今号は「創刊60周年記念号①今こそ俳句!」の第1弾です。そして大特集と銘打った「今すぐはじめる!60歳からの俳句入門」が最大のセールスポイント。60という数字の取り合わせの妙といいますか、長い歴史に培われた俳句総合誌としての信頼を武器に、より絞り込んだターゲットへ訴求することで俳句愛好者の新規開拓を目論む、という大出版社角川らしいマーケティング戦略のようです。このあたりのマーケットに対するセンスのよさが、俳句ジャーナリズムとして俳壇を牛耳る、いや失礼しました、俳壇に対する信頼を勝ち得ている理由でしょうか。
ところで「60歳からの~」の60歳という年齢の由縁ですが、たしかに今後の日本経済を消費行動によって建て直してゆく根幹となるべき世代に間違いありません。そしてそれは何も経済に限った話ではなく、日本文化そのものをも支えていく世代であるともいえるのではないでしょうか。理由は言わずもがな。時間と金と好奇心です。どれが欠けていてもだめです。これらが三位一体となって身に付いているのがこの世代なのです。たとえば今後定年65歳となれば、退職後に訪れるであろう待ちに待ったフリータイムの準備期間として、60歳は新たなチャレンジを始めるにうってつけの年齢と言えるでしょう。
大特集の目的はもちろん、還暦を迎える人へ俳句の蒙を啓くことにあります。ずぶの素人がターゲットですからハードルは低いに越したことはありません。『仲間を作ろう、旅に出よう』と題された大特集巻頭のエセーで、65歳の俳人橋本榮治氏は日本人の平均寿命を提示し、「生まれた子供が大学に進学するまでの時間が用意されており、還暦から学ぶことは決して遅くはない。興味ある未知の分野を学ぶにも十分な時間的余裕がある」と語り始めます。そして、「還暦ともなれば社会経験が豊富にあり、『人生の喜びや悲しみ』を詠む材料には事欠かない」と誘い水を向けます。さらにたたみかけるように、「俳句を作る満足感の一つは詩人としての、日本の文化を継ぐ一人としての誇りを持てることである」と極め台詞のような餌で読者を釣り上げます。
釣った魚は逃がさないのがプロ。このあと橋本氏は、俳文学者尾形仂(つとむ)が言った「俳句は座の文学である」を、「俳諧の場を文芸的な精神連帯の場、もしくは文芸共同体として捉えた発言」であると引用し、「俳句は作品を批評鑑賞し、受け止めてくれる仲間がいることが必須である」と、「仲間を作ろう」の本意を語ります。また、「俳句は詩の一ジャンルであり、何よりも自分の言葉で語らなければならない」と、俳句を作るに当たっての言葉を探す心構えに踏み入り、季語という伝家の宝刀を振りかざしては、「俳句は四季の中の詩を捉えるものだ」から「積極的に自然に親しむ」ために「旅に出よう」と、読者を吟行へと駆り立てます。
こうした一般読者を実作者の道へと誘う啓蒙は、何も俳句の世界に限ったことではありません。さきごろ朝日新聞で4回にわたって連載された『詩人になる』も、詩という極めてとっつきにくい文学ジャンルという特殊性はともかく、読者を実作者(=詩人!)へと啓蒙する試みとして興味深く読みました。ただし自由詩は、いざ実作を教えるとなると自由なだけにかえって難しいのか、「タマネギの皮を外側からむいていく作業を思い浮かべるといい」とか、「続けるうちに、これが言いたかったんだという『鍵穴』が見つかる」とか、頭が痛くなるような文句が並んでしまい、果たしてこれを読んで何人が詩を作りたくなったのか疑問が残りました。
その点俳句は恵まれています。俳句の基礎である五七五(定型)と季語は、大方が小学校で習ったことですし、切字にしろ歴史的仮名遣いにしろ文語文法にしろ、得手不得手はともかく学生時代に一度は触れたことのあるものでしょうから、万が一トラウマになっていない限り、懐かしさも伴った楽しい入門になるだけの下地がすでに準備されています。
