。なぜそんなことができるのかと言うと、角川俳句の俳句定義が五七五に季語の有季定型に絞られているからである。この範囲内で俳句の上達を奨励する。いわば限定詞付き俳句初心者向けノウハウ雑誌である。
昔ホットドックプレスという雑誌があって、初めてのデートとかセックスとかの特集をルーティーンで組んでいた。ただ俳句は女の子相手じゃないから始末がいい。基本、自分の生きがいのために書く。評価されれば嬉しいが、評価されなくても頑張って書き続けなさいと先生方は指導する。俳句はお遊びなのだ。ホットドックは田舎から上京してきたウブな大学生の男の子をメイン読者にしていたが、女の子は千差万別とわかれば読まなくなる。実践では通り一辺倒のノウハウなど役に立たないからだ。しかし趣味で俳句を書いている限り俳句に振り回されることはない。実際の年齢はともかく、いつまでもウブな初心者でいられる。
で、今月号では中村草田男の特集が組まれている。草田男主宰結社誌「萬緑」が終刊したのを惜しんで、ではなく角川から『季題別 中村草田男全句』が刊行されるからである。草田男は論客で、戦後俳壇ジャーナリズムに共通トピックを数多く提供した人だった。特集で筑紫磐井氏が書いておられるように、戦前のミヤコホテル論争から戦後の社会性俳句など、常に俳壇を泡立たせ議論を引き出し続けた。得がたい人だったのだ。特集の意図は、そういった草田男の姿勢に俳句と思想の関係を学ぼう、というものでもない。一定ページ数が埋まれば終わりの書籍刊行記念の数合わせ特集である。要は熱気が感じられない。
降る雪や明治は遠くなりにけり
乙鳥はまぶしき鳥となりにけり
初雲雀晴れを見越して深井戸掘る
草田男は言うまでもなく虚子「ホトトギス」から現れた俳人である。当然、有季定型の優れた俳句を残している。「降る雪や明治は遠くなりにけり」など最も人口に膾炙した句だろう。これもよく知られていることだが、この句には志賀芥子の「獺祭忌明治は遠くなりにけり」の先行句がある。今なら引用的作品と呼ばれるかもしれない。ただ結果として「獺祭忌」と「降る雪や」では、意味も語感もぜんぜん違ってくる。この優れた言語感覚が草田男の大きな特徴の一つだった。偶然「降る雪や」のような句が生まれたわけではない。
みちのくの蚯蚓短かし山坂勝ち
軽き太陽玉巻く芭蕉呱々の声
塩ささやく寒卵なる茹玉子
香水の香ぞ鉄壁をなせりけり
天地蒼きに固唾をのんで巌の鷹
これらの句は、もちろん俳壇でお馴染みの評釈で読解できる。草田男がいつ、どこで、どんなつもりで句を詠んだのか、見てきたように読み解くことができる。ただわずか十七字の中に畳みかけるように人や物や動植物を並べ、ひとこと、ふたことの動詞や形容詞でまとめてゆくその手法は高い言語センスがなければ不可能である。
Aという言葉を起点に、B、Cと意味やイメージを展開してゆくのが俳句の常道だが、飛躍しすぎると独りよがりになり、平明だと作者は誰でもいい凡句になる。草田男は難解を避け、凡庸に陥らないために知性と感性を総動員する。「みちのくの蚯蚓」は頭韻が同じであり、普通に意味的に読み解けるが、意味がわかってもそれがどうしたという句である。つまり詩である。草田男には「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る」の句があるが、俳句を詩として捉えていた。
折々己れにおどろく噴水時の中
蟷螂は馬車に逃げられし馭者のさま
秋の航一大紺円盤の中
これらの句は前衛俳句の中に入っていてもおかしくない。大岡頌司の「ともしびや/おびが驚く/おびのはば」や加藤郁乎の「一満月一韃靼の一楕円」は、草田男作を先行句としているかもしれない。杓子定規な有季定型に納まりきらない作家だった。
世界病むを語りつゝ林檎裸となる
聖夜とやヒロシマ環礁実験図
両岸の無言の群衆秋の水
原爆忌いま地に接吻してはならぬ
浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」
草田男は新興俳句に対して批判的だったが、いわゆる〝作家の自我意識〟を全面に出した作品を数多く作っている。俳句で作家の自我意識を発揮しようとすれば、大別して二つの道筋ができる。一つは五七五+季語の俳句形式になんらかの形で揺さぶりをかける前衛俳句の試みである。もう一つは作品で社会批判思想を表現することである。草田男はギリギリのところで前者の道を採らなかった。ただストレートな社会性俳句も書かなかった。素朴に他者や社会を批判しているわけではないのだ。論客だが草田男の議論が少しわかりにくいのは、彼独自の思想倫理があったからである。
蟾蜍長子家去る由もなし
萬緑の中や吾子の歯生え初むる
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る
焼跡に遺る三和土や手鞠つく
林檎掻き出し掻き出し尽きし其籾殻
むし饅頭浪曲なれど母恋ふ声
こういった生活句が今の俳壇では一番通りがよいのかもしれない。ただ俳句の源泉を「掻き出し掻き出し尽」くすような多様性が草田男作品の魅力である。一つの俳風に固執することなく、俳句原理を踏まえて自己の信じる作品を生み出している。俳壇という風土の中では、角川俳句も一種の結社誌のようなものと捉えられないことはない。そうすると毎号毎号判で押したようなノウハウ誌ではななく、草田男存命なら僕は「萬緑」同人の方がいいな。
岡野隆
■ 中村草田男の本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■