『J・エドガー』J.Edgar 2012年(米)
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ピーター・モーガン
キャスト:
レオナルド・ディカプリオ
ナオミ・ワッツ
アーミー・ハーマー
ジュディ・デンチ
配給:ワーナー・ブラザース映画
上映時間:138分
『ディパーテッド』(07)や『インセプション』(10)によって演技派としての地位を確立しつつあるレオナルド・ディカプリオが巨匠クリント・イーストウッドと初タッグを組むことで話題になった本作。50年以上FBI長官の地位に君臨したジョン・エドガー・フーバー(レオナルド・ディカプリオ)が伝記を執筆していくなかで彼の生涯が徐々に明かされていく。
一見すると「J・エドガー・フーバーのFBI長官としての生涯を描いた映画である」という簡易的な説明をすることができるが、私にとってそのような位置付けは決して同調できるものではない。なぜなら私は、本作が彼の功績を称え知識として伝えていく凡庸な伝記映画ではなく、映像的な「嘘」によってエドガー・フーバーという一人の「人間」を描いた映画的ドラマの秀作であると考えるからだ。
■嘘によって見えてくるエドガー・フーバー■
すべては終盤に集約されている。ゲイとしての愛人であり、右腕的存在である老人クライドに伝記原稿の「嘘」を暴かれるシークエンス。年老いたクライドは、エドガーがリンドバーグ愛児誘拐事件の犯人を現場で逮捕していないこと、犯人の逮捕直前に白い馬が通って逮捕に遅れたこと、英雄的存在のリンドバーグに馬鹿にされていた事実、漫画への英雄的出来事への虚偽などメディアによって創作した虚のエドガー像を暴露する。スクリーンの映像はクライドの言葉と同時に、数十分前に我々が目撃した「エドガーによる回想のショット」と「事実とは異なった真実の映像」を(フラッシュ・バックのように)連続的なカッティング見せていく。真実の暴露とシンクロし、虚偽と真実の映像が交差するカッティングは、これまで映し出されてきた映像がエドガーの主観による回想映像であり、虚偽の回想であったことを知らせてくれるだろう。
観客は今まで見てきた回想が嘘に満ちた主観的な回想映像であったことに驚かされ、これまで二時間近くもの時間をかけて構築してきた観客の「エドガー・フーバー像」は綺麗に崩壊させられる。しかし観客は、彼の肖像が崩れ去ったことで、「彼が極めて謎めいた人間である」という新たなエドガー・フーバー像を構築することができるのだ。つまり本作は大胆にも往年の伝記映画の作り方で構築してきたエドガー・フーバー像を終盤で破壊し、その崩壊によって真のエドガー・フーバー像(謎めいた人物であるという肖像)を浮かび上がらせている、ということだ。そうした意味でも本作は伝記映画というジャンルにおける「回想」という約束事を利用した嘘の伝記映画であると言える。同時に本作は、嘘によって真実を浮き彫りにする巧妙な伝記映画とも評価することができるだろう。
■愛に生きたエドガー・フーバー■
しかしながら、虚偽的回想の暴露によって二時間以上もの間で構築されてきた彼の肖像が全て崩壊したわけではない。我々観客は確かに彼が貫いた愛を見てきた。とりわけ母のネックレスや服を身にまとい、胎児のごとくうずくまる彼を映したシーンは美しい。クリント・イーストウッドを老年の巨匠へと導いた撮影監督のトム・スターンによる重厚でモノクロ・タッチな映像表現が彼の孤独と愛を視覚的に表現していたように思える。また切ないピアノのメロディが年老いた彼の人生そのものを哀しくも美しく奏でていた。そして様々な歴史的事件をフラッシュ・バックさせ、階段を上がっていくエドガーを映しながら語りだすナレーション(愛の賛美)では、彼が権力と愛に生きた一人の人間であることを感じさせてくれる。
また中盤でクライドに「女性と結婚する」と相談し、クライドが激怒して退出する際に「I love you…I love you……」と涙目で呟くエドガーのクロース・アップは、愛と権力に生きる彼の人生を最も的確に表現していたように思われる。
ただ単にジョン・エドガー・フーバーの功績と人生を伝えるだけならば、あの表情やトム・スターンの映像表現はいらないだろう。しかし本作は極めてドラマティックで映画的な表現手法で満たし、ディカプリオの演技もまたドラマ性を盛り上げる演出によって彩られていた。すなわち本作は知識の伝達と再現による伝記映画作品ではなく、重厚な人間ドラマとして魅惑的な作品なのである。
もちろんアメリカ人なら誰でも知っている「リンドバーグという有名人」、「ニクソンの汚職」、「ケネディ大統領の弟であり司法長官のロバート・ケネディとエドガー・フーバーの対立」、「ケネディ暗殺」、「国内外の共産主義との対立」、そして「国民と国家の安全性を保障する代わりに情報開示と服従、そして沈黙という代償を払う管理社会体制へと移行したアメリカの権力構造」といった近代アメリカ歴史を俯瞰した近代建国ドラマとしても堪能できる多様性も本作の魅力の一つとして忘れてはいけない。
後藤弘毅
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■