このように俳句や短歌といった定型詩は、具体的な規則を学ぶことから始めればいいわけです。それは日本文化に特有の「型」を習得することであり、習うより慣れろとか、学ぶのではなく盗め、といったいわば「芸事」の仲間として捉えられてきたのも事実です。一方で「芸術」全般は、大雑把な言い方をすればそのほとんどが西洋から「学問」として輸入されたものです。そうした「芸術」の一ジャンルである小説や詩といった「文学」には、基本的に「型」は存在しません。どこまでも自由な様式の上に成り立っています。自由であるからこそ、「なぜ小説なのか」「なぜ詩なのか」というジャンルの実存を「思考」に求めざるを得ませんでした。そして「文学」が「芸術」=「学問」の一ジャンルであるという前提のもと、「小説とは何か」「詩とは何か」を常に「思考」=「学問」することが求められてきたのです。
俳句や短歌に求められる「型」と小説や詩に求められる「思考」の違いが、前者をより「芸事」に近い意味での「文芸」として、後者を「芸術」の一ジャンルである「文学」として、両者の間に見た目よりも深い溝をもたらしてきました。その溝が最も顕在化したと言えるのが、仏文学者である桑原武夫の『第二芸術』だったわけです。そして何ゆえ最も顕在化したのかといえば、それが俳句界の外部からもたらされたという事実によります。俳句の世界は『第二芸術』以降、「外」の反応により過敏になったとは言えないでしょうか。
話は変りますが、角川『俳句』の強みは、なんといってもそのマーケット第一主義にあると思います。マーケットのためなら外から何を言われようと揺るがないだけの覚悟があるように見えます。決して皮肉っているわけではありません。創刊60年という歴史の多くを、俳句の「芸術」的価値を高めるために、俳句はれっきとした「文学」であると胸を張って言うために費やしてきたはずです。すべては俳句の延命のためだったはずです。ところがその一方で、新規のマーケット開拓のためなら、俳句を「文学」から「文芸」へとランクダウンさせることも厭わない。もちろんそれは一時的な機転に過ぎないのかもしれません。しかし、創刊60年という区切りのときにそうした機転を利かせられるのは、ある意味凄いことだと思わざるを得ません。
ということで特別寄稿「『俳句』60年を読む」です。寄稿者は筑紫磐井(ばんせい)氏。筑紫さんというと、俳壇では若手のオピニオンリーダー的な存在でしょうか。ただし一言で若手といっても多種多様でして、筑紫さんが率いているのは若手の中でも特に前衛っぽいタイプといいますか、本論の流れから言いますと俳句=「絶対に文学だ!」っていう方々と言えば分かり易いでしょう。だから筑紫さん自身も論客というイメージがあります。特別寄稿に筑紫さんを持ってくるあたり、『俳句』編集部の60年に対する「文学」的自負が伺えます。
この特別寄稿は3回連載の1回目で、「問題定義と俳壇秩序」というサブタイトルで書き出しています。「この俳句雑誌は、まず読者の再生産(読者はすべて作者であるという短歌・俳句特有の読者構成がある)と、ジャーナリスティックな運動の創成の二つが動機となっていた」というのっけから簡潔な指摘を読んで思わず頷いてしまいました。俳句の「文学」主義であれ「文芸」主義であれ、『俳句』はその創刊以来どちらかに偏るということではなく、どちらにもバランスよくスタンスをおいていたということなのでしょう。ここら辺の嗅覚の良さが、まさに60年という長寿雑誌の源だったのです。
そして「文学」派の筑紫さんはまず、ジャーナリスティックな運動の創成に、つまり俳壇ジャーナリズムの糸を陰で引いてきたその歴史に着目します。その歴史とは、大野林火編集長による社会性俳句の検証と新興俳句の紹介、西東三鬼編集長による金子兜太「造型論」を中心とした造型俳句の創出、それらをひっくるめた「難解俳句」から「人間探求派」を経て、寺山修司による「前衛俳句」の定義へと辿れば、戦後の俳壇を揺るがした俳句「文学」運動のメインストリームにほかなりません。畳み掛けるように筑紫は、「当時唯一の俳人の協会であった現代俳句協会の戦後派俳人は殆ど何らかの意味で前衛俳句の影響を受けないではいなかった」と指摘します。
