偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の連載小説!。
by 三浦俊彦
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■ 金妙塾というパワースポットに袖村・蔦崎なる二大体質者が短期間であれ同居した事実から、体質的複合効果の諸事例が多数観測されたことは間違いない。その中で後世長らく教科書的範例として語り継がれることになった……公式例題……に硬質確認を施してから先へ進もう。
袖村体質の伝染効果、蔦崎体質の感染効果はいずれも、行きずりの赤色他人に対する地縛霊的または浮遊霊的現象として報告されるのが常だったが、さすがに両体質の波動が重なった場合にはその単純強度の昂進または相互抑制ゆえ、赤方偏移の法則が解けて全色相への拡散が生じ、見境なしの疑似感染現象が予測され現に記録されていたのである。
金妙塾生の中でも憑依体質の旺盛だった名もなき塾生的諸事例はあえて省き、小説家にふさわしい虚構成分レベルのぶん体質的標準度については間違いのない小熊誠子の事例に絞ろう。
恒例の勉強会、句会のたぐいとは別に準公式の研究会が任意の単位でしばしば開かれていた後期金妙塾だったが、袖村茂明・蔦崎公一の両名が同席した延べ時間はそう長くなく、小熊誠子がたまたま感応したその席が、袖村と蔦崎が直接互いにみことよこと程度以上言葉を交わした唯一の会合だったとも言われる。
さて、件の教科書的事象……公式例題……は、袖村・蔦崎各々の代弁者的数名が定巻圭三郎の処女作を引き合いに何事かを論駁しあおうとしかけた時に生起した。定巻の名前にトラウマ的反応を示した小熊誠子の大腸が鳴動を始め、塾二階のトイレに向かったのが決定的記録の始まりである。
小熊誠子の意図としては、研究会に隣接する三階トイレよりも二階の方が腹下しの事実を知られずに済むという安易な動機に従っただけだったのだが、まさにトピック真っ最中にアンチおろち的自己否定的症状に囚われたそんな隙にこそ、おろち波動は入り込む定めだったのである。この時点で二階女子トイレだけが和式であり、しかもこの時期限定で盗撮カメラが設置されていた。前者条件は小熊誠子的には承知の上だったが、後者条件は小熊に限らず露ほども認識対象化したことがなかった。後者条件は橘印ビデオ充実展開のために橘菜緒海が塾生に無断で一日だけ隠密実行した盗撮企画であったとも、桑田康介と三谷恒明の臨時共謀によるまさに「袖村・蔦崎体質融合効果測定」を目的とした直球企画であったとも言われているが、いずれにせよ現在に残っている映像はどこからともなくネットに流出していた非公式断片のみだとされる。それら断片から再構成しえた小熊誠子的体質感染映像は次の通りだが、その前に注釈が必要だろう。
このときの小熊和式ウンチング映像は「袖村体質と蔦崎体質の共存協同が最も自然な形で実現した具体例を記述せよ」という問い……公式例題……として、初期おろち学内外の適性試験の定番問題となってきた。第二次おろち円熟期以降の読者にとって、この問題を改めて解くことが初期おろち史(正確にはおろち紀元前)の実感的再構成に近づく最短のトレーニングとなろう。
以上の注釈のもと、わかっている歴史的事実を整理しよう。まず、トイレに入るや否や便器後方の陶器にぽちょっと茶色い小山が小熊誠子の網膜に映ずる。
先客が残していった「丘グソ」だ。
これで「他人の現場もしくは痕跡を目撃する」という袖村体質的要素がわずかながら満たされたことにはなる。もちろんこれだけでは全然足りない。「この日この個室に限って金妙塾内には盗撮カメラが仕掛けられていた」という「見られ設定」に巻き込まれたというのもまた、いちおう袖村体質的要素ではある。しかしこれが加わってもまだまだ足りない。「モノを食わされる」「食う羽目になる」という蔦崎体質的要素がいまだ皆無であるし、袖村体質的要素も微弱かつ場所柄相応すぎて、あえて「袖村蔦崎複合」の効果を謳う意味がない。ではここから、いかにして小熊誠子は二大体質の同時感染ぶりを披露できたのであろうか。
