山田隆道さんの新連載小説『家を看取る日』(第06回)をアップしましたぁ。まったく次々問題が起こりますなぁ。あ、小説だからフィクションなんですけど、家とか家族とかは、スリリングなものだなぁと実感いたします。また家=家族は人間の関係性の束であり、人間の精神形成の核となる基盤でもあります。現代家族は時代の変化に呼応してどんどん変わっているわけですが、それを的確に小説化した作品は意外に少ないかもしれません。
「ちょっと待ってください。これ、お礼にアメ」
「いらねえって!」
「まあまあ、そんなこと言わずに」
その後も私は物わかりの悪いオバサンになりきって、男性店員を引き止め続けた。咄嗟の思いつきだけに、かなり無理のある芝居だったかもしれないが、この際クオリティーなんかどうでもいい。人としての正義がどうこうとか、子供の教育に良くないとか、そんな真っ当な意見もどうだっていい。
とにかく、孝介に捕まってほしくなかった。万引き犯として、警察や学校に連絡されたくなかった。だから時間を稼いで、孝介を逃がしたかった。
それが親として最低な行動であることくらいわかっている。わかっているつもりなのだが、体が勝手に反応してしまった。ああ、私はやっぱり母親失格だ。孝介が無事逃げ切れたかと思うと、心の底から安堵してしまったのだ。
ポップな文体なのですが、起こっている事件はシリアスです。ただ何かの事件=関係性を、決定的なトラブルの元として捉えないところが『家を看取る日』のリアリティではないかと思います。雨が降っても槍が降っても昨日の延長線上に今日が始まる。どんなにショッキングで精神的負担になる出来事でも、最終的には日常の中で処理し、解決していかなければならないわけです。不肖・石川、『家を看取る日』を読んでいて、漱石先生の『道草』の、「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない」といふ言葉を思い出しましたぁ。
■ 山田隆道 新連載小説 『家を看取る日』(第06回) pdf版 ■
■ 山田隆道 新連載小説 『家を看取る日』(第06回) テキスト版 ■