しかし前衛俳句を中心とした「文学」運動の一方で、俳壇には「文芸」俳句とも言うべき虚子=ホトトギスという、まさに俳句史上のメインストリームが存在したわけですから、「虚子及びホトトギスの支援のない『俳句』とならざるを得なかった。いきおい『俳句』は(中略)戦後俳壇の新秩序の形成に貢献してゆく」のももっともな話だと思います。そしてその新たな秩序が、「現代の作家」シリーズ並びに「現代の風狂」シリーズで取り上げられた「戦後派」と呼ばれる作家群であり、そうした秩序の可視化を経た上で、さらに「期待する作家」シリーズによるポスト「戦後派」(第4世代)という秩序の構築へと続くのでした。
筑紫さんはこの1回目の原稿を、「そして、それ以降の世代(つまり、私を含む戦後生まれ以後)になると、これほど懇切な特集はとうとう組まれることもなかった。それは、戦後生まれが、ここに取り上げた二つの世代ほど圧倒的な存在感を示す作家集団ではなかったことを示してもいるのかもしれない」とやや自嘲気味な感想で締めくくっています。が、それは俳句作家としての力量の問題ではないように思えます。筑紫さんもそうですが、戦後生まれ作家の最近の動きを見ると、作品よりも評論や時評に力を入れているように見受けられます。「文学」として俳句を「思考」することが優先され、肝心の実作がないがしろにされているのだとしたら本末転倒ではないでしょうか。我々が読みたいのは彼等の俳句作品そのものであり、それが「文学」であるかどうかはまた別の問題です。まず作品ありき。評価は後から付いてくるものだと思います。
創刊60周年記念企画第1弾はこれぐらいにしておきたいところです。実はほかにも「還暦俳人スペシャル座談会―だから俳句は面白い!」という、60つながりの語呂合わせみたいな座談会があるのですが、「私たち還暦まで俳句やってて良かった」とか、「あの結社の先生は面倒見がいい」とか、「十年後にはインターネットがもっとポピュラーになっているだろう」(!)とか、いうなれば「文芸」にも満たないようなお話がほとんどです。が、そうした他愛もない会話のなかでいきなり、「10年後に俳壇をリードしているべき10人」という恐ろしい話題が出てきちゃうところが角川エンターテイメントの真骨頂です。もっとも恐ろしいのはタイトルだけで、中身はどちらかというとお仲間リストアップみたいな感じで、そこに「文学」的な選考理念のようなものは読み取れませんでした。余談ですが、先の筑紫さんももちろんリストアップされていましたが、座談会での「あの人(=筑紫さん)はその頃は有季定型でしたか。」「もちろんですよ。第一句集『野干』は真っ当な句集でした(笑)。」という会話には思わず笑っちゃいました。
続いて、リストアップされた3俳人による連載記事を読んでいきたいと思います。まずは宇井十間(ういとげん)氏と岸本尚毅氏の往復書簡による「相互批評の試み」です。第5回は「重くれと軽み」と題し、まず宇井さんから問題が提議されます。「思想的な重苦しさを排して、日常の事柄を軽々と表現するライトさにこそ俳句の本性をもとめるべきであるという考えは、俳句史を通じて観察されます」という前提のもと、ライトさと対極に位置し「否応なく重苦しいテーマを思考せざるをえないはず」の句集として、富澤赤黄男の『黙示』を引き合いに出します。そして「軽み」(宇井さんは「日常性」とも呼んでいます)とは「別の言語世界を構築してみせたという意味で、赤黄男の業績は大きな歴史的意義を持っていると言えるでしょう」と、「軽み」に対する「重くれ」の史的優位性(=ジャーナリスティックな優位性)に言及します。