読者諸氏は本腰を入れて考えてみられたい。
留意すべきは、体質とは元来ナチュラルな特性であり、それが二種類、のみならず歴史的体質が二種類〈共鳴〉〈共振〉的に重なったのであるから、その複合的発現はきわめて「自然な流れ」を呈するのでなければならない、ということである。
換言すれば、事象冒頭の「他人の痕跡」程度もしくはそれ以上のありがち事象としてすんなり受け入れられる滑らかな流れによって、蔦崎的かつ袖村的シチュエーションを小熊誠子の身に生じさせよ。現に生じたのだがその生じた事柄を言語的に再現せよ。
というのが初期おろち史で定番となっていた公式問題の筆頭なのである。おろち史円熟期においてもこれを即時解明できるだけのおろちリテラシーは生き残っているだろうか? おろち文化の円熟に伴い、おろち応用技術の側面のみが洗練される一方で、こうしたおろち紀元前の波動事象に関わるような基礎判断力が低下しており、この初期公式問題の正解率もめっきり減少傾向にあるというのが実情らしいのであってみれば。
いかがか読者諸氏。
少なくとも次のステップは想像容易だろう。
小熊誠子はもちろんしゃがむ。様式に慣れた股関節が久しぶりのウンチングスタイルにパキッ、と鳴る。足位置を踏みかえて腰を本格的に落とすとぱきばきっ、とさらに連続関節音。
次のステップは? これも容易だろう。「ブッ!」と湿った屁が放たれて、小熊肛門からひゅるんと垂れ下がったピンクのポリープがプるるんと揺れる。
さて次のステップは?
そう、まだまだ頭を使う必要はない。「ぶすっ、ぷしゅぶちぶちぶちブチブチ……」軟便がひとしきりほとばしり出るというので正解だ。ミチミチミチミチニチミチニチミチ…………
五臓六腑の奥から絞り出し終えた達成感そのままの長い吐息とともに、小熊誠子はカラカラとトイレットペーパーを巻き取る。そして几帳面に畳んで、ムにゅううと力を込めた尻拭きがなされた。(ちなみに、あらゆる作業のうち尻拭きのみサウスポー(あるいは尻拭きのみ右利き)という、金妙塾生特有の多数派傾向を小熊誠子も示していたはずだが、この時は小熊尻拭きは右手によってなされていた。この微細な逸脱はとりあえず本課題に直接の関係はないというのが暫定的定説である)。
畳んだペーパー表面にべっとりと黄土色ペーストが厚く塗り移し込められているのをカメラは鮮明に捉えている。
さて、小熊誠子の直後の動作はどうなるべきだろうか。このステップあたりで微細な逸脱的ただし決してアドホックには見えない自然展開、が灯らなければならないはずである。
そう、動作というより、小熊誠子の身に、ありがちな或る事が起こるのである。
それは何か。
ヒントを要する読者のために、「それは次の条件を満たさねばならない」と再確認しておこう。
条件A。「徹頭徹尾、排便という行為にとって自然な出来事の連鎖でなければならない。〈袖村要因〉および〈蔦崎要因〉単独での作用の場合は感染者の身に多かれ少なかれ異例な物理現象が訪れることもままあったが、二波動の〈共鳴〉である以上、現象的に調和でなければならず、ハプニングの助けを借りてはならない。すなわち日常生活上のありふれた出来事推移の見掛けを逸脱してはならない」
条件B。「強力な二大感染波動が異質共鳴するのであるから、両方とも固有の特徴が抑制され合って各々の明瞭さを減ずることはありそうである。にもかかわらず、〈袖村要因〉〈蔦崎要因〉は識別できなければならない」
条件C。「別個の現象ではなく不可分なるひとつの現象によって〈袖村要因〉〈蔦崎要因〉が同時実現されなければならない」
以上三条件を満たす正解、小熊誠子の次の動作推移を――
……、
まがりなりにも旧公式問題。
おろち文化の申し子たる読者諸氏は必ず正解していただきたい!
