最近、りょんさんは多忙である。本業もさることながら、レビューがやたら好調で、注文が殺到している。おもに石川からだが。このところ石川がりょんさん好みの記事を見つけてきて、一方的にふる。りょんさん好みだと石川が勝手に思っている、っていうか、そうでなくては困る、と思ってるもんのようだが。
そんでもってチョー久しぶりのこの雑誌、「あんら、まだ出てたの」と言うてしもうたら、「あんたの方こそ、まだ書いてたのって言われるよ」と、さすがの石川も常識人なとこ発揮しました。同人誌だろうと商業誌だろうと、何十年の歴史があればね、そりゃそうだわ。
ほんでトーシロでポッと出のりょんさんは、wikiとかでその歴史とか、見るずら初歩的に。戦後の左翼思想から始まったその歴史(ってか現代詩ってジャーコンを使う業界誌は、ようは全部サヨクらしい)とゆーことだが、それで「詩人の隠れ家」って、今月号の特集は何ずら。石川はりょんさんに何をしてほしいのか。間違ってもwikiとか見てほしくなかったのか、そうか。。。
「詩人の隠れ家」ってのは、トーゼンのことながら「男の隠れ家」とかってダイナースカードの会報誌で組むような特集のパロディだろうが。タイトルだけ見れば。つまり、それをパロディに仕立てるだけの才覚がありますよ、ちう宣言に違いないと思うわな。首の上に脳味噌が詰まった頭がのっかってる、フツーの知的生物ならば。
ところがどっこいパロディどころか、ダイナースクラブの「男の隠れ家」そのまんま、なぞろうってんだから、さすがのりょんも呆れるを通りこして恐れ入った、ってか、怖ろしいんですけど。何十年の歴史ある「思想」ってのは結局、ダイナースのメンバーであることを自慢するとか、羨ましがらせるとか、そーゆー人品の卑しさに膝を屈したってわけ? まー、そうとしか見えない。万国の労働者、m(_ _)m ってか。
こーゆー出来事って、そこの編集部の考えなしなのか蛮勇なのか、はたまたヤケなのか、サボりたいゆえの持ち込み企画に丸投げなのか、そりゃ知ったこっちゃない。ただ「思想」ってキーワードを誌名に掲げてるからには、いくら時代が変わったって、踏みこえるわけにはいかないもん、ないか。現代詩手帖が「現代詩は終わった」って特集やりたくても、やっぱムリ、ってのと同じだよ。
だけど、りょんさんは詩の業界インサイダーぢゃないから、そこまで心配する理由はない。ほんとにヤな感じがしたのは、本家本元のダイナースクラブの「男の隠れ家」に出てても不思議じゃない、立派な骨董店の御主人とか、有名な洋酒メーカーのトップとかが、詩とか文学を口実に引っ張り出されて、それがいかにオカシな光景なのか気づいてない、ってことがツラくて見てらんないの。
詩とか文学とかを何かの権威付けに利用して、それで一般社会をダマして渡ってゆくことがどのくらい可能かって試して一生終える、みたいな自称詩人、ま、いつの時代にもいるんだろうね。メガネの縁を光らせてみたり、頭ハゲてみたり、生い立ち語っちゃったりしながら、文学的アトモスフィアの中で生涯を終えるなら罪はない。けど、実ビジネスで社会的信頼を勝ち得た名士が、そんな小者にいいようにされるのは晩節を汚すってもんだ。「詩」や「思想」の名のもとにガードが緩んで、トンデモない贋骨董も見抜けなかったって、新手の詐欺として金融機関にポスター貼られそうだよ。
りょん
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■