山際恭子さんのTVドラマ批評『No.048 花子とアン』をアップしましたぁ。吉高由里子さん主演の、NHKさん朝の連続テレビ小説であります。みなさんよくご存知のように、『赤毛のアン』を始めとする児童文学の翻訳者として有名な村岡花子さんがモデルです。ん~いい設定かも。明治時代には高等教育を受けた女性は一握りです。その中で優れた仕事を残した方々は、同時代の様々な文化人と交流を持ちました。村岡さんの場合、柳原白蓮や村松みね子、佐佐木信綱、市川房枝さんらとの交流が知られています。天下国家の問題とは基本的に無縁であった分、実話とフィクション取り混ぜたいろいろな展開が可能でしょうね。
ほんで朝の連ドラは絶好調でありまふ。山際さんはその理由を、『実話を正しく評価し、キャスティングや演出に反映させたものがドラマだ。「あまちゃん」は「朝の連ドラ」とアイドル史を完全に相対化・脱構築しつつ、それが最大の財産であるという認識を示した。・・・「朝の連ドラ」の王道のフォーマットは財産である、と確認されたようだ。・・・朝ドラのベースは、日常性だ。そこにどれだけ非日常的なスパイスを利かせられるか、そのバランスこそが最も重要なのだ。・・・普通のお嬢さん・・・の吉高由里子が、夢見がちでとっぱずれたところがあっても教師や翻訳者というジミな仕事が勤まるように成長する花子 = アンであるから、毎日観ていられる』と評しておられます。
映画やドラマは無意識に近い次元にある現代社会の諸相を作品化するものです。特にテレビドラマはその傾向が強い。最近の朝ドラのトレンドは、山際さんが書いておられるやうに、相対化と日常性といふことになるやもしれまへん。事件は起こるのですが、それが決定的な要因とはならず、いつのまにか日常に吸収されてゆく。また制作側も視聴者も、朝の連ドラというドラマ形式を相対化して捉えており、その展開方法が暗黙の内に共有されているやうな気配です。しかしそれも一時のことでしょうね。ドラマは変わってゆくから面白いのでありますぅ。
■ 山際恭子 TVドラマ批評 『No.048 花子とアン』 ■