大雑把に言えば提議の骨子は宇井さんの「軽み」批判です。宇井さんは「軽み」を、「思想性を内包しない言葉」であり、「世界観を指示することのない言葉」であり、「『預言性』の次元を獲得していない言葉」であると批判します。そして「いま現在の俳句にとってそのような軽みの思想がどのような意味を持つか」という本題への導入として、俳句創作における「自動機械(自動生成)」という概念を提示し、それが近代俳句における病であったとの認識を示します。
宇井さんはこの「自動機械」を山本健吉が言うところの「即興」(=軽み)と重ね合わせます。そして「造型意識の驚くほど薄弱な、日本の藝術の特色」であると即興をみなす山本を、「逆説的に近現代俳句の病理を露呈している」といい、「(山本の)即興論に見られるような日常性への信頼は(重くれを重視した俳句読解の)むしろ障害にしかなりません」と断じます。つまり「現代俳句における『重くれ』(=思想性)とは、(中略)そのような日常性(=軽み)から自由になることである」と定義します。
宇井さんの論旨からは違和感が拭えません。その違和感は、「軽み」表現のための「即興」を、「日常性への盲信(=病い)」と直結させた辺りから来ています。山本が言うところの「即興」とは、「自然」と「作為」との造形的なせめぎ合いのことを言ったもので、方法論の域を超えるものではありません。それは焼き物を思い浮かべれば分かり易いでしょう。茶の湯の世界では茶碗の鑑賞も作法の一つですが、中国陶磁器のような寸分違わぬ完成された美しさよりも、人の手による作為が感じられない、偶然できたとしか言いようのない歪みこそが、茶碗の美しさとしてより高く評価されます。
そうした茶碗は、もちろん陶工による作為によって作られているのですが、それにもかかわらず物(=茶碗)自体からは、あたかも窯の中で自然に生まれ出たような、偶然の美しさが感じられます。自然性を尊重する眼が生み出した不作為の美です。山本の「造型意識の驚くほど薄弱な、日本の藝術の特色」とは、俳句における「即興」という方法が生み出す不作為の美を指します。それは日常性の盲信とは異なる位相にあります。宇井さんの論旨には自ら定義を補強するための無理があると思われます。その無理が違和感の原因と言えるのではないでしょうか。
そうした違和感に気付いているかどうか分かりませんが、岸本さんの返答は一見素っ気なく、また極めて真っ当です。「『重くれ』と『軽み』との間を自由に往来できる『軽重自在』の境地というものも視野に入って来るように思われます」と二者択一を強いる論調をさらりとかわし、「赤黄男や鬼房の句は『見たままをそのまま』ではないぞ、という身構えが必要です。この身構えとして何が必要なのでしょうか」と逆に本質的な問いで斬り返します。
さらに岸本さんは、「次回は、読者に優しくない、親切でない句について、私なりに考えてみたいと思います」と結びます。真っ当と言うよりもむしろ曲者です。「文学」サイドから過激にツッコム宇井さんと、敢えて「文芸」サイドに身を置きボケ役に徹する岸本さんの攻防は、フィクションかと見紛うばかりの見事なスペクタクルで、充分楽しめました。
最後は「10年後に俳壇をリードしているべき10人」にリストアップされた残る1人、高山れおな氏による月評「今月の10句」を取り上げます。この方にはもちろんお会いしたこともないので想像するだけですが、とにかく俳句にとどまらず文学や芸術全般にわたり該博な知識をお持ちのようです。下種の勘繰りですが、これだけの知識がおありなら、10年後は俳壇をリードするよりも、大学教授として左団扇で暮らしているに違いありますまい。
というわけで高山さん自身のお眼鏡にかなった句を毎月10句ずつ取り上げ評釈するこのコーナー。300に満たない文字数での評釈という困難な状況も顧みず、高山さんは泉が溢れるがごとく次から次へと知識のお披露目に精を出します。いわく「かつて山本健吉はその『最新俳句歳時記』において」、いわく「ボードレールではないが」、いわく「芥川龍之介の短編『桃太郎』を思わせる」。ほかにも加賀千代女や高桑闌更といった古(いにしえ)の俳人から、『コインロッカー・ベイビーズ』の村上龍、そして新約聖書のマタイによる福音書にまで、言及はとどまることを知りません。
