鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『第046回 エチオピア正教のイコン(下編)』をアップしましたぁ。エチオピア正教の骨董から、〝われらの辺境的精神〟を読み解く鶴山さんのエセー完結編です。
二十世紀後半まで影響を及ぼした偉大なサンボリストとして、ランボーの書き物や人生は重箱の隅をつつくような細かさで研究されている。しかしランボー全集を通読した者は奇妙な気持ちにとらわれる。後半生のランボーは完全に文学を捨てた。(中略)
ただランボーが、ヨーロッパ、あるいはフランスの文学サロンの雰囲気を嫌ってアフリカ行きを決めたのは確かである。エチオピアに縁があったのもさしたる理由はない。(中略)ランボーにとってアフリカは文化果てる辺境の地だった。だから彼はそこに行く必要があった。
ランボーの姿が消えていった辺境から私たちの現代が始まる。現代に絶対は存在せず、それゆえ絶対を喪失することもない。中心は辺境となり、渦を巻くように辺境がひとときの中心になる。それが私たちの新たなロマンであり、エグゾティズムである。
鶴山裕司
アルチュール・ランボーは詩をやめたあと、武器商人などをしながら中東から北アフリカを転々としました。一番縁があったのがエチオピアです。なぜそうしたのかと言えば、当時のアフリカが『文化果てる辺境の地』だったという以上の意味はないでしょうね。ただ鶴山さんは『ランボーの姿が消えていった辺境から私たちの現代が始まる』と書いておられます。
鶴山さんもまた、現代の詩の状況から意識的に一線を画した詩人であるのは確かでしょうね。でも現実世界で本当の意味で自由でいられるのは力のある者だけです。力のある作家だけがジャンルの垣根を越えて作品を発表し、それを読者に受け入れてもらえる。縦横無尽に張り巡らされた文学制度から自由でいられます。そういった作家のあり方は文学金魚もまた是とするところではありますが、勝負はこれからですなぁ。
■ 鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『第046回 エチオピア正教のイコン(下編)』 ■
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