南蛮美術の光と影-泰西王侯騎馬図屏風の謎-
於・サントリー美術館 神戸市立博物館
http://www.suntory.co.jp/sma/
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/main.html
会期=サントリー美術館 2011/10/26~12/04 神戸市立博物館 2012/4/21~06/03
入館料=1300円(一般) カタログ=2500円
評価=総評・85点 展示方法・80点 カタログ・80点
1492年のコロンブスによるアメリカ大陸発見、1522年のマゼラン艦隊による世界航路の発見により、ヨーロッパ人による本格的な大航海時代が始まった。その影響はすぐに極東の島国日本にも及んだ。室町時代末期の天文12年(1543年)に、種子島にポルトガル船が漂着したのである。これにより日本に鉄砲という新たな武器がもたらされたが、ヨーロッパ諸国はポルトガルを介して日本への航路を知ることになった。6年後の天文18年(1549年)にはフランシスコ・ザビエルが来日し、時の為政者たちの許可を得て日本でキリスト教の布教を始めた。ザビエルはイグナチオ・デ・ロヨラと共にイエズス会を創設した高僧の1人で、ポルトガル王の依頼でインドに派遣され、アジア地域での布教を行っていた。16世紀中頃のヨーロッパはローマカトリックとプロテスタントによる激しい宗教対立の渦中にあり、カトリック・プロテスタント両陣営は自派の正当性を証明するための新たな伝道活動に燃えていたのである。
よく知られているように16世紀から始まるヨーロッパの大航海時代は、交易による利益追求とキリスト教布教がセットになったものだった。わずかな手紙類を除きザビエル来日時の記録は残っていないが、少人数だったとはいえ来日してすぐ薩摩で島津貴久に、次いで周防で大内義隆らの守護大名と会見していることから、先触れなどの準備を行った上での組織的来日だったと考えられる。またザビエル一行はかなりの量の献上品(商品見本ともいえる)を携えて来日しているので、ポルトガル国公式使節団という性格もあったのではないか。このザビエルの来日を契機に日本とポルトガルとの間の交易が始まった。それまで外国文化は中国しか知らなかった日本人は、中国文化とは大きく異なるヨーロッパ文化に初めて本格的に触れたのである。
このヨーロッパ(主にポルトガル・スペイン・イギリス・オランダ)文化との接触・交易で華開いたのが南蛮美術である。その期間は天文18年(1549年)のザビエル来日から、慶長18年(1613年)の徳川幕府による絶対的キリスト教禁止令(バテレン追放令)までの64年間と考えるのが一般的である。これもよく知られていることだが、慶長のキリスト教禁止令以降、徳川幕府は露見すれば即死罪を科す熾烈なキリスト教取り締まりを行ったので、南蛮美術は歴史から一時的に忘れ去られることになった。しかし残された遺物を見れば、その受容と流行がいかにすさまじいものだったのかがよくわかる。聖武天皇の古代から現代に至るまで日本人は舶来物が大好きである。多くの外来思想・文化と同様に、南蛮美術は半世紀ほどのあいだに驚くべき流行を巻き起こし、その後、ふっと歴史から消え去ったのである。
南蛮美術は、美術界では以下の4数種類に分類されるのが一般的である。
① 初期洋風画
宣教師らは布教活動を始めてすぐに、日本人がイコンなどの礼拝用の絵や像を好むことに気づいた。神社仏閣参詣や神像仏像崇拝が日本人の生活に染みついていたからである。当初宣教師らはイコン類を本国から輸入していたが、それではとても追いつかず、布教と日本人宣教師育成のために設立したセミナリヨなどの教育施設で、イコン制作のための絵師を育成し始めた。初期洋風画はイエズス会宣教師の指導のもと、洋画の表現技法を学んだ日本人絵師が描いた絵画である。
② 南蛮屏風
主に狩野派の絵師たちが描いた異国情緒豊かな屏風である。宣教師らの南蛮人、中国人、南蛮船、中国船などが描かれている。初期には南蛮寺(キリスト教寺院)が描かれているものもあるが、徳川の禁教令以降はキリスト教的要素は排除されていった。ただ南蛮船は一般には富をもたらす宝船として捉えられていたので、禁教後の元和・寛永時代頃まで好んで描かれ続けた。南蛮屏風が裕福な商家に数多く伝来していることも、それが吉祥紋だったことを裏付けている。伊万里焼にもしばしば南蛮船が描かれるが、これも富をもたらす目出度い吉祥の意匠である。
③ キリスト教関係工芸品
宣教師らは来日して日本の漆器の工芸技術に驚き、螺鈿の聖龕や書見台などを発注し始めた。やがてそれらは交易品として大量にヨーロッパに輸出されることになった。キリスト教関係工芸品は狭義にはイエズス会のIHS紋章が入った遺物などを指すが、広義には南蛮模様を取り入れた鞍や文箱などの漆器木工品、南蛮人が鋳られた鏡や鍔などの金工品、南蛮文化の影響を受けて作られた織部焼などの陶器も含む。
