ワヤンの物語の多くは『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』を元にしている。古代インドの二大叙事詩で原典はサンスクリット語である。『ラーマーヤナ』は七編構成で、三十二音節の対句(シュローカ)が二万四千も続く。ラーマ王とその妻シータが主人公である。継母の陰謀で王座に就けなかったラーマは森に隠棲するが、魔王に妻シータを誘拐されてしまう。ようやくシータを奪還するが、最初はラーマ王自身が、次いで国民がシータの貞節を疑う。シータは身の潔白を証明して大地に飲み込まれてしまう。悲嘆したラーマ王もまたブラフマー神によって天に召される。ラーマ王はヴィシュヌ神の化身ということになっており神話的要素が強いが、なんとも人間臭い物語である。
『マハーバーラタ』は全十八巻・十万シュローカとさらに長大な物語である。バラタ族で従兄弟同士のパーンダヴァ五兄弟とカウラヴァ百兄弟が、領土を巡って争う物語である。両者とも神々の末裔である。陰謀や情などが錯綜した果てに、五兄弟と百兄弟は大戦争バラタユダを戦う。戦いは五兄弟の勝利に終わるが、勝負の帰結は神々によってあらかじめ定められており、それはあまり重視されない。むしろ戦いに向かう人々の心の揺らぎと、戦いを終えた後の勝者の心の拠り所が『マハーバーラタ』の主題である。五兄弟の一人アルジュナが同族間の戦いに疑問を持った時に、クリシュナー神が戦いの意義を説いた箇所がヒンディー教の聖典『バガヴァット・ギーター』である。なおワヤンの演目にはその他に、ジャワ島の王朝を背景としたパンジやダマルウランがあり、ペルシャ由来のメナクと呼ばれる出し物などもある。仏陀やキリスト物語を主題にしたワヤンも知られている。
ワヤンの多くが『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』という古代インド叙事詩に基づいているのは、この地域に最初に流入したがヒンドゥーと仏教だったからである。ジャワ島最初の王朝は九二八年成立のクディリ王国だが、一四七八年滅亡のモジョパイト王国までヒンドゥー・仏教王朝だった。遺跡などの石彫レリーフなどから、十世紀には何らかの形でワヤンが始まっていたと考えられている。その後のデマク王朝からインドネシア一帯はイスラーム化される。しかしそれまでのヒンドゥー・仏教の影響は根深く残った。イスラームの聖職者たちはそれを利用し、ワヤン演劇を通してイスラームを布教しようとしたようだ。
イスラームの聖職者たちは、『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』に登場する神々を無謬の絶対神ではなく、人間と同じように迷い、誤りを犯す存在として描いた。またヒンドゥー教では神聖な牛の皮を使ってワヤン人形を作るようにした。ヒンドゥーの影響が排除されなかったのは、イスラームの中心地アラビアと比較すれば、辺境の東南アジアでは締め付けが緩かったからだとも言える。ジャワ島に隣接するバリ島はヒンドゥー教徒の島として知られるが、バリ島のワヤンはジャワ島よりも古い様式を残していると言われる。
新たな文化が次々に流入し、それを喜んで受け入れるが、過去の文化をキッパリ捨て去ることなく重層化させる辺境島嶼部の特徴は、ワヤンの上演形態にも現れている。ワヤンの語源はジャワ語で「影」を意味するbayangで、ここからワヤン・クリット(wayang kulit=影絵人形劇)が生まれた。ただワヤンの上演形態は、語り手が絵巻の絵解きをするワヤン・ベベル、木彫り人形を使うワヤン・ゴレッタ、板人形を使うワヤン・クリティック(クルチル)、指人形芝居のワヤン・ポーテーヒ、俳優が演じるワヤン・オラン(ウォン)、仮面劇のワヤン・トベン、民間人が四、五人集まって楽しむダラン・ジュムブルンなど様々である。
