今月号の巻頭は西村賢太の私小説「菰を被りて夏を待つ」である。西村は二十世紀的な文脈での最後の私小説作家かもしれない。あるいは二十一世紀的な意味での最初の私小説作家になる可能性もある。この作家の私小説的方法は生来の資質に基づいたものであり、その大半が後天的な学習によるものだとも言える。ただ西村が〝私小説とはなにか?〟をほぼ完全に把握している数少ない作家の一人であるのは確かである。
貫多はこの少し前、(中略)初めて田中英光なる名前を知った。そして全くの興味本位でもって、その著作を実際に読んでみて驚いた。かつて経験するところのなかった異様な興奮を覚えてしまった。(中略)
こうした(中略)〝私小説〟の類はいくつか読んでいたが、しかしこれ程までに他人の人生に共鳴したのは初めてだったし、いったいに、何が言いたいのかサッパリわからぬシロモノがはびこる、ひたすらにつまらぬ純文学のジャンルに、かのようなまでにのめり込ませてくれる、魅力ある小説があったことは、全く蒙を啓かれる思いでもあった。(中略)
私小説にノンフィクションのルビを勝手に振る愚かさは、当然小説の誤った読み方として、初手からわきまえるところがあった。私小説も、中に小説の語が入る以上、それはどこまでも小説なのである(中略)。
しかしその辺を十全に弁えていながらも、この田中英光と云う私小説作家の著作群を知った貫多は、何かひどく意気軒昂となっていた。(中略)
それに比べて、あのフザけた手段でもってコケにしてくれた造園会社の尻臭女は、この先その世界を知ることもなく、食って排泄するだけの糞袋人生を不毛に過ごして果てるのである。
(西村賢太「菰を被りて夏を待つ」)
「菰を被りて夏を待つ」は二十歳目前の青年・貫多の物語である。彼はこれまでの自堕落な生活を改めようと横浜の造園会社に勤務する。しかし無頼な生活態度がそう簡単に改まるはずもなく、すぐに造園会社を首になり、土地勘のある東京豊島区の要町に舞い戻ってくる。もちろん安アパートである。引っ越し荷物は青いポリゴミ袋に詰めた掛け布団と、昭和三十九年に刊行された全十一巻の『田中英光全集』だけである。「一見お菰の貫多は、内心においては妙な全能感をひそかに漲らせていたのである。その依って来たるところは、左手に提げた紙袋に忍ばせていた、『田中英光全集』の存在であった」とある。「お菰」は言うまでもなく乞食のことである。乞食は菰(藁筵)をかぶって寝ることが多かったからである。
西村は作家デビュー前に私家版で『田中英光私研究』全八冊を刊行している。その第七巻で私小説「室戸岬」を発表した。「菰を被りて」で書いているように、彼は田中英光の作品に魅力されることで作家への扉をこじ開けたのである。また西村は英光を通して私小説作家・藤澤清造を知り、藤澤清造全集の編集を手がけた(現在のところ未刊)。西村が藤澤の没後弟子を称し、その墓標を自宅に保存していることはよく知られている。
「ひたすらにつまらぬ純文学のジャンルに、かのようなまでにのめり込ませてくれる、魅力ある小説があったことは、全く蒙を啓かれる思いでもあった」とあるように、西村は純文学作家を志したわけではない。私小説作家になることを自ら選んだのである。「私小説も、中に小説の語が入る以上、それはどこまでも小説なのである」というのは的確な認識である。しかし西村が私小説から学んだ最大の思想は、「それに比べて、あのフザけた手段でもってコケにしてくれた造園会社の尻臭女は、この先その世界(田中英光の作品世界のこと)を知ることもなく、食って排泄するだけの糞袋人生を不毛に過ごして果てるのである」という記述にある。
貫多は日雇い労働でかろうじて生活している青年である。家賃は格安だがそれも滞納しがちだ。大家から厳しい催促を受けるようになると、結局支払わぬまま夜逃げのような引っ越しを繰り返している。家賃が払えないわけでは必ずしもない。貫多は乏しい日雇い労働の賃金の中から金を捻出して、田中英光の初版本や初出原稿が掲載された雑誌などを買い漁っているのである。「胸のうちで、(家賃に払う金なぞ、ねぇっ!)と嘯く貫多は、あと一箇月で名実ともに二十歳を迎えようとしていた」とある。