……。
……。
結果的には条件Cを満たしつつ、プロセス的には二つの事柄……「溜め」と「リセット」を伴う二事象……によって小熊誠子は臨時袖村茂明兼臨時蔦崎公一体質に憑依され、盗撮動画に証拠を残した。
第一の出来事。べっとりと尻拭き第一回を終えると同時に、小熊誠子の全身が二秒ほど静止する。
小熊誠子の場合、排便に関しては平均四回の拭き取り行為を習慣としていたため、尻拭き本番はまだこれから、という臨戦持続態勢での変則的中断である。
なぜ静止したか?
これは誰にでもよくありがちな、そう、
(あ……、また来る、波が……)
些細な誤算である。(出し切らないうちに拭いちゃった……)
便意の波を過小評価し、尻拭きを早まってしまったわけだ。
残りを出さなければならない。
ここで、心理学的プチ必然性が作動した。小熊誠子の神経系を占有する条件付けが、「尻拭き途中」から「もうひと息み」へとリセットされ、前者の状況認識がすっと念頭から消えたのである。
こうして小熊誠子の態勢は次のようなものになった。何度も言うがこれは「記述報告」ではなく「出題」であるから、万一まだ正解を導き出していない読者はここで小熊誠子的複合体質事象を最後まで、手足姿勢の変化として鮮明に思い浮かべてから、確認のためにのみこの先を読み進めていただきたい。
小熊誠子の態勢は、排便再開モードとなった。先ほどよりわずかに尻を上げ気味に、今度こそ全部出し切らねば的にリキミ始める。
その第二便意波の新鮮さゆえ、リキミが過剰に初々しくなされたのも当然だ。まるで今しゃがんだばかりのような、先ほどの大量脱糞を忘れ去ってしまったかのような。
ここまでくどいほどの念押しを押しまくられればもう正解は明らかだろう。
改めて正解していただきたい!
そう。
その通り。
小熊誠子の態勢を上半身について改めて記述するとその通り。先ほど尻拭きを終えたばかりの黄土色ベットリペーパーを右手に持ったまま、それを便器内に捨てるのも忘れて(それほどに急激な第二波だったので)息み続け、リキミやすさの微差的工夫で小熊誠子は黄土色厚塗りペーパーに左手を添えて、両手で捧げ持つように固着して、うんうん息み続けたのである。
賞状拝受の手の位置で、用済み紙の付着面を手前に捧げつつ、
びちっ、美ちびちびちぴちっ。
便意の波さえ送っておけば任務達成と言わんばかりに第二波は、少量の液便を小熊肛門から滴らせて、徐々に褪色していった。
小熊誠子の上半身のリキミがゆるんでいき、静止状態がほどけ、両膝で支えていた両肘が浮いていき、それに伴って両手で捧げ持つ黄土色厚塗りペーパーの上下位置がぶれ、また止まる。
最後の一滴とともにホッと一息。
ほっ。……
その瞬間、チーンと鼻をかむ。息みはやはり鼻水を誘発したりするので、小熊誠子はごく自然に、鼻をかんだ。
トイレットペーパーで鼻をかむのはよくあることだ。中流階級の最大級的くつろぎの源だ。
トイレットペーパーを手にして排便しながら、程よい緊張弛緩の一刹那にチイイーン、と思いっきり鼻をかむ。
鼻水の有無にかかわらず呼気を鼻呼吸の極致としてぶっ放す。鼻腔と肛門の通底。身体に一本腺が背骨的にぴいんと走り弾ける。
これほど気持ちのいい瞬間はめったになかろう。
ただしこのときの小熊誠子は。小熊ががちょうど眼前に捧げ持っていたペーパーは、黄土色厚塗りバージョンだった。
そっちの面だった。
ごく自然にそれで鼻をかんだ小熊誠子。
なにも不自然な流れはない。
ちょっとうっかりだっただけだ。よくあることだ。リセットを経てしまっては。
爪切りでパチンパチンの最中に電話着信があって通話後、話の余韻に爪切り途中たるを忘れて過ごし、頬っぺたのかゆみを何気なく半切り爪の鋭角で掻き毟ってウワッと大出血の巻。