ワヤン成立の順序としては、まず文字で『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』が伝わり、それを文字の読めない人々に説き聞かすワヤン・ベベル(絵解き)が始まったらしい。次いで劇になったわけだが、最初は人間が演じ、やがて影絵が主流になっていったと考えられる。ワヤンの上演時間は長く、熱帯のインドネシアでは昼間の上演は難しい。照明装置が貧弱な時代に、より多くの人が楽しめる形式のワヤン・クリットが自然と主流になっていったのだろう。ただこれは仮説であり、厳密な証明は難しい。
日本のような孤立した島国では、常に外来文化が流入し続けているわけではない。それには濃淡があり、外来文化流入の衝撃がおさまると、それまでの国風文化に習合され次第に洗練されてゆく。しかしインドネシア一帯は大陸に近い。ヒンドゥー・仏教・イスラームといった宗教だけでなく、中国文化なども常に流入し続けている。ただ地続きではなく群島であるため、外来文化の影響は斑模様のように島ごとに、あるいは特定の宗教・民族・言語の中に残ってしまう。その錯綜し、だがどこかで地下深く繋がっているような重層性がインドネシア独自の文化を形成している。
クリス・ボード① 表(著者蔵)
クリス・ボード① 裏(著者蔵)
ジャワ島 木に彫刻と彩色 二十世紀初頭の作
縦68・8×横36・4×厚さ1・9センチ(いずれも最大値、以下同)
クリス・ボード②(著者蔵)
ジャワ島 木に彫刻 二十世紀初頭の作
縦82・2×横38・7×厚さ2・4センチ
クリス・ボード③(著者蔵)
ジャワ島 木に彫刻と彩色 二十世紀初頭の作
縦59×横27・6×厚さ2.8センチ
【参考】代表的なクリスダガー ウィキペディアより
インドネシアからマレーシア、ブルネイ、タイ・フィリピンの一部には、クリスと呼ばれる独特の形をした短剣がある。クリス(keris)の語源は古ジャワ語の刺すという意味だと言われ、ジャワ島を中心に周辺地域に広がったらしい。鋭利な刃物だが、武器としてより霊力のある宝剣として尊ばれている。ジャワ島独自の形態だが外来文化の影響を受けて現在のような形になった可能性もある。アラビア半島のイエメンでは、成人男子は腰にジャンビーアと呼ばれる短剣を差す。これも実用ではなく聖剣である。いずれにせよクリスが作られたのはイスラームが流入し始めた十四世紀以降らしい。
またジャワ島ではクリスを掛けておくための板(クリス・ボード)が作られている。いつ頃からあるのか不明だが、図版掲載したクリス・ボードは二十世紀初頭のもので、影絵で使うワヤン人形の姿が彫られている。①だけ両面に彫りがある。現存するクリス・ボードのほとんどにワヤン人形が彫られているわけだが、それはワヤン・クリット(影絵人形劇)が人々の間に定着し、聖なる演劇であるワヤンが、ワヤン人形のイメージとして表象されるようになって以降の作であることを示している。ワヤン演劇の実に多種多様な主題や上演方法を見ても、インドネシアでは古い文化の上に新しい文化が接ぎ木され、当初は異なる質の文化がいつの間にか習合されている。聖なる表象としてのワヤン人形のイメージも、恐らく様々な形で変遷しているのだろう。
銀製の櫛(著者蔵)
銀製本体にコイン貼り付け 二十世紀初頭の作
縦16・1×横6・67×厚さ9・5センチ
ジャワ島で作られた銀製の櫛もインドネシア文化の特徴をよく表している。櫛の装飾に使われているのは宗主国オランダ本国で流通していた銀貨と、オランダ東インド会社が発行した銀貨である。硬貨を装飾に用いていることから、当時のジャワ島では貨幣経済が完全に浸透していなかったことがわかる。貨幣経済に浸りきると金は金にしか見えなくなり、その模様を面白がって装飾品に使うことはまずないからである。アイヌ民族がそうだが、硬貨は富の象徴だと知りながら、まだ完全に貨幣経済に取り込まれていない人々がこのような装飾をする。ジャワ島はすでにイスラーム化されていたが、その下にはヒンディ-・仏教文化があり、そのさらに下に古いアニミズム文化が息づいている。アニミズム文化は万物に神が宿ると考え、どの民族も外来の珍しい品物を神の依り代とすることが多い。