もちろん一つの俳句作品から何を連想しても、それは読者の自由です。というよりも読者には常に、作品を読むための自由が保障されていると言えます。俳句における評釈とは、作品における正しい意味の解読ではなく、自由な読み方の一提案に過ぎません。ですから評釈が正しいとか誤りだとかは問題ではないのです。しかしだからこそ、評釈には評釈する人の揺るぎ無い目の付け所が不可欠なのです。
全てそうだとは言いませんが、高山さんの評釈を読むと、作品をネタに「文学」という自分を語っているように思えてなりません。そのナルシシズムはいささか鼻につきます。高山さんは何故その句を語るのか。その句の何が高山さんの琴線に触れたのか。私が知りたいのはそこに尽きます。
たとえば一つの評釈の冒頭で、中里夏彦氏を「現存する多行句作者の随一」と評価します。何を持って随一と評価するのか、たとえ1行でもいいから知りたいところです。しかし評価の理由が明確に示されないまま、作者の近況報告へと話題が移ってしまいます。これではせっかくの評価が説得力を持ち得ません。評価された中里さん本人も困っているのではないでしょうか。
また同じ中里さんの2008年刊行の句集『流寓のソナタ』を絶品だったと評価していますが、当の中里さんが大震災で流寓生活を送る羽目に陥った現実を引き合いに、当の句集にはそれを予言するような句があると指摘しても、良くできた洒落ぐらいにしか思えません。いずれにしろ評価には評価するだけの確信が必要ではないでしょうか。
もっと言ってしまえば、予言性の理由として、「じつはこの人の表現のトーンは震災前からあまり変わらず」と前置きした上で、(震災前に刊行した)前出句集にはすでに〈目(め)/瞑(つむ)れば/虚空(こくう)/氾濫(はんらん)してゐたり〉という句がある、と引用しています。この句に関して言えば、「目/瞑れば」はともかくとして、「虚空/氾濫して」という句の主体は極めて抽象性の高い表現です。つまり「虚空」が「氾濫」するという抽象表現は、それ自体が象徴作用を有するので、震災はもちろんそれ以外でも様々な生活の感慨を象徴し得てしまいます。
たとえば大事に飼っていた高価な熱帯魚の水槽が飼い猫の粗相で壊れて水がぶちまけられてしまった経験があるとすれば、そのときの驚きと悲しさを思い出して〈目(め)/瞑(つむ)れば/虚空(こくう)/氾濫(はんらん)してゐたり〉と普通に詠み得ます。それは句のイメージが偶然にしてある事象に当て嵌ってしまったというだけのことで、それをもって大震災の予言とするには無理があります。逆に句としての自立性には乏しいと言えるのではないでしょうか。
話を戻しますが、高山さんはつい先ごろまで朝日新聞の俳壇時評を担当されていました。仮に今回「10年後に俳壇を~」に選ばれなかったとしても、すでに俳壇の若き論客として一定の評価を受けていると思われます。そうであれば高山さんの評釈は、俳句を志す若い人たちはもとより、俳句初学者からベテランまで幅広い層の注目を受けてしかるべきでしょう。10年後などとという悠長な話ではないのです。
しかも舞台は角川『俳句』です。ある意味朝日新聞以上に厳しい視線にさらされる、申し分のない舞台ではないでしょうか。つまり多くの俳句人がうらやむ存在というわけです。であればこそ、同人誌と同じスタンスで済ますわけには参りますまい。「文学」であれ「文芸」であれどちらでもかまいませんが、今後の俳句の世界を担うべき存在としての期待から敢えて苦言を呈した次第です。
釈照太
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■