その種の流れ。
小熊誠子の鼻にはベットリと黄土色が付着しているが、本人は気づいていない。
気づくべき手掛かりとしての便臭について言えばこういうことだ。便意第二波来襲時にストップしたのは尻拭き動作だけでなく水洗コック押しという後始末作業もまた棚上げされていたため、便器内堆積物の放置時間に比例した内臓臭が鼻腔を満たしていたこと。しかしそれだけが原因ではない。便意の引き潮の速やかさにくつろぎ切ってしまったことが大きいことが映像分析により小熊誠子表情に見てとれる。
こうして鼻を薄褐色に染めていることに気づかぬまま、小熊誠子は改めて新しいペーパーを巻き取って尻拭きを開始し、五回拭き取って立ち上がり手を洗った。
鏡を見ればウンコ紙で鼻を拭ってしまったことは一目瞭然のはずだったが、そういうタイミングに限って照明具合が不自然さを感じさせぬ柔光を装い、ガラス面も微妙に曇り、鼻近辺を天然微妙に光らせたのみ、ついに小熊誠子は自身の顔面に違和感を抱くことなく研究会の席に戻ったのだった。
研究会の面々は――袖村茂明、蔦崎公一両名を含めて――小熊誠子の顔面異常にすぐ気づいたようである。
(あ……)(お……)(え……)
むろんそこは金妙塾。みな、
(なんという趣向……)
と思った。
おろちパックでの特殊メイクを施して再登場とは(この作家女史、侮れん……。かような凝りようを全くアピールしようとしない……。我々も変にはしゃぐとレベルを疑われるので黙っていよう……)的牽制的様子見によって、結局この日の小熊誠子は帰宅後も顔面異常に気づかず、入浴によってエピソードは沈黙に覆われることとなったのである。
――確認。
袖村体質と蔦崎体質の融合的複合の結果は、「ごく自然」であった。条件A充足。
複合波動を浴びた小熊誠子は、自然な流れで無意識のうちに自ら顔面塗糞を施し、薄く延ばした「糞箔」の形態においてであれ自らの大便を顔面中央をもって室内および街路および公共交通機関内にて衆目衆鼻に晒すという〈袖村波動感染ぶり〉をやや穏健に発揮し、しかも顔面中央における鼻呼吸をもって自らの腸内蒸気を吸引し続けるという〈蔦崎波動感染ぶり〉をもやや穏健に発揮したのである。条件B充足。しかも――
別個に二体質感染を示したのであればまだしも、注目すべきはその自然融合ぶり、条件C充足ぶりである。
二つの波動感染を小熊誠子は「分離不可能な一つの現象によって」すなわち顔面塗糞という現象によって実現してしまった。
これは小熊誠子的素因というより、やはり二大体質者の波動係数に対して我々は目を見張らなければならないだろう。金妙塾研究会室内という「徹底的に求め、励む」生体電気が種々充満する空間においてすら、体質者両名の「根源的に呼ばれ、放つ」波動は蠢動を止めないばかりか共鳴することすら実証されたのである。
おろち文化の成熟を見つつある現在えてして忘れられつつあるこの「初期おろち文化教育における範例的波動共鳴事象」は、改めて具体例に即した確認を更新し続けるに値する。
呼ばれ体質の対極たる務め励み体質にまみれ続けた印南哲治の体質的馴致の目論見のごときは、腸内味噌厚塗りトイレットペーパーの一片によって哀しくも初期反証されているのだった……。
逆に言えば、よほどの「作為の集中投入」によってのみ、呼ばれ体質の追放霧消が図れる、という理屈以外によっては、あの惨劇的暴発は説明しきれないことが察せられるのである。
(第89回 了)
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