ワヤン本来の姿は、ある家で結婚や割礼などの慶事があった時に、また村で田植えや収穫祭などの年中行事を行う際に、主催者の家や村が費用を負担して一座を呼び上演する娯楽で祭事である。ワヤン・クリット(影絵人形劇)は野外上演が基本であり、夜九時頃始まり明け方五時頃まで続く。一座の長はダランと呼ばれ、語りながら二、三十体の人形を駆使してワヤンを上演する。ダランはまた一座の長でもあり、ガムラン奏者、ブシンデンと呼ばれる女性歌手を率いている。日暮れとともにガムランの演奏が始まる。悪霊を祓い、祖先の霊を降ろすためである。ダランは上演前に香を焚いて主催者や観衆に幸いが訪れるよう祈る。ダランは芸人だが、特別な力を持つと考えられる一種の司祭でもある。優れたダランは定期的に断食と瞑想を行い、身を清浄に保って精神修養に努めるのである。
ダランの聖性は、ヒンドゥー神秘主義とイスラーム神秘主義(スーフィズム)が混淆して出来上がったと言われる。アッラーを唯一不可侵の絶対神とし、戒律(スンナ)を厳格に守って神に帰依する正統イスラーム教徒(スンナ派は戒律に従う人々の意味である)から見れば、より直截に神の姿を求め、その真姿に迫ろうとするイスラーム神秘主義者(スーフィー)は許しがたい異端者である。しかし大半がスンナ派のインドネシアのムスリムの間では、スーフィズム的神秘思想が無理なく定着している。
ジャワ島には「アガマ(外来宗教)は海から、アダト(土着慣習)は山から降りてくる」という言葉がある。インドネシアに最初の王国が生まれたのは五世紀頃であり、文書資料などが出現するのは十世紀になってからだが、その精神史は恐ろしく古い。ワヤンについて聞くと、ダランも観客も宗教とは関係ないと言う。古い古いインドネシアのアニミズム精神が、重層化する外来文化を調和あるものにまとめあげている。
【参考】バリ島の仮面舞踏劇トペン インドネシア観光省公式HPより
【参考】バリ舞踊 ウィキペディアより
インドネシアの芸能はワヤン以外にもたくさんある。バリ島にはトペンと呼ばれる仮面舞踏劇が伝わっている。中国文化の影響を受けているので当然と言えば当然だが、トペンの仮面には日本の伎楽を思い起こさせる形がある。またワヤンと並んで有名なのが女性たちによるバリ舞踊である。現在は観光用に様式化されているが、元々は共同体の宗教儀礼の際に踊られていた。上半身の動きに集中するその舞踊はバリ島独特のものだ。日本の能にも通じる所作である。ただ日本の能が厳しく様式化され、体系化されて伝承されたのに対し、インドネシアの伝統芸能はダイナミックに変貌し続けている。
インドネシアの古い芸能の一部は、間違いなく極東日本にまで伝わっているだろう。それは神話からも推測することができる。『古事記』には保食神の亡骸の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦と大豆と小豆が生まれたという記述がある。同じような神話の祖型が、早くから稲作が発達したジャワ島で複数確認されている。芋栽培起源の神話ではないかとも言われる。ただ限られた文書や遺跡から、有史以来のアニミズムの上にヒンディー・仏教・イスラーム文化が重層化したインドネシア文化のオリジンを探るのはとても難しい。果実のように種はあるのだが、果肉の味は時代状況の変化に応じて無限に異なる。直観をもって核を把握し、推論を重ねてゆくしかないだろう。
二十一世紀の情報化時代の波はインドネシアにも押し寄せ、ワヤン演劇はすたれてゆく一方のようだ。しかしジャワ島にはまだ、小さなワヤン・クリットの劇場が残っている。ダランが声を張り上げ、ブシンデンたちが地唄を謡う。インドネシア語もジャワ語もわからない者には呪文にしか聞こえない。暑い中、あの独特の香辛料の香りに包まれながら現地の人たちと一緒に客席に座り、華やかだが単調なガムランの調べを聞きながらずっと影絵を見ていると眠くなる。ぜんぜん質は違うのに、ふとこれは夢幻能ではないかという気がしてくる。ジャワ島に行けば、まだそういった経験をすることができる。
鶴山裕司
(図版撮影・タナカ ユキヒロ)
(了)
■鶴山裕司詩集『国書』■
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