④ キリシタン関係遺品
徳川幕府によるキリスト教禁止令以降、所持することさえ許されなくなった聖画、聖像、メダルや十字架などである。信者が秘匿し続けて民間伝承したもののほかに、キリシタンからの幕府や代官所の没収品などがある。
今回は①の初期洋風画の傑作として知られる『泰西王侯騎馬図屏風』をメインとした展覧会である。『泰西王侯騎馬図屏風』は元々は福島の会津城(鶴ヶ城)に伝来したが、現在はサントリー美術館と神戸市博物館に分蔵されている。サントリー本の方は維新後も会津松平家が所有していたが、個人所有を経てサントリー美術館に収蔵された。神戸市博物館本の方は、慶應4年(1868年)の戊辰戦争での開城の際に官軍の前原一誠に渡され、その後、南蛮美術コレクターの池長孟(はじめ)の所有を経て神戸市博物館の所蔵になった。初めて見る人にはヨーロッパ絵画としか思えないかもしれないが、イエズス会系日本人画家の手になる作品である。
『泰西王侯騎馬図屏風』サントリー本 桃山から江戸時代初期(17世紀初期) 縦184×横245センチ
『泰西王侯騎馬図屏風』神戸市博物館本 同 縦166.2×横460センチ
今回は美術品の最新研究成果を発表するための展覧会でもある。『泰西王侯騎馬図屏風』に蛍光エックス線透過撮影などの科学調査が実施されたのである。屏風の全面にわたって調査が行われたわけではないが、今回の調査で、白色には江戸期の画材として一般的な胡粉だけでなく、鎌倉期まで遡ることができる古い絵の具である鉛白が使われていることがわかった。またサントリー本と神戸市博物館本では肉眼でも金色の発色が異なるが、実際に金の含有量が違うことが証明された(サントリー本99%、神戸市博物館本95%)。さらに下地に「金」の墨書指示が見つかったことから、1人の絵師の手になる作品ではなく、複数の絵師や職人が関わった工房作であることもほぼ立証された。これらの制作技法に関する謎は解明されていないが、少しずつ研究が進んでいるのである。
徳川時代の長い鎖国とキリスト教禁教政策によって、記録からも記憶からもその痕跡が消し去られてしまったので、ほとんどの南蛮美術品の制作理由や伝来経路は謎のまま残されている。『泰西王侯騎馬図屏風』についても、あれだけの労作であるにも関わらず、日本側はもちろん、イエズス会側にも文書資料は残っていない。物からその背景を探っていくしかないのである。『泰西王侯騎馬図屏風』が制作されたのは慶長の禁教令が発布された1610年代だと推定される。その制作理由をサントリー美術館学芸部長の石田佳也氏は、禁教という危機的状況において、イエズス会側が、有力大名の庇護を得るために、絵師に命じてあえて宗教色の薄いエキゾチックな王侯騎馬図を制作させたのではないかと推測しておられる。大名の歓心を買うためである。宣教師らは大名が馬や合戦の絵図を好むことを知っていた。この仮説は現在のところ最も有力なものだろう。『泰西王侯騎馬図屏風』はまず幕府徳川家に献上され、その後、会津藩に下賜されたということもあり得る。
『駿府政事録』の慶長16年(1611年)9月20日の条に、大御所徳川家康が「輿地図の屏風を御覧ぜられ。蛮国のことを議したまふ」という記述がある。「輿地図」は世界地図屏風のことである。キリスト教系の日本人絵師が描いた初期洋風画だが、世界都市図を含めて7点が現存している。イエズス会の宣教師らは、布教の許可と庇護を得るために、為政者に様々な贈り物をし続けていた。言うまでもないことだが、家康の目に入るような献上品は尋常な品物ではない。現在残されている『泰西王侯騎馬図屏風』などの初期洋風画は、イエズス会と日本人絵師たちが総力を挙げて制作した作品だと言っていい。膨大な金と労力をかけた、制作当初から極めて高価で貴重な物だったのである。だからこそ禁教のキリスト教文化の香りを漂わせる文物であるにも関わらず、それらは現在まで守り伝えられたのである。第一級の古美術にはそのような物が多い。
『四都図・世界図屏風』 桃山から江戸時代初期(17世紀初期) 縦158.7×横477.7センチ
『泰西王侯騎馬図屏風』はサントリー美術館と神戸市博物館所蔵品の白眉と言っていい作品であり、そのためもあって大変力の入った良い展覧会でした。初期洋風画や南蛮屏風だけでなく、キリスト教関係工芸品やキリシタン関係遺品の展示も充実していました。総評は85点です。サントリー美術館と神戸市博物館では定期的に『泰西王侯騎馬図屏風』の展示を行っておられるので、見逃された方は次回は是非ご覧になることをおすすめします。『泰西王侯騎馬図屏風』を始めとする南蛮美術は、(古)美術作品が持っている力によって、今に至るまで桃山時代の歴史の息吹を伝えてくれる傑作です。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■