この居直り、底辺の人間として生きながら、社会に対して、お前らは「食って排泄するだけの糞袋人生を不毛に過ごして果てるのである」と、呪詛と罵倒を浴びせかけるところに私小説と呼ばれる芸術の真価がある。もちろん普通に考えれば、貫多の心の叫びは自意識過剰な社会的弱者のたわごとである。しかしそこに日本人、あるいは日本文化を貫く〝ある真実〟が存在するのも確かである。
乱暴な言い方をすれば、追い詰められた日本人は、あるいは日本文化は、貫多のような居直りを為すことで底辺から這い上がってきた。そこに神や仏といった、人間精神が頼りとすべき絶対者(観念)の影はひとかけらもない。滑稽かつグロテスクなまでに肥大化した人間の自意識は、西村が「お菰の貫多は、内心においては妙な全能感をひそかに漲らせていた」と書いたように、それ自体が神のような絶対的心性である。しかしこの心性は必ず他者と、社会と激突する。その時、絶対であるはずの自我意識は揺らぐ。その歪みの中からある一筋の道が示される。それを〝倫理〟と呼べば、私小説作家たちは眉をしかめるだろう。ただそれが歪み、くねりながら真っ直ぐに続く、人間が辿るべき道、そこにしか行き着きようのない道であるのは確かだろう。
このような、外国文化(江戸以前の外来文化である中国文化を含む)の影響をほぼ排除した日本的精神を、初めて的確かつ露骨に描いたのは私小説である。その意味で紆余曲折はあるにせよ、後期芥川龍之介の私小説を純文学の指標とし、それを芥川賞の底流に据えている「文學界」の姿勢は正しいと言える。問題は西村のように、資質的に近しいものを持っているのはもちろん、研究と意志的な覚悟をもって取り組む作家でなければ、もはや私小説は不可能になりつつあることにある。
その日は朝早くに目がさめた。寝た気がしない。わたしはしばらく横になったまま目を閉じている。目をあけて時計を見る。二時間しか寝ていない。枕元の携帯電話を見る。何もない。(中略)顔を洗い、顔をあげる。鏡に濡れたわたしがうつっている。(中略)皮膚には張りがなく、まったく若くはない。若いときもあった。あったような気がする。しかしよく覚えていない。(中略)わたしも他の人間と同じように赤ん坊として生まれてきたはずだ。しかしその記憶はない。他の人間も果たしてほんとうに赤ん坊として生まれてきたのかどうかわたしは知らない。一人の人間が、赤ん坊として生まれ、大人になり、年をとり、死んでいくのをずっと見ていたわけではない。突然ある年齢の人間があらわれてくる瞬間を見たことがあるわけでもない。
(山下澄人「アートマン」冒頭)
山下澄人氏は劇団FUNCTION主宰で小説家である。第147回、149回、150回の芥川賞候補になっている。何人かいる芥川賞の有力候補であり、ストレートに言えば、選考委員を納得させられるレベルの作品だと「文學界」編集部が判断すれば、近いうちに芥川賞を受賞なさることだろう。
こういったことを書くのは本当に心苦しいのだが、冒頭に「枕元の携帯電話を見る。何もない」とあるように、「アートマン」は〝何もない〟ことをひたすら表現した作品である。主人公の自我意識もなければ事件も起こらない。確かに作品では母親が死去したという報せが入るのだが、それは主人公の虚無を表現するためにのみ援用されている。作品の中で主人公は、占い師から「あなたも死んでるのだけど」と言われる。つまり「アートマン」は「わたし」を主人公にした私小説の体裁を取りながら、わたしの内部にも外部にも何も書くこと・表現することがないことを、ひたすら書き綴った作品である。しかしそれに百二十枚近い枚数を費やす必要なないだろう。
この一作で山下文学を云々するつもりは毛頭ないが、こういった作品は純文学的な〝枠組み〟を強く意識させる。今現在も日本全国で小説同人誌が数多く刊行されている。はっきり言えば、その中の優れた作品は「アートマン」に決して劣るものではない。「文學界」のような立派な文芸誌に掲載されたから純文学なのか、純文学だから文芸誌に取り上げられたのか、もはや誰にもわからない。ただ社会的に権威あるものとして認知されている〝文芸誌〟という枠組みを取り除いてしまえば、多くの純文学作品の訴求力が、とても弱いものになっているのは確かだと思う。
大篠夏彦
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■